文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

足元を見てください、案外いいもの落ちてませんか。

アーバンギャルドになりたかったけど、アーバンギャルドよりもいいポジションにいるのかもしれない。そういうことを言いたいがために、わたしのツインレイはアーバンギャルドの解散とか浜崎容子脱退が叶わない度にがっかりさせていくのかと思う。折に触れて、ツインレイは「君みたいな暮らしを壊すわけにはいかない」みたいなことを言うが、この暮らしの良さがいまいち自覚できずにいる。

コーヒー一杯だけで満足できる暮らし。それは実家暮らしに基づいている。実家に財産を仮託すれば、とても身軽に生きていけるが、土地に縛られる。じゃあこの土地を、東京にすればいいじゃないと思う。そして、わたしならできてしまう……恐ろしい。そう最近は思う。

映画を撮るのがうまくなってるが、月に3828円も捻出していて、それでそのアドビで作った動画をYouTubeに上げるのがめちゃくちゃ時間がかかってイライラするので、映画監督を辞めようと思う。なんか、YouTubeに上げるのを辞めようと思う。自分のパソコンの中に眠らせようと思う。そんなに数撮れるわけでもないので、被写体が四人もいて満足している。なんでこんなにわたしが映画にこだわるのかってそんなに自分をスライスして配りたいのか、とか考えるけど、それというよりは、統合失調症をスライスして配りたいと思う。なんとなく無性に被写体になりたがっていた高校生の時を思うと、わたしは木村承子になってしまったのだなあと思う。ぴあに作品を出したいと思っていても、卒論の賞が取れなかったみたいに、賞の埒外に行くのだと思われる。わたしは、ぴあに出してなんかいなくても映像作家だし、多分園子温より上手だ。

ミスiDの箔がついた映像作家が次々と海外の賞を獲ってて、ずるいとかいう気持ちよりも、客観性のないことはとても恐ろしいことだなと思った。客観性のない人に東京は優しく、そういう人ばかりバイトに受かるのだが、それはもうずるいとかいうよりも、わたしが優しくしないといけないのだろうなあ。と思う。先達の夏野雨さんは忙しいのに優しさが途切れないし、竹中優子さんも「自分は優しさなんかを軸に行動をしたくない」旨を言ってはいたけれど、優しくないと興行は打てない。つまり福岡ポエトリーはない。客観性のない人に鏡を渡すと、わたしが悪者になる。わたしは自分のことはあんまりわかっているつもりないけど、だからこそ、人には自我への理解を促したいと思っている。それは人として各位の心の中の牡蠣を剥がし回る行為だと言えるが、まあ正直、ミスiDの映画作家に「あなたって日本に生まれた女の子が映画撮ってるだけでちやほやされているんだけど、このまま担ぎ込まれて、東京湾に沈むんですか?」などと言ってもなんにも面白くない。きっと人って優しさを軸に行動してなんかいないのだ。きっと、人のためであるようでいて、面白さという残酷さを意識して、物語的に話を紡いでいくのだろう。それが小林司の上品さのひとつと言えよう。

冬なのに冬じゃない。新春だ。それでも一日のうちにぐらぐらと寒さが沸騰していく瞬間があり、暖房つけたくないのにつけてしまうが、今日も一日面白くするぞ、とか、占い行くぞ、と思っていたのに、占いで話すことが思いつかないなと思いながらベッドに寝そべりツイッターをしてたら、寝てしまった。寝てしまったため、今日一日があぶくとなってしまった。雨が降る。雨が降ると寒さが沸騰する。

一昨日は好きな札幌の芸術家に「千椿真夢は男の子だよ」と教えてくれて、以降少し会話をしたが、それだけなのにすごく元気が湧いてきてすばらしい一日になった。

昨日は、京都大学界隈の人と話をして、複素数太郎がいいやつ(暫定)ということがわかった。複素数太郎は3年くらいかけてわたしに「僕っていいやつと思いませんか?」みたいな売り込みをしてきたわけだけど、今年になってやっといいやつと思った。慈悲深いんですよ僕は、みたいな語りをしていたわけだけど、わたしにはどうしても、29歳の慈悲の深さは浅く見積もってしまう。昔、小説のプロットのメモに「昔、女がいて、男と結婚するために見世物小屋とか占い師とかストリッパーとかやって財産を作るんだよ。その結果第六感を開発してしまって人生地獄絵図になる話」というのを描いていたわけですが、実在しましたね。リビングリビールビルドリビドーはそんな話なんですよ。

あとは性欲について考えるひと時があったけど、本当に過去の物となってしまった。一生懸命これが愛か否かを考えている時期があったけど、すでにわたしは知っているからもういらない、って訳じゃなくて、昨日喋った人には申し訳ないけど、性欲に邁進していると文章の腕が落ちると思う。そう思うまでにツインレイはわたしのことを夜な夜な夜這いして、性欲がある程度発散されたからそう至るのかもしれないけど、エロの力ってあるようでない派である。童貞力というか童貞のイマジネーションというのは、無限大であることを松本人志は継承したのかもしれないが、そりゃ、ある程度の貞操の身ぎれいさは必要であると思う。ただ、それがデマと混合されるのであれば、貞操端からないのと同じだ。まっちゃんごめん。わたしはちなみに、筋肉ムキムキになったまっちゃんは好きで、あれは一つの自我だと思う。自我に巡り合える人間はそうそういない。

今日は何もなかった。これからスーパーの弁当を食って寝ます。

2024/01/15 睦月上旬の所感

最近は松本人志が引退するかもしれないみたいな話の流れなのか知らないが、探偵ナイトスクープの主題歌「ハートスランプ二人ぼっち」にハマっている。戸籍のない風俗女とそれに惚れた男の歌なのだろうけど、イントロがかっこよすぎて何回も聴いてしまう。機嫌のいい日は10回くらいリピートしてしまう。松本人志の恋愛もこうなのかと思うが、どちらかというと島田紳助的だなと思う。

今年が明けた。あけましておめでとうございます。ラインスタンプを8日に買ったのに元を取れるくらい使い倒している。

今年の抱負は、美術(主に日本画)に対する造詣を深めることと、金持ちになること(バイトができるようになる、という意)なんだけど、いいバイトがない。単発のバイトをやるか。動物のお医者さん全巻欲しい。あとスティール・ボール・ランジョジョ7部)も欲しい。

占いに行ってきたけど、私は寝て見るすべての夢はツインレイが監督編集脚本してると思っている。それくらいのことができるのであれば、当然、わたしが85kgであるのもツインレイの操作だし、薬をグレードアップしても毎日鼻をかむのはツインレイが2人分の症状をわたしに押し付けているためであり2人分薬を飲まないと治らないと思う(が、主治医が規定量を超えた処方をする訳がないのでだんまりである)し、わたしに2年生理が来ないのもツインレイのお計らいだと思う。それを占いで見た結果、「そういうこともある」という旨が返ってきたが、占いはもちろんスピリチュアルに携わる者なら少なからず「ツインレイによる操作」というのは横行している話というのが伺えた。体重はもちろん、ツインレイのへそを曲げてしまったら人相も変えられてしまうというのも見なくないので、よって、この占いも占い師に配慮した結果がなされた。ツインレイは基本、無自覚らしい。自分が他人の生活に影響を及ぼすとは微塵も考えてない中、ツインレイとしての影響をわたしが先に自覚し、2年前から言っているのに何ひとつ信じず、そちらが監視している中で、占いで吉凶を出した結果、あなたの懸念は当たっているという結果が出たので、やっとツインレイが耳鼻科に行く気をみせた。そうなんですよ。精神科も、めちゃくちゃ薬飲んでるけど、本当はあなたが行かないと治らないんですよ。松永天馬さん、精神科行ってくださいね。

わたしはなかなか優しいという自覚はあるけど、人に伝わるかと言えば伝わらないほうだと思うし、優しいと思われたら相手の出数を殺してしまうので、あんまり出さないようにしているが、もっと優しくなれるのではないかと思う。優しさとは何かと言われたら、鏡を提供する力だと思う。わたしは昔逃げてしまったけれど、コールセンターの業務に使命感を抱いている。コールセンターができたら、なんにでも応用できると思う。カウンセラーの資格を取るより、傾聴とは何かを突き詰めて考えれば、コールセンターの問い合わせ業務の他に類を出るものはないだろう。わたしは菩薩になりに行こうと思う。人が完全に優しいとしか譬えようのないありがたさって、スルースキルだと思う。だけどプライベートで菩薩をやると舐められてしまう。だからこそ、コールセンターをやって、心の水分量を減らそうと思う。

こうやってバイトに野心を燃やしていると、「でも…」が出てくる。何が出てくるのかと言うと、圧倒的に「これ以上頑張る必要があるのか」しかない。まあコールセンターで貯蓄ができたとしても、1か月4万がいいとこだし、100万円稼ぐには2年半かかる。100万欲しいわけではないが、バイトしたとしても自立できることにはならないことに早くもわたしは気が付いている。背伸びして、バイト、背伸びして、一人暮らし、したところで、いつかは破綻するだろうなと思う。じゃあいつわたしが自立できるチャンスを獲得するかと言ったら、ファインアートが現金化できるようになった頃であろう。つまり、わたしの詩が1個100万で売れたら、また上京していこうかという気になるけど、売れる気配はない。親父が死んで、おふくろも死んで、それから世間がわたしがかわいそうになって金を落としだすと思う。だから、今のわたしに必要なのは、両親が死ぬことを逆算しきって、それでもわたしは大丈夫と言える力があれば、親はバイトしろと言わなくなると思う。今の暮らしは永遠なのだ。今資金繰りをしのぐことができれば、一生を勝ち取れたものである。ちなみに現在母親に10000円借金している。この借金をどうにかしたら、第一段階として両親の信頼を得ることができる。占いにいくのも今だけだと思っている。今だけのために月20000円なくなる。耳鼻科は3000円なくなる。月々60000円の中で手痛い出費だが、勉強代なのでわたしが私の中で刃向かう時だんまりしている。

なんでこんなに認められてはいるのに現金化しないんだろうと思う。わたしの後光がまわりまわってアーバンギャルドの私腹に入っているのであればこんな悔しいことないのだが、わたしが頑張っているから浜崎容子は衣装を買うことができると思うと本当に悔しい。なんだ松永天馬のグッチのマフラーは。ユニクロのダウンに合わせるのクソダサいだろ。

今年書いた小説を振り返る

今日はクリスマスイブだが、今年やってきたことをしこしこと報いようと思う。

mojihype.hatenadiary.com

この小説は、モデルはいないけど、この人が読んで面白いようにしたいなあと思って書いた。その人は当時のフォロワーで、フルール苺をヲチした時に見つけたアカウントで、女子高生でビプレッソを飲んでいた。医者のことをエロい目で見ていて、母親はネグレクトしていて、多分父親は離婚してるんじゃないかと思う。おっぱいがバカでかくて、フォロワーとエロいチャットして、なんか砂糖菓子の弾丸をぽこぽこ打ってた。聖って名前でツイッターやってて、女子高生なのに菩薩目指してるんだと思った。冥王星みたいな目をしていて、冥王星みたいだね、ってネット上で会話したことある。多分児相ではないけど社会福祉がその子に介入して、わたしのアカウントはいつのまにかフォローを外され、ちょっとヲチしていたけどやがてそのアカウント自体もなくなり、みたいな感じで、ずっと仲良くできると思ってたけどあっけないもんだった。

まあ内容を振り返ると、モデルはいないとか言いながら自分語りじゃん……って思うかもしれないけど、実は松永天馬のおまいつツイッターをパクって小説にした。遠野遥が完全にツイッターでバズった漫画(確か、オナニーをしたら戦闘力が極まる男子学生と国家秘密団体の話)の続きを書くようなスタイルで「教育」という小説を書くというチートをやっていたけど、まあわたしも似たようなもんだし、追及することはできない。実際に松永天馬を松永天馬として固有名詞として出して創作したのだが、2022年の5月の名古屋のUPSETで、松永天馬が「松永天馬(イマジナリーフレンド)から受けた刺激を言語化して固有名詞使ってネットしていい」という許しを得たのでやってはいるけど、逆にみんなやったほうがいいんじゃないかとすら思う。実際にイマジナリーフレンドの正体が松永天馬じゃなかったとしても、「わたしがわたしを証明する」ために、好きな人に対する祈りというか思念を文字化しようみたいな運動でもやろうかな。それを公が目にすることで、客観視という魔法が手に入る。客観視すると、自分がわかる。自分がわかったら、明日何するかは当然、明日から死ぬまでどのように生きるかもわかる。死ぬのが怖くなくなる。

まあ松永天馬とわたしの関係性は、聖ちゃんと主治医の関係性を描いたつもりではある。最後にどうでもいいオジサンと一発キメて、夢から覚めるけど、あのオジサンは、私の言葉で言えばイマジナリーフレンドの正体ということになる。松永天馬は見上げた星であり、近づけば嫌われるものです。星はあなたのことをそんなに魅力的とは思ってません。

mojihype.hatenadiary.com

干からびたへび、というのは「松永天馬ですか?」みたいなことも言われるんだろうなとは思うけど、確かにこのくらいの時期は私の中から松永天馬像を一掃したいという意識があった。後で解説するけど「リビドークラッシュガールズ」「原田高校生徒会長森永大樹」もその一環。でも、結局は、こうなれなかったから松永天馬なのである。

はっきり言って、この小説は戯曲にしたかった。薔薇園花江さんという福岡の一部の人には有名なアングラ演劇界のマドンナがいるのだが、その人にかねてから「戯曲描かせてください」と言っていながら、なかなか妊娠できずにいたのだが、まず書いてみたのがこの話。薔薇園さんはなかなかいい歳しているが美人なので、こういうのを連想するくらいの魔力がある人ではある。っていうか、言っちゃうと薔薇園さんの実体験を元にしてわたしとの共通性をなぞっていくうちにできた話。

note.com

別媒体ではあるが、紹介する。これは実はミスiDを受けてた頃(2020年春)結局辞退することにはするのだが、とにかく自分にコンテンツがあると思わせなければいけないと思って連載小説としてちまちまアップしていたが、結局辞退することになり、その上秋には精神科入院とかいう恐ろしい事態になったのでオチを書けずじまいだった。

霜居つばきというのは、お前か、ということになるが。まあわたしの体験を描かないと文字数増えないからわたしの経験を書いている、中村令和のモデルのような初恋の人がいるんですが、その人は中村令和ではない。もう少し詳しく言うと、初恋の人を憑代として、めちゃくちゃ人間性を創作してたけど、あれは全部幻想で、結局ツインレイがそのわたしの幻想とツインレイのアイデンティティを統合して、結果中村令和になる、みたいな話なんですけど、ここまで話してついてこれた方いらっしゃいますか?

リビングリビールビルドリビドーの亜種とも言ってもいいけど、リビングリビールビルドリビドーより前に着手した話。

note.com

これも実は二年前くらいから着手してた小説だけど、いいかげんアイデアとして完成形の体をとってないと記憶できないんじゃないかと思って無理矢理オチをつけた。でもそれはそれで、他の「こうしたかった」設定がごっそりと抜け落ちることに気づく。どうやったって結局忘れる。

これはさすがに松永天馬ですよね?って思うでしょう。確かに松永天馬だとわたしは思っているんですけど、松永天馬がどう思っているのかはわからないですね。ツインレイなのにわからないです。ああ。でも、これは「麻薬を実行したら自分のツインレイ情報が浄化される」というネタはガチで信じてて、ツインレイって90年代の悪ノリで、悪魔的呪術がなんらかの(多分ブックオフとかで流通したんじゃないか)書物から、完全自殺マニュアルさながら流行してツインレイをやる技術が分布したんじゃないかというのがこの時期まで抱いていて、魔術を解きたいなら麻薬か、みたいなことを結構真剣に考えていたんだけど、それってせっかくいいもの頂いても無下に扱うしぐさだよね。と思って、あえて主人公が育ててきた愛情を、相手が無化しちゃうオチにしたんだけど、実際どうかはわかりません。CBDやる?って言っても、なんか、毎日風呂入る際に日本酒入れないと入れなかったら元も子もないでしょ、と思うし、CBDもなんらかの呪術だったら怖いよな~と思って検索もしていません。もし、呪術を自分の精神に施されたら、気づけば大体解除されます。呪術と言ったら、リビングリビールビルドリビドーに於ける「オナニー」ですけど。わたしは誰かを思ってオナるってなかなか難しいと思います

mojihype.hatenadiary.com

これは高校時代の唯一の友達が昇進したので書いた小説です。友達みたいな主人公と恋を描きました。友達はなかなか会うことが難しくなったので、どういう進展をしているのかはわかりませんが、多分何事もうまくいくでしょう。

この友達はグルメで、食べることが好きで、もしわたしが有名人になったらこの人のうまいものを書籍化したいなと思う。本当においしい店は教えなくてもいいし、そういう店は長く続くもんじゃないと思う。だけど、彼女が「スタバのニューヨークチーズケーキが好きなんだよね」と言うと、大してドトールと訳が違わないはずなのに、美味しく感じる。(ちなみにスタバのチーズケーキのほうがおいしいです。ドトールはタルトみたいになってて、底にドライフルーツが撒いてあるのが本当においしくない)

あと楽天地のもつ鍋がおいしいことを教えてもらったし、ロイホのトロピカルティーが美味しいことも教えてもらった。あとカルディはマメにチェックしたほうがいいのも学んだ。

mojihype.hatenadiary.com

これは二個上の先輩が昇進(の話がきたというだけしか知らないが)したので、お祝いに書いた。

この人が佐久間宣行の悪口を言ってたのを聴いて、この人はわたし以上にネットスキルが高いことをしみじみ感じた。わたしもかなりいい情報がタイムラインに回ってくるけど。

なんかいわゆる「ゆりあんレトリィヴァ」みたいな小説になったけど、この先輩のような女でありながらも策士であるという人種はゆりやんレトリィヴァ的なとしか描写されないのだろうか。見た目はかなり違う。この人のお爺ちゃんはかつて「ロシア兵」というあだ名だったそうだ。だからオチがあれなんですね。的な。

mojihype.hatenadiary.com

これは国崎和也ですか?と言われかねないけど、(主人公は)国崎和也に憧れてダッチワイフを買うか検討している、という描写が確実にあるので、確実に国崎和也をイメージして書いたわけではない。ああ。関係ないけど、今日(2023/12/23)の夢はダッチワイフをかついで各地回る夢だったな。

これはフォローしかしてないけど、タイムラインでよく回ってくる、胸すかさんに対するチアノベルです。胸すかさんが9月あたりイライラむしゃくしゃしてたから、どでかいホームランぶちまけたいな、と思って書いた小説です。意外と今年一番の出来になりましたね。なんかこれを夢野久作文学賞に出せばよかったかも。

mojihype.hatenadiary.com

これは最初は主人公の相手の名前が「茨城文雪くん」だったんですけど、伊藤幸司に寄せようと思って伊藤くんにしました。

これははっきり言って、幸福の科学がどうこうする前から、ジャニーズがどうこうする前から、ジャニーズとか推し活というカルチャーをめぐって抱いていた思念を書き出してて、2022の冬くらいには書き出しが決まってたんですけど、まあわたしが急いで書いたとしても版権とれるわけでもないので、ゆっくり書いたんですけど。

これは主人公が松永天馬で、伊藤くんは工藤くんだと言ってもいいと思うんですけど、対象としては令和の若者に向けた作品となっております。いるかどうかわからないけど、トー横キッズとかね。次で最後です。

mojihype.hatenadiary.com

これと似たような(途中で占い師に占ってもらって、カードの目をちゃんと言及して描写する)戯曲を、薔薇園さんに書いたんですけど(ネット未発表)、薔薇園さん曰く小道具の少ない戯曲しか戯曲として採用しないといけないみたいなこと言われて、ああわたしって戯曲描けないなあ。と思った次第ですね。カードって地味だし。地味な割に難しいし。

何か最近は「愛」とか「祈り」とか「報われる」とか考えていて、観念的になったんですけど、愛について描くってのが一週間だけ流行ってた時期がありました。わたしには愛というのは考えたくもない、それよりはM-1がどれくらいやらせなのかを測りたいし、政治とは何かを突き止めたいと思っているんですけど、どうもこの身体は、愛について語るといい音が鳴りそうだぞ、と最近気づいて、愛についてとやかく語るようになったんですね。わたしの友達は、みんな愛についてよく熟知してます。

愛とは何か、もいいし、愛を実現するには、というのも語れるかも。と思ってはいますが、そんなことより朝起きれなくなりました。電気毛布を導入してから、めちゃくちゃ布団が恋しい。語れるという状態も有限なので語っていくしかないんですが、今日はこのところで。

今年読んだ本を語る

今年読んだ本を思い出します。

①幸福論 (角川文庫)/ぼくが戦争に行くとき-反時代的な即興論文 (中公文庫)/誰か故郷を想はざる (角川文庫) 寺山修司

これは今年と言うか去年読んでたに入るが、2022年は寺山修司yearsだった。寺山修司の本は一貫性というのはあるようでなく、断片的な語りだと思うのだが、幸福論では「クリトリスを斬られるアフリカの民族の女の子」という話で、クリトリスを斬り取られた女の子について思いを馳せていたが、そういう美徳を強いているのだろうなと思った。美徳を強いるのは2020年にはない思想だろうな。

寺山修司戦争論は、誰か故郷を想はざるのほうが思想的に強かった。わたしが大好きな話、ションベンの話がある。

タモリ学 戸部田誠

去年上京して、2か月で帰福したという実績があるのだが、なんで帰福したかってバイトに受かんなかったし、就労支援とかのシステムをわかってなかったというのがある。バイトが決まんなかった時に、とにかくトリプルファイヤー吉田を恨んだ。お前みたいなカスでもバイトは手に入るのになぜわたしにバイトが手に入らないんだと思った。怒りはとばっちりして最近(つっても去年までですけど)トリプルファイヤー吉田を可愛がったタモリに飛び火し、タモリの悪口を言ったら、タモリ俱楽部がなくなってしまったので、焦ってこれを買った。講談社学術文庫でもタモリ論は売られているが、あれは本当に糞詰まんなかった。やっぱバラエティを語らせるならラリー遠田とかうさんくさい、というかなんも信用されてない作家よりは、その他の何よりも、戸部田さんの文章が「最善解釈」だと思う。

③彼女が言わなかったすべてのこと 桜庭一樹

いつ出したかはいわないとしても、ファンレターで桜庭一樹に「小説でわたしのことを書いてください」と言ったのだが、これで書いたことにしてるのかな???と思った。桜庭一樹にファンレターを書いたあの頃はまさか自分が寺山修司をやることになるとは思ってもなくて、寺山修司としての自覚をした今となっては、桜庭一樹にわたしを描いてくれという注文は、2周くらい回って失礼に値するな……と思ったけど、まあ実際読んでみて、小説的手法の画期的提案を打ち出したいという野心は光っていたけど、やっぱ桜庭一樹は親が死んで体力的にまいってるのかなと思う。野心が描き切れてなかった。桜庭一樹を癒すにはわたしが桜庭一樹を描くしかないと思う。なぜなら小説内で、もう登場人物の顔を捨てて、作者の叫びが顔を擡げていた。この子じゃなくて、誰でもない、私を描きたいのに、そうできない、みたいな叫びを感じて、じゃあ、もっと桜庭一樹はヒントを正式な媒体(嘘のつけないメディア)で出してほしい。そしたら、桜庭一樹を描くぞ!と思う。その際、「少女を埋める」はナシなんですか……?という疑問はありましょうけど、なんかそれを餌にしてもいいことないでしょ。

④激ヤバ 伊藤幸司

ランジャタイは複数層の文化なので、一面的なテレビの観方をしても、やっぱり伊藤ちゃんがどういう人なのかというのはわからない。わからなくても、ランジャタイは国崎が暴れれば面白い。本当は国崎を自由にさせていく伊藤ちゃんの権限執行がないとここまでキレのある面白さはないのだけれど。伊藤ちゃんって、暗がりに咲く貧しいタンポポみたいな人なんだなと思った。主人公になりたいけど、財産がない。だけど、主人公になりたいから、たくさん思想を深めて、正しい明るさを備えてはいるけど、なにが彼を遮って光を奪うのか。これを読んでもさらにわからない。でも、国崎ってめっちゃ伊藤ちゃんの少ない財産だよねーと思った。

⑤へんなの 国崎☆和也

ランジャタイの頑張れ地上波で、伊藤ちゃんが国崎に哲学の本を借りたら、国崎が気に入らないと思われる箇所に鼻くそがついてあったみたいな話をしていた。国崎にダーティな部分があるとしたらその程度で、まあ要は代々からの職人なのだろう。あとダーティなところといえば初体験がダッチワイフであるところくらいか。……本当にお前はこの本を読んだのか。

⑥旅する練習 乗代雄介

芥川賞という価値というのは、画期的な発明に与えられるものだと思うが、この作者はいっつも芥川賞にノミネートされている。流行ってんのかなと思って読んでみると、この本を読むと無性に小説というかブログでもいいけど、とにかく文章を書きたくなる。

⑦エモーショナルきりん大全 上篠翔

この作者は大変ツイートが面白いのだが、その1ツイート100くらいの価値があるとしたら、短歌には30~50くらいの読書的価値だった。まあ、短歌ってそういうもんでしょ? みたいなことを言われても、「いや、読む無なんて最初から要らねえわ」と思った。

⑧聖少女 倉橋由美子

主人公が血気盛んに「近親相姦、するぞ~!」と言ってる小説で、結局、好きな人から興味を抱かれたいがための丁寧な嘘でした~みたいな話なんだけど、桜庭一樹「私の男」を読んでしまうと、えらくこの話が小物のように聞こえてしまう……権威ある小説なのだろうけど、そんなでもなくない?と思うけど、かといって、「私の男」が名に残ったら大変だしなあ……

⑨蛍日和 小谷野敦

ツインレイは、小谷野敦は小説を書くのが下手だから文化的価値があるんだ、と言っているが、わたしは小谷野敦のことをツイッター以外に購読してないので、やたら文壇の悪口は言うけど小谷野敦は実際どんな人なのかというのはわからず、結婚は2回してるというのもWikipediaで知ってはいるけど、私小説を見る醍醐味って、どこまで嘘か本当かみたいなところがあるけれど、たまたまわたしの知り合いにほたるって名前の美人局がいたので、小谷野敦はそいつに食われたんじゃないかと心配になったことはある。小谷野敦の文章の魅力は、読んでもそれが果たして本当なのかが温度として手ごたえとして測りきれないところにある。幻肢痛と言って、タバコを吸わないと逆に呼吸困難になるみたいな話は、何かの比喩ですか?と訊きたくなるけど、小谷野敦はヒントを配るような慈悲のある人ではないので、読んだままに、感じたままに、読むしかないのである。ほたるって名前は嘘ですよね?

北原白秋歌集

なんか、詩人として名前が売れちゃったので、せめて福岡の詩人をリスペクトしないといけないと思い、夢野久作とか読んでるけどなかなか読めない。北原白秋も、読むのに悪戦苦闘していたが、この詩はお気に入り、この詩はいまいち、と割り切って読むようになってから、さくさくと読めた。赤ん坊のちんぽこの詩が好き。

戸川純の人生相談

YouTubeでたまに見てるけど、本にされたら本にしたほうが読み応えあると思い購入。でもやっぱYouTubeで見た方がいいのかな?

⑫終わりなき日常を生きろ 宮台真司

今更?って思うけど、確かこの時原子力発電の件で宮台真司がバズってたので、この人の言ってることのもっともらしさはどこにあるんだろう?と思い、まず初バズの本を図書館で借りた。薄い本だけど底までたどり着くのに苦労した。いろいろ所感をメモっていたが、前のアカウントが凍結されたのでお陀仏となった。一番思っていたのは、この本を描いた当時宮台真司は、この世界の生きづらさをアメリカのせいにしていたけれど、実際は今日わたしの詩でわかるように圧倒的イニチアチブの日本が齎した空気読めとか察しろとかの文化による脅威が原因となったわけ。この本を出したことを宮台真司は多分反省していて、回心して、今はインターネットの法皇になっている。

⑬きれぎれのダイアリー 柴田聡子

柴田聡子の曲を聴くたびに「これはすばらしい文才だ」とか思ってたけど、意外と世の中をしっかり生き抜いている遊び娘なんだな~と思った。中島みゆき的な信心はない。

⑭渡辺玄英詩集

読むのに1か月くらいかかった。セカイ系というのは、感覚としてはぬるま湯につかっているとは思っていても、那由他くらいの時間を過ごしている。その感覚を絶妙にとらえたのは作者が僧侶だからなのだろう。あとがきとか解説とかが一番面白かった。

⑮しろいうさぎを狩る者たち 渡辺玄英

これは1時間で読めた。意外と学術的な話になった。涙が出そうなくらい、詩集内の空気が澄んでいて、寒くて、じんわりと癒された。

⑯さみしいときは青青青青青青青 ――少年少女のための作品集 (ちくま文庫 て-6-4) 寺山修司

読んだらわかるけど、寺山修司生きてるって。88になっても、こんなにポエジーがあっていいんだ。

⑰蜜の味 壇蜜

なんとなくブックオフで買って5年くらいして読んだけど、壇蜜は自分のことおしとやかと思ってそうだけど、ザーメン飲む人ってふしだらだし、それを実践してくださいねって言うのは、まあこの規模の安いムックだからできたんだろうね。

いい加減祈りって何だよ

最近はパソコンを置いている机に麦茶をぶちまけて、ヒヤヒヤしたけど何にもなかった。秋にも麦茶をぶちまけた気がする。

ネットの記事で「東京はあなたを何者にもしてくれない」って言ってたけど、「何者か」にならないといけないんだ…と思った。きっと、この人たちにとって「なにものでもない」という肩書はわたしの意味とは違う。誰かにとって特別でありたいと思っているくらいのニュアンスなんだろうけど、そういうのは低次元の話で、慶応義塾大学に行っててそんなこともわからないんだ、と思ったし、大学って、いい大学って、高校生にはわかってたまるかって話だよなと思った。

わたしにとって「なにものでもない」というのは、「今のわたし以外に挑戦してみたところはあるんですけども、すべてうまくいきませんでした」の略だと思う。

わたしは松永天馬と心が通じ合っているのだが、夢に過去のデモ曲を流してくれた。その中の歌詞に「あなたは何にでもなれるけど わたしはわたしにしかなれない」という腐り文句があった。その当時の松永天馬の切実な思いというのは、わたしなんかよりあなたのほうがずいぶんよくわかってるはずだ。マイノリティとして生きるというのは、最近感動したのが、バキバキ童貞チャンネルで「マリオネットブラザーズ」というお笑いコンビの井上大生が「魚のピチピチっとした跳ねがシコくてそれをおかずにオナニーしている」という漫談をやっていた。井上はAVを見たことがないらしく、釣りとかの番組を見てムラムラっとして床オナで果てるみたいなことを言っているが(井上ってまあまあイケメンなのだが)結局、ケモナーということで幕を閉じる。ポケモンでシコるらしい。わたしの肌感覚、ポケモンでシコるケモナーはかなりマジョリティだと思う。つまり、井上は「わたし以外のわたしになった」と言ってしまう。(わたしからすれば)

人を愛する時、誰でも愛せて結婚できる人と、結婚において全人類と波長が合わない人と、運命の相手が確実にいる人といると思うのだが、そういった意味に限らず、わたしだって金髪に染めたいのに仕事上黒髪ぱっつんロングじゃないといけないだとか、そういう類の決まり事を集約して、松永天馬は松永天馬じゃないといけないんだよ、みたいな吐露を言われたとしても、わたしにだって、どんなに世の中で仮の姿を盗んでも、結局ネットの人格に人生を支配されるみたいな感覚は最近持ち始めています。あまりに、のびのびとやっているので、嫌な思いをしたとしたら不二家のバイト首になったくらいだけど、あの頃あからさまに不二家に媚びて見つかってくれと言わんばかりにケーキの感想ばっかツイートしてたし、そこは織り込み済みなんですけど、「あなたはなんにでもなれるけど」か~。って思いました。

わたしにとって「東京」というか最早「荻窪」は、わたし以外のわたしに会う絶好の機会でした。しかも二人も会った。みんな仲良し、ってわけではないので、マンツーマンLINEで交流しますけど、なんか2か月しか居なかったのに、それだけが景色というか。それだけじゃなくて、大久保の「ひかりのうま」で会った木本周磨さん(今名前がやっと思い出せた)とか、マルタさんとかに認めて頂いたり、なにより戸川純がいた場所で「ポエトリーリーディング」したり、違うところのオープンマイク「マルカフェ」で「戸川純みたい」と言われたり、わたしにとっては、東京に居ることでなにものかになれるきっかけを持つ前触れみたいなのは確実にあった。けど、「あなたはなんでもやれるけど」わたしはバイトができないんですね。東京ってバイトするのめちゃくちゃ難しくないですか。東京にいる人って、バイトしなくても生きていける人しかいないんじゃないですか。そういうところですよね。何者かになる、というフェーズではない。

「あなたはなんにでもなれるけど わたしはわたしにしかなれない」というのは、恨み節ですよね。でも恨み、がある意味「祈り」だったりするな。って思います。

恨みを祈りに、祈りを願いに、するためには何をすればいいんでしょうか。マリオネットブラザーズの井上は、彼女とか結婚とか欲しくない感じだろうし、ないひとにはないんですね。欲望が。祈りというのは、非常に切実。ペンタクルの3とか5みたい。祈りは一種のファインアートであり、しかしそれが願い事の一個として「叶って」しまうと、どうなるんでしょうね。報われるために挑みにいくのに、報われたことで負けてしまう。祈りは冷凍保存で真空パックに入れた思い。でも、それを腐らせないと始まらないこともあるでしょう。つまりは、シンプルに言えば、失恋ないしは失望をたくさんしましょう。失恋したら(失望したら)、した分だけ、祈るのがうまくなります。うまくなった祈りを自分で客観視すると、すごく感動します。祈りがうまくなると、報われるとか報われないとか、どうでもよくなります。あなたを思うことでわたしがわたしを証明する。能動的になるはずなんです。

2023年見た映画を振り返る

①グッドバイ、バッドマガジンズ

中洲大洋で貸切状態だった。主人公の顔がいかにも優秀そうなタマの顔をしていて、なんか無性にムカついた。こういうのが面接に受かってわたしは落とされるんだろうな、とこの当時までは思っていた。まあ結局そういう人(面接に受かる人)は、自己本位で、会社を辞めることになるのだが、その行く末って実にさまざま。っていうことを解らせられる映画だった。わたしはそういう映画だと思った。出版業界にシンパシーがある人なら、「今の時代、文化、ないから」というセリフに何を思うんだろう。そのセリフを作った人は2025年を迎えたら何を思うんだろう。思えば、2010年とかにデビューしたカルチャーってすべて「手駒」なんだよな。何の?って言われると、「時代の」としか答えようがないが。2020-30年に世に出たかったという後悔があるんじゃないのかと思いつつ、2020にデビューするわたしとしては2010年代デビュー組の顔色も伺いつつの世渡りをするまでだろう。

②日の丸~寺山修司40年目の挑発~

たくさん感想を持って、持って帰ろうと思っても、10個あるうち4つしか思い出せなくて、やがて2個くらいになって、今でも覚えている事柄としては「寺山修司具志堅用高に喋り方が似ている」ということと「戦後であってもキャラメルとかおまるに愛国心が代表されていて、熱い」と思った。愛国心があると、君が代を歌わないらしい。わたしにもし、「日の丸とは何を指しますか」と言われたら、いのち、としか言いようがない。いのちには、血が入っている。虫には血がないが液はある。いのちのかがやき君を揶揄する人はいるが、あんなもんだろ人間。とりわけ日本人。みんな皮膚を剥がしたらいのちのかがやき君みたいななりをしているだろう。それがいのちのかがやきだろう。愛国心はくだらない、という意志が多分寺山修司の発明なんだろうか。

③ベネデッタ

今年の一本。めちゃくちゃ影響を受けた。統合失調症的映画(他、「ダニエル」「チタン」)なのだが、大前提統合失調症とされる人は、各々に神様がいる。神様がいると自覚したらだいたい治る。神様が見つからないうちは、めちゃくちゃ薬飲んだり、嫌な目に遭う。さてこの主人公ベネデッタは修道院が巷に存在した時代背景上「自分にはイエス・キリストが昔からわたしを守ってくれている」「わたしはイエス・キリストの妻である」自覚があるのだが、それは、実はただの一介の悪霊なんだけど、その悪霊をイエスとは違うと証明できないという映画だった。このような不幸が起こるのは、統合失調症を該するに、「神様が圧倒的に主体(憑代)よりイニシアチブをとっている」ためによって、起こった一騒動なのだが、ベネデッタは一貫して裁かれず、ただただ教会の要職についていた人たちが陥落した。ベネデッタは悪霊の成すままに暴れまわり、そもそも、なぜ悪霊はそんなに人々を脅かすことができるのかというと、悪霊が生まれるくらい、人々の中に悪があったからで、ベネデッタは結局生涯なにか正義に責められることはなかったが、晩年部屋が与えられずほぼ乞食みたいな感じだったと締めくくられるのだが、かわいそうな人でしかなかったんだろう。わたしは、この映画を見てから、かわいそうにならないためにはどうしたらいいんだろうとずっと考えていた。たとえわたしがベネデッタの生まれ変わりだとしても。

④詩人の血

ジャン・コクトーの映画。ジャン・コクトーは松永天馬がよく引用しているので、博打的に面白いのかなと思ったらなんのことないただのファインアート映画だったので面白くなかった。短いというのがよかった。

⑤オマージュ

韓国映画で、ここに出てくる売れない映画監督というのはつまりこれを撮っている監督のことであるが、ロードムービー的映画だった。「文系大学生が出世するためにやるべきこと、それはポエムだ」というポエムが流行っている描写を見て、なんとも言えない気持ちになる。

⑥花子

まひるのほし」が感動するくらい良かったので、同じ監督のDVDを買った。花子はお母さんが作ってくれた絶対おいしそうなご飯を畳の上に置いて、なんだか飾り付ける。それに気づいたお母さんは写ルンですで毎回写真を撮るようにする。なにがいい、とは一概に言えないけどこれまたよかった。花子が姉に対していやがらせをやっている、という場面があったが、姉が勉強しようとすると花子が邪魔するらしいが、思うに、花子は最初からこんなものが役に立たないことを知っているから、諭していたようにしかわたしは思えなくて、花子はめちゃくちゃ常識に対してロックだった。花子の母親は「花子を見ていると絶対退屈しない」と言っていて、母親だなあと思った。わたしは花子でありたい。

⑦リトル・マーメイド

リトルマーメイドが有色人種で再現しますよ!っていうニュースが大学時代にあって、その時のキャストとは違う人だったけど、オレンジ色の肌の人がアリエルを演じていて、エリックがちゃんとアリエルに本気で恋してたようにしか見えなかったのが面白かった。なんかずっと泣いてた。人間が好きなのに海でしか生活できないってつらいなあ。

さらば、わが愛/覇王別姫

レスリーチャン(蝶衣)がこの映画に亡命したけど、小楼がかっこいい映画だよなと思う。小楼は調子者でそれが命取りになるけど、そうやるしかやりようがないよな……と思う。博多駅をあるくと小楼みたいな中国人がいてしんみりする。小楼が好きってことはつまり、菊仙がめちゃくちゃ活躍してるから好きなんだけど、映画の中ではあんまりいい思いをしないまま小楼の前から消えてしまった。「青木将校が生きていたら京劇を日本に持って帰っただろう」というセリフを見てすごくびっくりしたけど、思えば大学のゼミでこの映画観たことがあって、その当時はなんにもわかってなかったなと思った。

⑨美女缶

自主製作映画史上最高傑作だと思う。この映画からどこか真似したくなるくらいやみつきになってしまう。この映画を見た近辺に「おもしろいひも」という小説を書いた。

⑩ママボーイ

台湾映画だけどローカル風味がなかった。しいて言うならば「マザコン」と言うのではしっくりこないような、まさに「ママがいないと何にもできない人」という意味で「ママボーイ」の主人公なんだけど、筋書がしっかり三幕構成で勉強になった。ビビアンスーが枯れてて本当によかった。

⑪オオカミの家

映画を作る作り口は豪華だけど、こういう作り方って疲弊しないんだろうか?と思った。まあアニメというのはブラック企業のやる手品なので、仕方ないだろうが。事前情報なしで見たけど、かえってそれが損している気がする。

⑫鯨の骨

あのちゃんってすごいんだ。って気づいた映画だった。かねてからあのちゃんというのはカリスマ性が凄いとかなんだとか言っていたけど、ぱっと見夢眠ねむと似ているので、まあその人も凄いからなとか思っていたけど、この映画を成立させるうえで、あのちゃんというアイデア、アイコンがなければ着想しなかっただろうな、という点ですごいなと思った。設定の作りこみがおしゃれで大変満足した。オチもいいしね。

 

小説・愛されるということ

友達とカラオケに行くと、友達が「愛している」という言葉を口にする度、「愛」という単語がべちゃべちゃに発音されてて、この人は愛に縁がないんだろうと思った瞬間、次にわたしが愛について歌うのがとても怖くなって、その日はすぐに帰った。

わたしは愛について解っていると思う。それなりに修羅場のある恋をしている。わたしの好きな人は会社の上司で、上司には妻子がいる。

わたしはツイッターで「社内恋愛というのは、近親相姦のようなもので、従軍慰安婦に本気の恋をしているようなものだ」と言っているのを見て、よくわからないけどパワーワードに惹かれた。従軍、慰安婦……。

上司はわたしとたまにスタバとか行ってほっと一息をつくと同時に、足を絡めてジト目でこっちを見て、「この後どう?」みたいなことを言う。上司が勤務時間ちょろまかして、3時に上がって、2時間休憩して、5時半に帰る。上司からわたしに注がれる目は愛しているのかもしれない、と思う。

上司が本妻とクリスマスをやることについて、何にも思わないわけではないが、何も思わないとほぼ言ってもいいくらいに、わたしは現状に満足している。今まで普通に、普段通りに生きていたら、愛なんてものはついぞ知りえなかっただろう。

わたしは博多駅を歩く。さまざまな顔がある。ああ、この人には愛がわからないんだろうな。そう思うと、腹の底から笑いがこみ上げてくる。ははは。愛。ほんとうに、ちょっと道を踏み外しただけで、いかようにもくみ取ることができるよ。愛はね、被ばくなの。胃もたれするような劇薬を浴びることなの。あなたは知らないでしょう?

上司はインターネット上ではわたしに媚びを売らない。明日の予定が連絡に書き込まれており、明日も上司とコーヒーを飲むんだろうな、と察した。

ふと、マンション街を歩く。寒い日は寒くて、脳みそだけは沸々と熱い。人間蒸発しそうなので、寄り道という冷え水を浴びる。

そこに占い屋さんがあった。占いと看板が出ている。わたしは冷やかしで入ったつもりが、内装がこれでもかというくらいに意匠を凝っているから、わたしはそこに立ち止まってしまった。

「占い、やっていかれます?」

店主のようなキューピットのようなおじさんにそう言われて、占いをやってみることになった。

「いま、アザミさんが空いてます」

「アザミさんってどんな人ですか?」

「タロットと西洋占星術の人です」

あざみさんのブースに入ると、あざみさんは顔が全然わからなかった。

「初めまして、アザミです。きょうは何を占いましょう?」

「あー……」

わたしはたじろいだ。これから話すことは、誰にも言ってないことだから。

「わたし、不倫しているんですけど」

「ああ、まあ、不倫ね、はいはい」

「この不倫は、いつまで続くのかな……、って思います」

「なるほど。見ていきます」

占い師は、カードを混ぜて、私にカードを混ぜるように指示した。

「あなたの気をカードが汲みますので」

わたしは雑に混ぜた。カードの向きを左を上にするかか右を上にするか決めて、好きな番号を言う。9と答えた。

「はー、あなたは、現状に不満はないようですね」

「え、はい、そうです」

「奥さんと別れてほしい、もなく?」

「そうですね。こだわりはないです」

「なんだろう、カップのキングが正位置で出てるから、満足しているのはありますよね」

「そうなんですか」

「でも、ソードの3がね、出てるんですよ……」

「なんですかそれは」

「端的に言えば、傷つく感じですね。近い将来相手にがっかりするかもしれません」

「そうなんですか」

「あと、月とか塔とかのカードも出てるんで、言い方アレかもしれないけど、今相手に対して幻想を抱いていますよね。それがボロボロっと崩れるかも」

「つまり、何が言いたいんですか」

「タロットって、3~6か月の未来を占うので、そのくらいには、ご破算するかもしれないですね」

「あ~、そうなんですか」

「平気そうですね」

「わたしは、満ち足りてるんで」

「でも、それが、幻想なんですよ」

「じゃあ愛ってなんなんですか」

わたしは荒唐無稽に口走ってしまった。支離滅裂だろう。

「愛? 愛か……愛ってのは、靴擦れする靴を無理矢理履くものでもないですよ」

「わたしが無理してるんですか」

「そうじゃないけど。愛って先立って実感しているうちは偽物ですよ」

「いつかわたし、に、愛が、わかりますかね」

「生年月日おっしゃってください」

「1994年×月×日です」

「…………。じっくり、待つことですね。遠くはない」

「はい」

「でも今の人ではない」

「はい」

「愛ってのは、わからなくていいから」

「はい」

「死ぬ前に自分はいい思いしてたな、って気づくくらいがちょうどいいから」

「わかりました」

わたしは3000円払って外に出た。

後日。上司は、惚れっぽい人というのがわかり、今は聞かないのでおそらくわたしだけだが、わたしがこの会社に入る前にいろんな女の人と仕事中にラブホテルに言ってたらしいというだけの情報がなぜか今更入った。わたしは仕事を辞めた。

わたしは一人でカラオケに行って、相対性理論の「YOU & IDOL」を歌う。

(あい あい あい あい 愛のラビリンス)、という歌詞で、愛を歌うが、相対性理論の曲は愛に比重を置いていない。逃がされている。愛から。しかしわたしの歌声はなんとも頼りなく、しぼんだラナンキュラスみたいな。わたしの今の見てくれのようなものだ。

愛について知っていたかのようで、全然知らなかった。そこにぐっと落ち込んでしまうけど、きっと杞憂なんだろう。わたしは愛を知ってたまるか。