文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

私のことそれでも愛してる?

ねえ、私って太ったじゃない。一か月で6キロ太ったの。わからない?

なんかもうイライラが止まんなくて、手あたり次第食べちゃうの。ナチョスとかチートスとか、味の濃ゆくてご飯にでも掛けたら全然お茶漬けにでもなりそうなお菓子を最初にガツン!と食べるの。それでも意識はあるから、無を食べるためにわざわざそうめんだったりうどんだったりを湯がいて食べるの。でも最近それにも慣れてしまったから、明日の朝食べるはずのメロンパンとか菓子パンにジャムをいっぱいかけて食べるの。結局朝なんてないものに等しいじゃない。朝なんて着替えて出るだけなんだから。食べてるけど、食べてるけど、これでもうよしと思えなくて、また今日もこの後戦争が起こるように食べるのよ。

私さ、今の状態なんてほんと奇跡なんだって。私が私じゃなくなっても、愛してくれる?

何薄ら笑ってるの。愛してくれるとか言ったから? 私は本気なんだよ。今この状態なんて限界の限界を重ねて奇跡の末成り立ってるから、本当はこのスカートの上にどれだけ肉がせめぎ合ってるかとかあなたはわかんないでしょう。

たまに思うの、今若いからこうして「目に見える」ような体でいられるけど、私があともう少し苦労したら、絶対バケモノみたいになるかもなって思う。わたしは窓口でバケモノの相手をしているけど、あいつらと私の違いって何とか考えたら、平気で朝が夜になるの。その間仕事してるからとかもあるけど、そうじゃなくて、単に私って運が良かっただけで、この後しくじったらいつでもあいつらと訳が一緒になってしまうことになるんじゃないかって思う。私はバケモノに優しくあろうと思っているけど、あいつらみたいに、馬鹿だからこうなってて、なのに無垢で、ただ自分以外の世界がなにひとつ見えてないところだけが残酷に恐ろしいということが突きつけられるけど、私だって、今あるものしか見えてないわけなんだし、いまだに日本が戦争した理由なんて、窓口で訊かれたりするけどそんなものわかるわけないし。

とにかく、君に愛して貰えている間は頑張ろうと思える気がするんだよ。どんなに残酷的に馬鹿でも、私のことを気にしてくれる人がいるだけで、少しだけかもしれない、一ミリかもしれないけど、成長できる気がする。成長なんて、リクナビみたいであんまり好きじゃないけど。少なくとも今の語彙ではそうなる。

 

私はこうやって恋人にくだを巻いていて、恋人はさざなみのように頷いていて、この後あんまり食べたくないから無理矢理酒ばっか飲んで、頭がぐわんぐわん言って、結局救急車に運ばれて、お金がものすごくかかった。

あれから数年経って、私は生活のコツをつかんだ。風呂は夜入ることとか、食べ物は朝昼晩三食食べるとか、時間が見つかったら、計画を立てて、掃除などをするといったマメさを手に入れた。

あの時のめまいがするような食欲は今も縁がないわけではないけれど、仕事をする上で収入と支出のメリハリをつけることによって、美味しいものを実際に美味しいと感じるようになったかもしれない。

しかし、恋人はいなくなった。私が至らないのもあるかもしれないが、そういうことじゃなく、心を病んでしまったがゆえに、私の前から消え去った。普通、病気になったら恋人との縁が強くなって、逆に私が別れを切り出すほうなのかもしれないけど、恋人は「旅がしたい」と言って、私に何もいわずにどっかへ行った。最後に連絡したのは半年前で、青森に落ち着いているらしく、恐山のパワーと相性がいいみたいで、多分私が青森に行かないと恋人には会えない。

私は若かったと思う。どんなに今あるものを握りしめても、ただ壊れていくばかりなのだろうということを最近初めて知った。今あるものが永遠だと思っていた。過食も、馬鹿みたいに次々平らげて、自分が自分で恐ろしかったけど、その時だけだった。今思うともっといいものを自分に食べさせてあげればよかったと思う。

あともう一つ気づいたことがある。私はバケモノにはならないだろうという確信だ。それは仕事に慣れたからというのもあるが、根本的に私はバケモノとは一味違うというのがある。私は特殊能力がある。客観的すぎる。平たく言えば自分のことを馬鹿にし過ぎている視座を持っているが、それさえあれば努力がいくらでもできると思う。とはいえ私もいつかバケモノになるかもしれない。バケモノはたくさんいて、みんな自分がバケモノであることに傷ついていて、だから月に七万も国から補助されて、痛ましい人たちではある。昔ほどバケモノになるかもしれないという恐怖はなくなり、その時が来たら私もしかるべき控除を受けようというつもりでいる。

私の友達はスピリチュアル的語彙でバケモノについて語ろうとしているけど、私はもっと身近な言葉で表現できないものかと思っている。その時代がくるのも結構後だろうと思う。

私は昇進した。30を前にあらゆる恐怖にカタがついたと思う。40になると、もっと怖いものがあふれてつらくなるのを周りの大人を見て感じてきた。恋人と結婚するにも、出産するとしても、しないとしても、怖いものはたくさんあるだろう。私はそれを一つ一つ克服していくのみだろう。