文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

鬼龍院翔の悲喜こもごも

最近、博多駅で殺人事件が起こった。ストーカーやってたから積もり積もって刺したとか言いたいんだろうけど、普通に博多の空気が悪かったから刺したくなったんだと思う。空気ですべてを語るとキレますか?なんでも空気でしょう。変な話ウクライナがロシアの標的にされて物流止まって不二家のクリスマスケーキがもう少しおいしかったら世界は違うと思いますよ。本当1月17日の空気は汚かった。春か?ってくらいうかれていいのか戸惑うような陽気が、いやいやまだ今は1月ですよ、とでもいいたげに寒気がロシアから降りて、寒くなり始めた時、その時代においつけずに本当の春を迎えられない人がここに生まれてしまったな。と思いましたし、結構全国各地、子供が親を刺したりしてる事件あったりして、季節を感じるのって命がけなんだなと思いました。大学入試がこの時期に起こるのは必然で、春を前にして自分の精神はいかほどかを知るイニシエーションなんだと思います。私は。私は粉砕したと思ってたけど学力的に貯金があったんですねえ。

そんなときに、17日くらいからゴールデンボンバーを聴いている。トラウマキャバ嬢という曲が好きなのだが、脳内で狂い踊りまくった。工藤静香風の振り付けは履修せず。

ゴールデンボンバーといえば、歌広場淳の素行が悪いというのがあったが、そもそも鬼龍院翔もファンを食い散らかしており、さまざまな女の人と文春を通して揉めているという印象がある。そんな中去年くらいに結婚して謝り倒していたが、歌詞を見てみると、令和の中でいかに素行よくふるまうのかというのも気にしているだろうし、結婚して落ち着いて何を思うのかがこれでもかというくらい赤裸々に描いていて、だからゴールデンボンバー好きなんだよな!と思った。

トラウマキャバ嬢の解釈、いろいろあるし、そのどれもを妨げることはあってはならないと思うが、私から見たらキャバ嬢にトラウマを植え付けられた曲だと思う。詳細を言うに、いろんな自己主張しているけどそれって逆に悪目立ちしてるよ?みたいなこと言ったら、たぶんキャバ嬢がショックを受けて、鬼龍院翔が機転を利かして今の言葉が頭の中を駆け巡り、全力でいいほうに多分回収したんだと思う。そこの優しさにキャバ嬢はうれしくなって、ヤリマンサービスしたんだと思う。だけど、あの優しさを求めて再び接する鬼龍院翔にキャバ嬢は冷たい。「勘違い?嫌われてる?その答え出なくて」、ただそこにトラウマが生まれたというだけの曲だと思う。この曲を聴いて、本当に鬼龍院翔は単純で馬鹿でモテないんだな~というのが伝わった。単純で馬鹿でモテないから、鼻くそみたいな女を追い回すことになるんだろうなと思った。

鬼龍院翔は「今夜も眠れない(病的な意味で)」で寝る前に自問自答を課されているということを告白していたが、要は鍛えられていたのだろう。被害妄想で自分を磨き、女々しくてという傑作を残すべく日々鍛錬していたのだろう。だけど弊害として、底なしの自信喪失みたいな深淵を自分に孕んでしまったのだろうと思う。だから文春に売るような汚い質の女ばっかりのまんこで自分を癒していたのだろう。本当に好きな人に出会ったのか疑問である。そのまんこたちの中から人生を癒す名器はあったんだろうか。本当に疑問である。10年後離婚したりしない?今はささやかなしあわせのように見えるけど、のちのち税金が莫大にかかる買い物だったりする。結婚というのは。私は鬼龍院翔にしあわせが宿るように思えない。最新作の「ありふれたうた」は、今まで見えていなかったしあわせはささやかさ、つつましさのなかにあるということに気づき、君が生きてるとせめてもの実感することでこれだけは間違いのないものだと思いたいのかもしれない、が、そんなことまでしなくてもしあわせというのは常に自分を浸しているものである、という実感に辿りつかない限り、しあわせと思っていてもやっぱ違うというフラストレーションのサイクルはいたちごっこだと思う。しあわせというのは、うまい海鮮丼を食うじゃないですか。それで一か月やっていけるみたいなノー天気さですよ。基本私はノー天気だと思いますよ。出来事を興そうとしない限りは。そこが悩みどころなんですよね。今のままで当分はうまくやれる自信がついたはついた。しかし今のままで一生が終わると多分人生を否定しないといけなくなる。そこで、お金をかけずに出来事を興すにはどうすればいいか。祈るようにツイッターやってます。孫女装子らの人が祈りを軽んじて口走っているのを見るたびお前は報われなくて当然だな!と思います。報われる祈りとは、何があるのでしょう?