文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

ディルドを買っておいてよかった

ディルドを買っておいてよかった。蟻にティッシュを食べられるけどアースノーマットをつけると蟻が来なくなるような気がする。

楽天カードは締め日が月末で、1日にクレカの残高が復帰するので、7月1日に10万円分買い物した。

買い物序盤は思っていたよりお金がかからず、RMKはリフィルを買うことで2000円安くなり、革靴も当初1万円の予定が3000円安く買えた。パフェもメロンやマンゴーを食べなければ1千円安く食べられることに気づき、1万1千円浮く。しかしパフェを食べている途中でテレビ大陸音頭のアルバムのキャンセルが不可ということに気づいてから風向きは変わり、スマホの機種変の時に謎の頭金1万1千円を請求され、とりあえず機種を買ってしまい、じゃんぱらという中古屋さんで8000円で売れると踏んでた機種が6800円にしか査定が伸びず、死ぬかと思った。しかし6800円を通帳に入れると、ギリギリ借金をせずに済みそうな勘定であることに気づき、いのちを吹き返す。

そんな大変な思いをしてまで買い物ってするんだなと思った。買い物って、本来こんなものなんだなと思った。買い物をして、損をするのはもちろんのこと、ブランド物を買うあまり、家計簿が破綻することもある。そのすれすれの味わいこそ、買うってことなんだと心得る。中村うさぎの気持ちがわかる。でも中村うさぎは私に「真似しない方がいいですよ」とリプをしていただいたことがある。それはそうだ。しかし、私は月7万の年金をやりくりして、いかに社会からいいものをぶんどるのかに賭けている。

買ってよかったものがいかに買ってよかったたるのかは、失敗しないとわからない。でもその失敗というのは日本社会において安く済まされている。例えば、RMKのようなデパコスを買って、もうドラックストアのコスメには戻れないことを知るとする。その時にドラックストアで買ったBBクリームとファンデーションは捨ててしまう。或いはメルカリでまとめて売ってしまう。(そして売れない。)そういうのがあるけど、CHANELのアイシャドウを似合わないのを買ってしまうくらいの失敗はありかねない。

買い物を失敗しないためには、よくよく選び抜かれていないといけない。昔昔からイデアがないといけない。

昔々からイデアがあったのは、ディルドである。あれがずっとずっと欲しかったけど、家の住所に届くのはなんか嫌で、配達員はきっと自分が配達している物品が何か知ってると思うからなかなか買えなかったけど、元彼の住所で電マを買い、それが家に届くのは元彼と別れた後なので2年後、性生活が快適になった。電マではフロイト的に男根が足りないので、ディルドをTemuで買った。色んなもの(ヨガマットなど)と合わせて買ったので、カモフラージュはできてるはずだが、それでも配達員はディルドのことを知っていたような気がする。かつてのフォロワーの女子高生は破綻した家庭でディルドを手に入れることができ、いつでも潮をぴゅーと噴いていた。私は潮を噴けないが、ディルドと電マを両方使ったオナニーを実践したところ、これ以上ない満足感を得た。ディルドと電マは買っておいた方がいい。ディルドがないばかりについついマッチングアプリで現地調達しようとして手痛い出費や怪我をするくらいならディルドでオナニーしたほうがいい。

あと買っておいてよかったものを挙げる。聖書。読まない本(大槻ケンヂ)。ビビってきた絵本。ビビってきたBRUTUS。タロットカード(備蓄含む)。オラクルカード。DVDを読み込めるパソコン。それとは別のちっちゃいパソコン。10万円するイルビゾンテのリュック。写真集。色々あるが、インターネットならではの買い物で、かねてからツイッターをフォローしていて、その人が紙媒体を売っていたから買ったみたいな買い物は成功率が高い。満足度が高い。

人にあげたものであげなきゃよかったと後悔しているくらい愛着のあるものを人にあげてしまう。それくらい買い物に失敗してない。「セックスボランティア」という本と、「神様のいない日本シリーズ」がある。読まれてないだろうな。

買ったものと同じくらいのクオリティの高さで創作したい。

かわいそうといわれることってどういうこと?他

今月は色んなツイッタラーに叩かれた。まず藤谷千明さんが私を叩いたのだが、中村うさぎさんが一参加者として参加する読書会で、藤谷千明さんの新著「女性用風俗~」が取り上げられたことを、空リプで「藤谷千明さん観てますか」とか言ってたら中村うさぎさんが私にリプして、厳密には二村ヒトシさんの紹介であることを告知していたのだが、それを見た藤谷千明さんは私を名指して叩いて、これ以上失礼なことをするなと言われた。しかしその後「ごめんなさい」みたいな画像をリポストしていて、よくわからなかったが、私は藤谷千明さんに空リプしてはいけないみたいな出禁罰則が新たに設けられた。

あとアーバンギャルなら知ってると思うけど、カミソリレターブレスレットで流行ったmillnaさんと言う人が、私のポストで街を歩く醍醐味は街行く人の顔!みたいな発言があるのだが、ミルナさんも同じようなこと言っていたので、パクリだなと思って、ミルナさんは私のパクツイしてる~と言ったら、ブロックされて、統合失調症というところで私を批判していたから、人権侵害も甚だしいなと思った。私の落ち度はアーバンギャル、そしてアーバンギャルド出禁というところだろうと思うが。

ミルナさんは最近妊娠糖尿病も併発していながら流産していたのだが、そこで私がなぜ人にそっくりそのままかわいそうだねと言われないのかフラストレーションを勃発させていた。だから、ミルナさんに失礼なことをする人は現状いないはずだと思う。例えば反出生主義とかも、妊娠しないという今後の選択もありだよと応援する気持ちの裏返しであり、それに対してプリプリさせているミルナさんは、やっぱ妊娠を経て感情が多感になっているのだろう。よくわかんないけど、最近ミルナさんをフォローしたばかりだし、よくわかんないけど、ミルナさんはアンチにも協力的だったから今の名声があるのではないか。

かわいそうな人に、正直にかわいそうだねと言う人は、そんなにいないというのは常識として我らが知っておくべきことかもしれない。

ミルナさんがなぜかわいそうだね、よしよし、されないのは、流産というケースは母親として強くならないとどうしようもないケースだからなのではないか?私はどう見ても人の世話で苦労したことのない人間だが、父方の祖母が水子に悩まされたんだろうなと祖母が死んでから思うことがある。別に流産したから、明るく生きなければならないことはないのだが、水子が枕元に立つときに、水子に対しても教育的でないと水子は成仏しないのではないかという見立てがある。だから、流産したら他人によしよしされている場合ではなくなる。

むしろ、ミルナさんからはゾッとした……と揶揄されたが「流産した人に冷たくしたら自分も流産するのではないかという前提のもと発言している人がほとんど」という私の主張を、どれだけ曲解せずにミルナさんが受け取ったか謎だが、私も含めてみんな、ミルナさんの敵ではない。敵ではない人を敵だと見なして、自分の身内に援護射撃を求めるのは甘えである。だから、アンチ問題は芸能人にとって難しいのである。

ちなみに私の話をすると、私はアンチはいるにはいるんだけど、私のフォロワーとかも含めて「顕在化しない」のが主流であり、誤解を恐れずに言うと、アーバンギャルドのファンの絵師で「ちよ」という一般人がいるのだけど、私が5chでちよが嫌いと言ったら、一定数賛同されたが、その日からちよの私のアンチが始まり、ちよはアンチなのだけど、私の質問箱に定着している人はちよしかいないのである。アンチなのに、身内みたいな顔して、それがちよにできうる最大限の復讐なんだろうと思うが、まあちよ以外にも利用者はいるし、ちよが身内面することで、北海道大学にいる唯一の私のファンが叩かれたのはちよの工作だと思うし、あとなんだろう、ちよってファンとしては有能なんだなと思う、ちよの働きによってアーバンギャルドの5chが無力化した。

私はこのような厄介なアンチにより、一時期コンテンツを配布しすぎてコンテンツ貧乏になったが、ちよにとって私はかけがえのない情報源なのだろうと思う。

色んな形のファンがいるが、私はそれらがある日突然一切なくなっても、全然平気なのである。なんていうか、世の中の面白コンテンツが、全部が全部インターネットに垂れ流してると思わない方がいい。私が所属している九地下芸人界隈も、全然インターネットに流れてない。大喜利界隈はインターネットが主流の戦場になりつつあるが、実際一番面白いことが起きているのは現場であり、さらに言うと舞台ではない。楽屋ですべては起こっている。芸人を追いかける上で、テレビだけ追うというのは健康的で、病的なのは舞台も全部追っかけているという質だが、お笑い芸人の本当に真髄の面白いところはなんとお客様には見えないのである。お客様にも見えるくらい「漏れ出す」時に芸人は売れるものである。

特別ってなんですかあ?

先週、5/12(火)に友達と会った。その時に友達にとある説教をした。その友達は輪(和田輪かよ!)ちゃんとすると、輪ちゃんは私より年下で1998年生まれの27歳なのだが、45歳の人と付き合っていて、共通の友達の鹿ちゃんによればセックスもしている。鹿ちゃんのことが輪ちゃんは嫌いなので鹿ちゃんをビビらせるためだろうか、私セックスしてるのと告白した話を聴いた。輪ちゃんと付き合っている彼氏はロマン優光そっくりで、きっと輪ちゃんが自分に好意を持ってくれることがうれしくておちんちんから光が駄々洩れになっているのだろうと思う。輪ちゃんはラツーダを飲んでいて、主治医に全てを話している。主治医は輪ちゃんに早く彼氏と別れなさいと言われて、今別れているがLINEでやりとりしている。輪ちゃんは家族ぐるみで詩人の活動を推進していて、親はハンドメイド作家である。

こういう話をしておいて、何かヒヤリハットしないだろうか。そう、輪ちゃんは「特別あつかい」に弱い。鹿ちゃんからヒアリングしていると、輪ちゃんは鹿ちゃんから「あなたのこういうところどうにかしたほうがいいと思う」みたいな忠告を無視して、「鹿ちゃんはものの言い方がキツい」ということで距離を置いている。鹿ちゃんは輪ちゃんに友情心で欠点を教えてあげているのに。

という訳で、鹿ちゃんと輪ちゃんの仲を取り持つために、輪ちゃんに正直の中の正直さを伝えなければならなかった。輪ちゃんにはあなたは特別視する人に弱いから気を付けた方がいいと思う。と言った。でもそれは、かつて私が松永天馬に言われた言葉だった。

松永天馬からの手紙

あなたは特別だけど、社会からしたら特別じゃない、みたいな話は、現状皮肉になっている。さらにいうならば、手紙を貰った2023/1/27時点では、自分は社会の歯車だと思っていた。この5月に、自分はかなり有名で、影響力もあるということがよくわかった。

何を思って松永天馬が私にこの手紙を書いたのか。今になって不気味になっている。しかしながら「客観性」の有無はかなりこの時期から意識的になった。私には当時客観性がなかった。ひたすらひたすら主観性だった。自分の作品がどうみられているかについては何のこだわりもなかった。ただ、自分のおなかからひねりだしたうんちを、ぼとぼと落としてきただけだった。

柴田聡子が「ジャケット」で「君は君の魅力の1%すらわかってない」と歌っていたし、私はとあるカブという友達に「くどまゆ先輩にとって本音に対する建前は小指のようなもの」と言われたが、要するにみんなが備えなければならない客観性は私にとっては要らないということだろう。

でも客観性について一度頭をぶつけて悩んでこなかった場合、友達ができない!客観性がないゆえに友達を喪ったこともあるし、逆に私の有名を利用した友達に、今塩を撒いている。

話は戻すが、数秘術で占うと、確実に輪ちゃんは鹿ちゃんのことを大切にしたほうがいいので、それを伝えると輪ちゃんはほっとしていた。私が言いたい事を聴いて傷つかなくて済んだのが大きいのだろう。

若い頃にある程度報われていたら「野心は大きく」と謳っている社会を見て、自分ももっとを言っていい、と思うのか、いや自分は足るを知ろうと思うのか、謎だが、大器晩成型から言わせてもらうなら若いうちに目立つというのは危険な事だと思う。そんな思想はさておいて、若いうちに報われているのであれば、若いうちに楽しまないといけない。自分のことを楽しめると、予後も安泰となるが、自分のことを楽しむというのは、意外と客観性がないと無理なのかもしれない。自分がどの程度の器なのか、最近のツイッターで流行っているというか、令和の若い文化人はその辺が熟知していて、マジでヤバイ。自分は大器晩成でないことすらわかっていれば十分だと思うのに、自分がどんな役割を担っていて、どんな速度で衰退するか、多分全部わかっている。その上でうまく外してうまく遊んでいる。

輪ちゃんも本当は自分のことをそこまで出世する質ではないけれども、今の段階でこれだけの集客ができるのはすごくないですか、みたいな話をしていて、私も賛同する。私は話を聴く立場にあると思うのは間違っていて、私の場合はどんなに準備していても、誰も来ない興行を打っているかのような、殴られたような日がある。うまく言語化できないけど、今救いの手を差し伸べてほしい時に誰からも何も言われなかった経験があると思っている。それは芸人あるあるだと思うが。でも同じような気持ちを、輪ちゃんは知っている。

色んな人に甘えてんじゃねえよとか思うことはあるが、輪ちゃんにはそんなことを言う気持ちがわかない。がんばっているからというよりは、甘えてんじゃねえよと言うのは逆にハッパかけてると言ってもいいが、そんなことを言うよりも前に、輪ちゃんにとって私はどんな客観性でいようかということをよくよく考えている。

セックス

元彼がほぼセフレ化していたので元彼に「セフレになってくれないか」と頼むことをしてみようかなと思っていたけど、そもそも元彼をLINEでブロックしている。もし連絡を取るなら共通の友人に教えてもらわないといけない。

元彼は気持ち悪いものだと認識している。普通に交際していたら今度は明確に人格否定してしまう。しかし、セックスというものは気持ち悪い人と致すことこそよろこびだと思う。思想だけ見たら私以上にふさわしい娼婦なんていないだろうけど、なんで売春しないのかというと親の顔色を窺っているところもある。でも風俗嬢になっても知らん顔してくれると思う。

なぜ私が売春をしていないのかというと、有名になりすぎていて私を面白半分で指名する人が多そうなのが嫌だからなのがある。有名、というのは、福岡高校とか西南学院大学とかのコミュニティ内で有名というところがある。同級生が私を指名して、噂を作るのが人間として価値を値下げされているような気分になる。まあ要するに水商売する人はマイナーな人じゃないと駄目なのであろう。

性をあけっぴろげにするのはそういう面では無理なのかもしれないが、セフレを作ってしまえばいいというのはある。

逆説的だが、藤谷千明「人恋しくて女性用風俗に行ったあとで考えたお金とケアと欲望のこと」を読んで思ったが、あれを読んで私は「セックスなんてしなくてもいいな」と思うようになった。

セックスのために、ラブホ代、交通費、色んなことを考えても、たかだかリビドーは電マでさくっと終わるくらいのものでしかない。そう思う私はいいセックスに巡り合えてない証左なのだろう。きっと藤谷千明さんも辿り着いてない。しかし、いいセックスに巡り合えたからと言って、なにがあるんだろう。

私は今日も夜這い的に夢の中で誰かに犯されている夢を見るけど、それは辻斬り的なヤリチンではなくちゃんと私と心の中で契約を結んだ人がやっていることなのだと、私は信じていて、だから痴漢的に社会的浮浪者に犯される筋合いはないと思っているのだけど、そう言ったら恋人は「社会的浮浪者=俺」みたいに読んでくるから本当にうざい。

最近は夢の中で妊娠したかのような胃もたれを経て、朝になるとすっきりしていた。カウンセラーとある日話をした時に「あなたは本当のセックスを知らないのね」と言われたけど、逆を返せば本当のセックスを知っているのである。ギクリ。なんか昔のノートというかポエムを読んで発掘した過去だが、本当のセックスを知っているがゆえに、適当な相手とセックスしてもモンマリするのである。

セックスというのは、通過儀礼でしかないけど、どうせ世界と通過儀礼するなら数打って世の中を知り尽くしたいと思っていた。しかし、今踏みとどまっている。おふくろは父親の前に付き合ったことがあると言っていたが、浅い付き合いで、セックスなんて結婚してからやるものという時代だったそうで、親父もどうせ童貞なんだろうし、結婚するわけにもいかなさそうな元彼となぜそんなにセックスしたがるのか、そんなにそんなにしたかったのだろうね、と言われたことがある。確かにセックスは憧れで、すればなんとかなると思っていたけど、セックスの残像が人生をアンインストールしても残っている場合があって、それが忘れられないと、何をやってもうまくいかないものだなあ、と思ってた。別に私が松永天馬とツインレイであろうが、なかろうが、やっぱみんなにセックスの残像が残っていて、それは昔確かに愛されたからだと思う。昔って何?親のこと?とか言うかもしれないけど、親が愛し合ったと言ってもいいし、あなたが、昔誰かに愛されていた証拠なのかもしれない。

最近(2026/5/23-24)中村うさぎにリプを貰ったら藤谷千明が引用リポストしてあなたはすごく迷惑だと言っていたが、確かに藤谷千明の新著の女性用風俗の話につながるけど、藤谷千明は虚栄心がガソリンみたいなところがある。なぜはりぼてが好きなのか。それは彼女の愛するV系にもつながりうると思うが、藤谷千明は新著でサクッと自分も男性用風俗で働いている話をしていたが、それは虚栄心から始まるものだろうなと思った。藤谷千明も40歳半ばで、愛を知っているかのようで、それを否定する生業に就き、男性用風俗で働いていること自体嘘かもしれないけど、男性用風俗で働いてみたとして、膣が狭いことにより血塗れになったりする話も含めて、虚栄心だと思う。肉体を奉仕して、客に奉仕するようでいて、結局は嘘という毒を食わせている。藤谷千明は嘘という通過儀礼を経てかなりショックだったのか、未だに虚栄心を担保に生きている。

そういうのを見ると、セックスって、高度な発明品だなと思う。処女の通説、処女喪失すると血が出る、という話。私は元彼と初めてのセックスをした時血が出て、元彼は何もかも察していたけど、肝心の私は何もわからず。不二家で働いている時に同僚のお姉さんが「初めての時は血が出ないものだよ」とそれとなく教えてくれたが、元彼は初めてじゃなかったことをのちに知ることになるが、その人がどんなに奉仕しても私は濡れなかったのである。愛を語る時に、血が出たと言っては興醒めになってしまう。そんな話を私はここでしたかったのかな。

セックスをする時、自分が自分になる瞬間だと思うが、私は自分の肉体が自分のものではない。相手は私にとっての自分になりたかったと何度も言っているが、そう語るには、私の人生に影響を及ぼしてなさすぎるので、無視するが、色んなツインレイがいて、片や強姦されていても、そこで種を結び、それを俺たちで育てようぜ!と目論むツインレイもいるかもしれない。でも、あなたがあなたとして肉体の主人公の前に人生で登場しない限りは、あなたのどんなに尊い愛もわからない。あなたは愛がわかるとか伝わるとかの次元で生きてないと言うかもしれないが、あなたが神様をやるまでに、あなたが救われたいから肉体の主人公に解脱を命じるという理屈がある。まあつまり、楽しみにしとけよ……今後の俺に。みたいな話をするのは虚栄心である。私ほど自分の根で生きている人がいるだろうか。私はリアリズムというか自分が届く範囲でしか自分を楽しませていない。そこに涎の神様がぴっちりくっついて、ホメオパシーを成しても、よくわからない。将来性の前借りをして菊地成孔に手紙を書いている。確かに、菊地成孔は私の恋人ではないが、思念的に師匠である。お師匠さんのてほどきがないと海外に行けない。

独白

誰かが言ってたけど、初潮がくるのは早いのは誰かから思念上で強姦されたから赤い血を流すのだとかなんとか。強姦されることの脅威とか知らないけど、こわいなと思った。私のことを襲う人は誰だろう、お前か。お前ならちょっと嫌だな。お前か。お前ならちょっとうれしいかもな。みたいなことを考えているうちに、夜になった。

私を強姦する人は、教室のどこにもいなかった。たとえ私がTシャツの上から黒い乳首を晒しても、みんな私のことなんか見てなかったし、私のことをいいと思っている人は、他の女の子のことも物色していたし、私を強姦するような人はなかなかいない。さらに言うと、教室にいる男の子がいかほどの男性器を持っていたか、よくわからない。きっとぶきっちょなんだろう。

私の初潮は、明日始まるのだが、誰が私のことを盗むのか気になって、コーヒーを飲んで夜更かししてみた。私のことを強姦する人は、私の人生の中で一度も登場していない人だった。その人は私の前に現れるやいなや、着ていたピーコートをバッと広げて、男の人のいちもつを見せつけた。私は儀式上、「キャー」と言っておいた。本当は言語化してしまったら大変だが、男の人のちんちんがどうなっているのか、いつもいつも関心があったのだが、こうなったら反射だった。見てはいけないと自分に課した。

しかし男はパンツを履いていて冷静だった。私は10歳だけど、男は23歳だった。男は「君のことは、ようく知ってるよ」と言っていた。私たちは3年後に出会う予定だった。変態ぶっ殺すと思ったら、男はしくしく泣いた。

俺だって変態になりたくなかった。普通に地味な生活をやりたかった。だけどある日隕石が落ちてきた。赤ん坊の声だった。それが日常になり、俺は芸術家になるしかないと気が動転した。お前のことはよく知ってるよ、お前こそが天性の芸術家なんだろうな。でも今じゃただの小学4年生だ。無力も同然。それを俺が革命に転換するんだ。お前は何もできないでくのぼうだろうし、でくのぼうという単語にシンパシーを抱いている。俺はお前がうらやましい。

私の話をさせてください。あれ?でも何話していいか忘れた。

俺はお前をコントロールすることにかけては、10年技術というものがある。お前を黙らせる手段はいくつでもある。でも、いざ黙ってしまわれたら、悲しいな。

何の話してましたっけ?初潮?強姦?

俺は絶対喋らないからな。

何であなたは私のことを強姦するんですか?好きなんですか?

好きとか嫌いとかいう次元じゃないよー。ただ大きくなって僕の手駒になるのを待ってる。強姦は他の虫に食われるのをリスク回避しているだけさ。初潮なんて、意外と簡単なんだよ。熟れた果実をつつけばいいだけの話さ。

あなたは私の王子様なんですか?

王子様ね。魅惑的な響き。それいいね。気に入った。僕は就活も受験もままならなかったけど、誰かにとっては王子様なんだな。君は王子様と何がしたい?

うーん、結婚!

結婚ね。ありふれた話だ。利害一致したらいいかも。どうせ僕を好きな女の子なんていないんだろうし。高校時代は嫌われて嫌われてしょうがなかったよ。っていうか君の概念にはノイズがないね。何か欲望はないのか?歪みは、ないのか?

歪みと言われても。私はブスです。

小学生の頃からブスと言われてもな。君はグットルッキングガールだよ。その前髪を切りさえすればね。前髪を伸ばしていても汚く見えるよ。

風呂には入ってます

でも濡れ昆布みたいにくろぐろとしているよ。君はろくにシャンプーもできないのだろう。

ちょっと眠たくなってきました。寝ます

ちょっと待ってよ。君の人生に初めて出てきたんだよ。手応えないよ。

寝ます。

ちょっとー!

 

私はころりと眠り、翌日初潮を迎えた。

私は何もかもに絶望していた人生だったけど、たくさん絶望していると、少しのことで喜べるようになり、大器晩成という言葉はしっくりこないけれど、色んな人に見られていて、認めてもらえるようになるのはあと5年くらいかかる。そして、あれから20年経ったけどいまだに私の初潮を作った人と邂逅することはない。夢の中で何回も訓練するけど現実になることは未だにない。

絶望という頭を鈍器で殴られたような無力感も、人によっては自傷行為で顕在化させるが、私は自傷行為がわからない。どのみち手首を切っても悲しいのは変わらないしとか思う。2人分の人生をこの身体で生きていても、シンプルなことしかできない。自分に担わせる意味に一喜一憂する人いても、それを蔑ろにする発言をすると人生が大きく後退するのを感じている。タロットカードにも「意味には気をつけろ」と言われるし、ひとりでに何かを紡いでも、やはり誰かの意味を担うというか、誰かが私を見て大きく悲しむことがある。昔はプールに浮かんでいるくらい無知だったけど、自分の気分をチアするには誰かを励まさないといけないらしく、自分ともう一人の自分を切ったりしてはいけないらしい。ここまで書いたらポップな小説が繊細な肌触りの独白になった。

もう一人の自分は創作をやっていて、作品として私と違って残っているので、当時の思想を垣間見えることができるのだが、私の絶望のことを魔法と呼んでいたのが凄く歯痒い。まあ冷静に分析すると私がなぜ絶望しているかというともう一人の自分が私に対して申し訳なく思っているからなのだが、魔法と呼ぶのはどういう意図かというと、希望に転じるためのおまじないと呼んでいる。それがわかってないなあと思う。絶望するのは鍛えているという風に結果的に読めるけど、鍛えていても環境的についてなければ死ぬわけである。私は自分がうまくいっているのは鍛えてきたからではなく、たまたま運が良かったからだと言える。誰のせいでもなく、たまたま、うまくいっただけである。それをお前のような誇大妄想的レトリックを使えばバズるんじゃないか、みたいなことになると、そういう人に対していちいち説教しないといけなくなる。私がつらいのは運が悪かった側の人間になれないことであり、毒親に育てられなかったのもあり、逆につらい持ち物を持っている人に対して、全面的に正直を削がれるのがつらい。運が悪かった人には運が悪い人の言ってることにイエスという嘘をつかないとそれが嘘だとわかる土俵に立ってくれないことである。私は今もなお正直であることを貫いているが、もう一人の自分は私みたいな陽キャではないので、ひたすらネッチョリしている。

赤い染みのパンティーと

私のことを話そうと思う。私の肩書を尋ねられたら何と答えようかいつも迷っているけど、まあ「ツイッタラー」ないしは「ポエマー」だと思う。詩人とポエマーを区別して自分は詩人だと言いたげな人はまあまあいるけど、詩人というのは経歴に裏付けされる現状があるので私はその点経歴という経歴がなくまあ実質「ポエマー」ということになる。経歴はつけたくてもつけたくてもどういうわけかつかない。

私は西南学院大学の出身だが、早稲田よりも東大よりも西南学院大学が好きすぎて、いつまででもあの場所を踏みたくて、未だに裏ルートで入り浸っているのだが、やっぱり西南学院大学の講師になりたくて、ゼミの先生に相談したが、一向に取り合ってもらえず(それはそうなのだが)、たぶんゼミの教授は私が現代詩手帖で賞を取っていたら話を聞いてくれたはずだ。

だからこそ、賞に志願しているのに、現状賞レースで結果を残したのは「名前のない星」という戯曲賞の一次選考突破ということだけだ。この賞の審査員の人にはかなり私の戯曲を面白がってもらえたが、「でも過去作ですよね?」ということで二次審査に進めなかった。過去作というか、戯曲賞自体は2024くらいの賞なのに私が投稿した作品は2017年に書いたものなので「PARCOで個展したいのは今古い」と言われた。でもまあ、過去作を応募してもいいのだ。

ポエマーなのに戯曲賞が認められているのは、まあ確かなことで、いつも手近なテーマをポエムで生産している。逆に言えばポエムをやめたら戯曲なり小説が書けて、それは認められるかもしれないという兆しがあるが、こんなくそみたいなポエムでもツイートでも欲しい人はかなりいて、ポエムやツイートをする限り報われないのではと思うこともあるが、まあ現状続いている。

私は自分の実家の住所をスペース(という名のラジオ)でうっかり喋ってしまったし、自分の女性器を指で広げて見せた画像も公開している。あと裏垢は本名でインターネットをやっている。そのアカウントは失念した名詞を思い出したときに書き付けている。鍵垢ではない。

そんな感じであけすけにインターネットに参画しているけど、たまに私のことを見込んでフォローしてくれる人がいて、自称詩人が多いけど、自称詩人のポエムを読んで、たまに考え込むのが、「ポエムとプライベートは別なのでは?」という視点だ。つまり、詩人がどんなに「君をセクハラしてカバンに詰め込みたい」とか「ストーカーしたい」とか言っても、言ってるだけで、実際はセクハラしないしカバンに詰め込まないしストーカーしてないという話だ。ポエムはポエムで、書いてしまったらつまらなく、書いてしまったら本当に愛の告白はしない。ポエムするという行為が愛の告白になることもある。しかし、大抵ポエムするときって、本当にしてしまったら取り返しがつかなくなるから、言葉にしておいてその行動を諫める目的で内心の告白をすることでしかない。

まあたまに「言葉にしていたら必ずそうなる」という言説を信じて言葉にする人もいるだろう。私もその方面の力を信じて「菊地成孔と案件結婚したい」と言っているが、言葉にするという力の効能がよくわからないので、私は小説で失恋するように書いている。失恋してない小説については、友達に「ここまで書いたんだから成就しようよ」と言われて、あれは確か「ログアウト」という小説で、死んだ教師の意識下にログインを試みる女生徒の話だが、あれは結局どうなったんだろうか。覚えてない。ログアウトしたんだから諦めてくれよ。

でもポエムって単に自分の心のスクリーンに結んだ像であって、赤い染みのパンティーやZONEのシークレットベースは存在しないだろう。本当になりそうなことを蝶をピンで止めるようにポエムで諫めているだけだろう。音楽は魔法じゃない、ならば、ポエムは本当のことじゃないからつまらない、つまりは、歌詞はいつだって歌詞でしかないから、くだらないのではないのか。

確かに、詩人のポエムが言葉になったことにより何もかも実力行使して全部本当になったら、確かにつまらない。というのもそうだし、詩人がポエムで「セクハラしたい」「ストーカーしたい」と言うのは、つまらない。本当にストーカーしたり、セクハラしたりしているなら、面白い。本当にストーカーしたりセクハラしたりしている人にしか出せない情念ってものがある。

ポエムで散々フラストレーションを吐き出しているものの、ポエムを手軽にしてしまっているがために、面白くない人間に成り下がってはいないですか?私もポエムをやめて小説を書こうとしましたが、もうすぐ筆を置きそうです。普通に説教してるだけになってしまった。

お金の話

寺山修司の「青女論」を読んでいると「サラリーマンの人は自分が生涯稼ぐ金は岩下志麻のCM代と比較して少ないだろうによく働けるな(意訳)」みたいなことを言っていたので、「それを言うたら私なんか7万×12カ月×(寿命−22年)だぞ……」と思った。しかもその7万も障害者年金だし。

近いような話を姉の旦那に思った。姉の旦那はせこせこ転職したり労働したりしてたかだか1~2億円くらいの暮らし。それなのに姉はわがまま三昧で、3人も子供を産み全員女の子。家族に縛られる生活。に、絶句する私。家族のいないところでパフェとか食べたくならないの!?

なんか軽く暗算しても私は生涯5000万円くらいは国からもらえるような気がする。いいのか?次、兄や姉が帰ってきたときに「私の暮らしは何と表現しているの」か聞いてみよう。9歳時点で障害者年金が通用するのか。兄は甥に失業保険を教えていたので私もそんな感じで働いてないことを伝えているのだろう。

交信で、ツインレイが「おれも障害者年金みたいなもの」と言っていた。おまいつの貯金をむさぼって生活をしている。

障害者年金であまり贅沢をしてはならないが、最近A300シリーズのウォークマンを買った。50740円だった。死ぬほどお金がないが、こういう暮らしほど身の丈に合ったものはないだろうと実は思っている。

お笑いライブに出た時、医学部生ふたりと古賀駿作さんに「収入の三分の一の買い物したん!?」と驚かれたが、その驚きがなんとなく心地よかった。まっとうな人のまっとうな感性がここに極まれりと思った。その驚きの裏切りを得て、ウォークマンをかみしめているが、まだここで終わらない。きっと機種変をするので、その時も収入の三分の一の買い物をすることだろう。しかし、機種変に関しては一括払いより分割払いのほうが得するようになっている。っていうか、ぶっちゃけ。ウォークマンは50740円したけれど、それを分割払いしようとしたものなら、クレジットカードは止まるだろう。知り合いにクレジットカードで分割払いしようとしたらうまくいかなくてクレジットカードが使えなくなった話を聞いた。知り合いだけならまだしもインターネット芸人・ハ息子も同じ手でクレジットカードが止まったと言っていた。母親が口酸っぱく「リボ払いはやるな」「分割払いをするな」と言っていたのがここで功を奏す。母親自体もなぜリボ払いや分割払いをしてはいけないのかよくわかってないんだろう。インターネットっていいもんですね。インターネットをいいものにするには、お笑い芸人になるとかそういう賭けみたいな挑戦もやらねばならないんだろうな。

寺山修司みたいなことを言おうと思う。お金について悩んでも悩んでも、改善したり行動してみないとずっとそのまま。お金について悩んでいるなら、本を買ったり、身銭を切ることでしか得られない情報がある。ChatGPTに聞いても、嘘八百を吞ませられる。税理士を雇うことがどんなにいい価値をもたらすか。みたいな話だ。

さらにいうと、お金について悩んでいても、欲しいものはどんどんほかの人に買われてなくなってしまう。それだったら、主体的に買う意志を尊重しようみたいな話だ。ウォークマンでいえば、買えば買うなりに絶対に価値があるとわかっていながら買えないのは、勇気がないからと言ってしまってもいいが、買いたいなら絶対に買っておいて損はないのだ。

ウォークマンを買うことで得たのは、ドトールに週4しか通えず、あとは死んだように昼寝する日々だが、そういう暮らしにしか出せない味がある。っていうか週4しか行けないとかいうけど、ドトールなんて毎日行けたものではない。なんか、行けば行くほど、疲れていく。それもそのはず、ドトールなんて詩作の鍛錬の場なので、疲れるも承知なんだ。たくさん休んで、たくさん吟味して、たくさん思考した末に、生まれる思考がある。

そういうのをわかっていながら、お金がなくてしょげることがある。現金の500円が捻出できないのだ。そういう時あきらめるか母親に借りるかをやっているけど、今年の目標が「借金をしない」「だけどデカい買い物をする」「だけどいつ映画を欲しても観れるようにする」がある。無理。だけど最近になればなるほど、観たい映画が出てこない!なぜだろう……

姉の旦那も、わりと後先考えずに飛び込むたちなのだろう。それを揺り戻すために今の職業があるんだろう。姉はもっともっと、後先考えずにいろいろ手広くやっているのだろう。自分がどれくらいの実力があるのかとか考えずにほしいものをほしいだけ買っていく。

私も実力になりたい!去年の目標は「実力をつける」だった。要は、仕事を始めようかなとか思っていたけど無理だった。A型作業所に行っても無謀さを突き付けるだけだった。今年は、実力はあるものとして、それをいかに運用するかを視察する一年にしたい。なおかつ、親に借金をせず、デカい買い物をしつつ、いつでも映画が観れる余裕を持ちたい。