文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

東京ラジオシティ☆ガールの西野真子です。

まんこまんこまんこ~!!!どうも、東京ラジオシティ☆ガールの西野真子です。なんていうか。世界を変えたいなと思っています。しかしながら、私がやっている「世界を変える」は、革命ではなく改修です。街を歩いて、綻びを見つけて、改修するのです。

私がいつも通っている「精神疾患街」は綻びだらけです。病を持つことは絶望とみなしていますが、逆です。病がある人は、神様から美味しいフルーツをプレゼントされているのです。

まあ私の友達は、社会人適性がなくてしかたなく芸術家をやっているけど、障碍者年金を受給する時に自分で書類を描いたせいなのか知らないけど、多分1~3万しか月々貰えてなくて、遡及請求は多分100万くらいは親の借金返済に充ててて、病気のことクソ野郎と思っているけど、病気ってお金がないと楽しめないのはあります。お金を手に入れられるようにはなると思うので、結婚なり就職なりして、お金を手に入れると、病気はめちゃくちゃ楽しいです。

健常者だと、そもそも本を読んで楽しくないと思うんですよね。少しくらい精神に傷がついてないと、読書は楽しめない。

最近だとまどかマギカが映画化されて、見てる人結構いますけど、魔法少女っていう肩書は今でもよくあるけど、白魔法使いしかいなくなってて、黒魔法使いの魔法少女がいなくなってませんか。黒魔法使いの魔法少女は夜職に多いですが、令和って昭和と違ってクリーンさが求められているので、本当に悪い悪女が絶滅したんじゃないかなと心配しています。

悪女って、自分が悪いことを確実に自覚しているので、私の目の前に現れることは多分なく、サイキックアタックをしてくる黒魔術を知っている人であっても、その人は悪女ではないと私は思っています。むしろ自分の中に正義があるから私のことを倒したいと思っているんじゃないかなと思います。

私は悪女と知り合えない運命にあることを凄く後悔しています。一度悪女と知り合えたことはあるんですが(あるんかい)、よくわからない理由でリムーブされました。悪女というのは、これは確信めいた直観なんですが、私のことが大好きです。世間一般の世間知らずよりは、ずっと悪女に寛容だからです。

悪女は本当に魅惑的です。でも一緒にいると息が詰まります。彼女も世間に生きていてそう思うのでしょう。私は世間に生きていることがすごく楽しいので(しかし身分は無職に限る)彼女は私と相いれないことをわかるはずなんですけど、それでも、悪女というのは悪女というだけで惚れ惚れするものなのですから、自分もそれだけの値打ちを抱いて生きていくのでしょう。

アーバンギャルドの少女性は、私の挙動に仮託して作られているのは思いますが、それにしても私じゃない。よっぽど、「ねる」さんのほうがアーバンギャルドなのではないかと思います。悪女に憧れたり、結婚に当てはめてみたくなったり、いろいろ模索しているけど、結局何物にもなれない女の子が、アーバンギャルドです。にしては、私は「なにものか」になってしまいました。

私はこのブログを「オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ」と評してますが、生きちゃいました。なににもならずに。その点、アーバンギャルドの少女性は、サブカルにもオタクにも一回挑戦したくなるものなのではないでしょうか。私は、邦ROCKはダサいと思うし、かと言ってフランツ・フェルディナンドしか聴かないし、アーバンギャルドの少女性というよりは、「村上春樹の小説に出てくる人」という感じだと思うし、なんなら「桜庭一樹作品に出てくる登場人物」という自負はあります。キャッツファイトでアマチュアファイターをボコボコにしてる肉女みたいな感じ。美少女ではない。アーバンギャルドの少女性は美少女でもないのもまた魅力です。

私は、Poster Childになりまして、唯一無二ですけどこれから亜種が生まれると思います。私はアーバンギャルドから卒業したけど、あなたはまだアーバンギャルドだと思うので、あなたがブログを書くべきだと思うのです。

私がアーバンギャルドを卒業したのも、松永天馬の中の人、松永昇を知ってしまったからなので、松永昇さんが実に人間臭いくらい凸凹しているのを見ていると、アーバンギャルドというものは偶然の奇跡の産物でしかないのだと思うのです。

私は松永昇さんについては語ることはもうないけれど、あなたは純粋に松永天馬を教祖として、色んな夢を見れることができると思います。私は別にその夢を「私が主人公なんだからあんたの推測は全然当たってない」とか言いたくなる人もいますけど、言わないようにします。浜崎容子さんにはそういう空リプを飛ばすことはあるかと思いますが、あなたの青春はあなたのものだと思います。それを解釈の歪みと言うことは無理だと思います。

本当はインターネットをやめたいけど、やめれません。あなたは私を無視してください。アーバンギャルドはあなたの肩にかかっています。あなたがいつでもリロードすればRPGは再起動します。

わるぐち

10年後私は40歳である。40歳の私は何をしているだろう。

40歳になるとノーベル文学賞を獲っているつもりで、その賞金で月の裏博物館を地元に建てるつもりだ。甥と姪を雇って、本当は自分の稼いだお金で甥と姪の4人全員に大学に行かせたいと思っているけど、そのお金は稼げていますか。

20代の私は占いにハマって50万くらいを注ぎ込んで「占いは信じられるものなのか」というのを一生懸命模索していました。その過程で、私も占いを始めることとなりました。今も占いは欠かせないですが、四柱推命の有名な先生に「あなたは32歳から忙しくなる」と言われましたね。その前触れは1年前である31歳の今の私にはまったく音沙汰ないですが、どういう道になるんでしょうね。

占いは信じるか信じないかよりもまず統計なので、統計を携えたなら勇気が出てくること、そして、私を魅了してやまないタロットは、心のありようを読んでいるということ、タロットの指針は3か月~6か月なので、心して毎日心を磨いていくこと。当たる当たらないとかじゃなくて、信じてみること。占いが言った通りにならなくても、辛抱して待ち続けること。そこに美学はあるのかなと思います。

最近の私はサイキックアタックをよく食らっていて、自分のほっとした一時を狙われて私から生気がくすめとられていますが、除霊しても、全然終わりません。だけど私はいろいろな夢を見て、感じたのは、自分はもっとでかく構えておきたいということ。

 

mojihype.hatenadiary.com

 

サイキックアタックされても、どうぞそのまま私の生気を味わってください。あなたは血液ガンですが、私の血で生きる私はあなたには到底手に入らない元気さでしょう。私はあなたを許します。いつでもサイキックアタックしてきてください。もう除霊はしません。手に入らないものをそうやっていつまでも欲しがっていてください。私を呪うことで本当に死にざまが悲惨なのかはわかりませんけど、きっと他の人を呪うよりマシでしょう。いつでもかかってきてください。

色んな不条理に陥るのは陥るけれど、つまんないことでも悩みます。私は友達と縁を切るかどうか迷っていて。先達から言わせれば好き勝手にやればいいということなんですが、それも含めて私は友達に悪口を言うかどうか悩んでいて。確実に悪口を言ったら縁を切られると思います。私は忙しくなる前に縁を切った方がいいんじゃないかと思います。

あなたの信頼できる大人は、私からしたらくだらないです。あなたのやっている慈善活動は、全部無駄です。それを言ってあげてるのに、なんであなたは私と縁を切るのでしょう。私はあなたの客観性です。あなたさえよければ、私はいつまでも仲良くすることは嫌じゃないですが、あなたに悪口を言う回数はこれで終わりではない気がします。

あなたは大人に縛られた小さな世界で生きています。でもそれがあなたなのです。あなたが一番うまくやれる方法は大人の蓑で生きることです。しかし、私は、あなたの背後にいる大人に中指を立てます。あなたの一個一個の思想には親の言いなりがあると思います。あなたの親は立派だと思いますが、私は好きじゃありません。あなたを産んだからです。

願わくば、あなたは親から独立すべきです。その手段に、45歳の男性と交際していますが、それもありだと思います。とにかく、常磐な人生を狂わせる必要があります。私は大いに狂いました。狂った結果、私が親を狂いながら調教してもなお、私を守っていきたいという、やさしい親と改めて出会い、狂ったまま共生しています。

私の言うことをうのみにしてはなりません。親から独立すべきとは言っても、必ずしも一人暮らしすることではありません。親を、教育するのです。あなたの親はなかなか教育できなさそうだから嫌いなのがあります。親を再教育するには、あなたがよりよく選ばれぬいてないといけません。あなたは、選ばれぬかれていますか?その自信をもって、親に、あなたは生まれ直さないといけないという大義名分がありますか?自分の言いたいことを人に言わせてはなりません。親の声で自分を語ってはなりません。

やはり、あなたは私がいないといけないような気がします。だけど、あなたはそれでも親の蓑を選ぶわけだから、やはり私はゆくゆくは縁を切ります。あなたの詩は、あなたの母親のアクセサリーがないと無力なのを実感していただきたいと思います。

私は才能がない人の詩が嫌いです。あなたは才能がないという段階ではないですが、魅力がありません。あなたの才能のない詩が額縁に飾られていると虫唾が走ります。ちなみに言うと天才というものは才能がないのにツボを得ているから天才なのです。私は天才が嫌いです。

10年後の私は、それでも嫌いな人はいませんか。嫌いな人はいても、無理矢理縁を持ったりしていませんか。それは即座に切っていますか。私はこのようなつまらない悩みを持ち続けたりしていませんか。

ディルドを買っておいてよかった

ディルドを買っておいてよかった。蟻にティッシュを食べられるけどアースノーマットをつけると蟻が来なくなるような気がする。

楽天カードは締め日が月末で、1日にクレカの残高が復帰するので、7月1日に10万円分買い物した。

買い物序盤は思っていたよりお金がかからず、RMKはリフィルを買うことで2000円安くなり、革靴も当初1万円の予定が3000円安く買えた。パフェもメロンやマンゴーを食べなければ1千円安く食べられることに気づき、1万1千円浮く。しかしパフェを食べている途中でテレビ大陸音頭のアルバムのキャンセルが不可ということに気づいてから風向きは変わり、スマホの機種変の時に謎の頭金1万1千円を請求され、とりあえず機種を買ってしまい、じゃんぱらという中古屋さんで8000円で売れると踏んでた機種が6800円にしか査定が伸びず、死ぬかと思った。しかし6800円を通帳に入れると、ギリギリ借金をせずに済みそうな勘定であることに気づき、いのちを吹き返す。

そんな大変な思いをしてまで買い物ってするんだなと思った。買い物って、本来こんなものなんだなと思った。買い物をして、損をするのはもちろんのこと、ブランド物を買うあまり、家計簿が破綻することもある。そのすれすれの味わいこそ、買うってことなんだと心得る。中村うさぎの気持ちがわかる。でも中村うさぎは私に「真似しない方がいいですよ」とリプをしていただいたことがある。それはそうだ。しかし、私は月7万の年金をやりくりして、いかに社会からいいものをぶんどるのかに賭けている。

買ってよかったものがいかに買ってよかったたるのかは、失敗しないとわからない。でもその失敗というのは日本社会において安く済まされている。例えば、RMKのようなデパコスを買って、もうドラックストアのコスメには戻れないことを知るとする。その時にドラックストアで買ったBBクリームとファンデーションは捨ててしまう。或いはメルカリでまとめて売ってしまう。(そして売れない。)そういうのがあるけど、CHANELのアイシャドウを似合わないのを買ってしまうくらいの失敗はありかねない。

買い物を失敗しないためには、よくよく選び抜かれていないといけない。昔昔からイデアがないといけない。

昔々からイデアがあったのは、ディルドである。あれがずっとずっと欲しかったけど、家の住所に届くのはなんか嫌で、配達員はきっと自分が配達している物品が何か知ってると思うからなかなか買えなかったけど、元彼の住所で電マを買い、それが家に届くのは元彼と別れた後なので2年後、性生活が快適になった。電マではフロイト的に男根が足りないので、ディルドをTemuで買った。色んなもの(ヨガマットなど)と合わせて買ったので、カモフラージュはできてるはずだが、それでも配達員はディルドのことを知っていたような気がする。かつてのフォロワーの女子高生は破綻した家庭でディルドを手に入れることができ、いつでも潮をぴゅーと噴いていた。私は潮を噴けないが、ディルドと電マを両方使ったオナニーを実践したところ、これ以上ない満足感を得た。ディルドと電マは買っておいた方がいい。ディルドがないばかりについついマッチングアプリで現地調達しようとして手痛い出費や怪我をするくらいならディルドでオナニーしたほうがいい。

あと買っておいてよかったものを挙げる。聖書。読まない本(大槻ケンヂ)。ビビってきた絵本。ビビってきたBRUTUS。タロットカード(備蓄含む)。オラクルカード。DVDを読み込めるパソコン。それとは別のちっちゃいパソコン。10万円するイルビゾンテのリュック。写真集。色々あるが、インターネットならではの買い物で、かねてからツイッターをフォローしていて、その人が紙媒体を売っていたから買ったみたいな買い物は成功率が高い。満足度が高い。

人にあげたものであげなきゃよかったと後悔しているくらい愛着のあるものを人にあげてしまう。それくらい買い物に失敗してない。「セックスボランティア」という本と、「神様のいない日本シリーズ」がある。読まれてないだろうな。

買ったものと同じくらいのクオリティの高さで創作したい。

かわいそうといわれることってどういうこと?他

今月は色んなツイッタラーに叩かれた。まず藤谷千明さんが私を叩いたのだが、中村うさぎさんが一参加者として参加する読書会で、藤谷千明さんの新著「女性用風俗~」が取り上げられたことを、空リプで「藤谷千明さん観てますか」とか言ってたら中村うさぎさんが私にリプして、厳密には二村ヒトシさんの紹介であることを告知していたのだが、それを見た藤谷千明さんは私を名指して叩いて、これ以上失礼なことをするなと言われた。しかしその後「ごめんなさい」みたいな画像をリポストしていて、よくわからなかったが、私は藤谷千明さんに空リプしてはいけないみたいな出禁罰則が新たに設けられた。

あとアーバンギャルなら知ってると思うけど、カミソリレターブレスレットで流行ったmillnaさんと言う人が、私のポストで街を歩く醍醐味は街行く人の顔!みたいな発言があるのだが、ミルナさんも同じようなこと言っていたので、パクリだなと思って、ミルナさんは私のパクツイしてる~と言ったら、ブロックされて、統合失調症というところで私を批判していたから、人権侵害も甚だしいなと思った。私の落ち度はアーバンギャル、そしてアーバンギャルド出禁というところだろうと思うが。

ミルナさんは最近妊娠糖尿病も併発していながら流産していたのだが、そこで私がなぜ人にそっくりそのままかわいそうだねと言われないのかフラストレーションを勃発させていた。だから、ミルナさんに失礼なことをする人は現状いないはずだと思う。例えば反出生主義とかも、妊娠しないという今後の選択もありだよと応援する気持ちの裏返しであり、それに対してプリプリさせているミルナさんは、やっぱ妊娠を経て感情が多感になっているのだろう。よくわかんないけど、最近ミルナさんをフォローしたばかりだし、よくわかんないけど、ミルナさんはアンチにも協力的だったから今の名声があるのではないか。

かわいそうな人に、正直にかわいそうだねと言う人は、そんなにいないというのは常識として我らが知っておくべきことかもしれない。

ミルナさんがなぜかわいそうだね、よしよし、されないのは、流産というケースは母親として強くならないとどうしようもないケースだからなのではないか?私はどう見ても人の世話で苦労したことのない人間だが、父方の祖母が水子に悩まされたんだろうなと祖母が死んでから思うことがある。別に流産したから、明るく生きなければならないことはないのだが、水子が枕元に立つときに、水子に対しても教育的でないと水子は成仏しないのではないかという見立てがある。だから、流産したら他人によしよしされている場合ではなくなる。

むしろ、ミルナさんからはゾッとした……と揶揄されたが「流産した人に冷たくしたら自分も流産するのではないかという前提のもと発言している人がほとんど」という私の主張を、どれだけ曲解せずにミルナさんが受け取ったか謎だが、私も含めてみんな、ミルナさんの敵ではない。敵ではない人を敵だと見なして、自分の身内に援護射撃を求めるのは甘えである。だから、アンチ問題は芸能人にとって難しいのである。

ちなみに私の話をすると、私はアンチはいるにはいるんだけど、私のフォロワーとかも含めて「顕在化しない」のが主流であり、誤解を恐れずに言うと、アーバンギャルドのファンの絵師で「ちよ」という一般人がいるのだけど、私が5chでちよが嫌いと言ったら、一定数賛同されたが、その日からちよの私のアンチが始まり、ちよはアンチなのだけど、私の質問箱に定着している人はちよしかいないのである。アンチなのに、身内みたいな顔して、それがちよにできうる最大限の復讐なんだろうと思うが、まあちよ以外にも利用者はいるし、ちよが身内面することで、北海道大学にいる唯一の私のファンが叩かれたのはちよの工作だと思うし、あとなんだろう、ちよってファンとしては有能なんだなと思う、ちよの働きによってアーバンギャルドの5chが無力化した。

私はこのような厄介なアンチにより、一時期コンテンツを配布しすぎてコンテンツ貧乏になったが、ちよにとって私はかけがえのない情報源なのだろうと思う。

色んな形のファンがいるが、私はそれらがある日突然一切なくなっても、全然平気なのである。なんていうか、世の中の面白コンテンツが、全部が全部インターネットに垂れ流してると思わない方がいい。私が所属している九地下芸人界隈も、全然インターネットに流れてない。大喜利界隈はインターネットが主流の戦場になりつつあるが、実際一番面白いことが起きているのは現場であり、さらに言うと舞台ではない。楽屋ですべては起こっている。芸人を追いかける上で、テレビだけ追うというのは健康的で、病的なのは舞台も全部追っかけているという質だが、お笑い芸人の本当に真髄の面白いところはなんとお客様には見えないのである。お客様にも見えるくらい「漏れ出す」時に芸人は売れるものである。

特別ってなんですかあ?

先週、5/12(火)に友達と会った。その時に友達にとある説教をした。その友達は輪(和田輪かよ!)ちゃんとすると、輪ちゃんは私より年下で1998年生まれの27歳なのだが、45歳の人と付き合っていて、共通の友達の鹿ちゃんによればセックスもしている。鹿ちゃんのことが輪ちゃんは嫌いなので鹿ちゃんをビビらせるためだろうか、私セックスしてるのと告白した話を聴いた。輪ちゃんと付き合っている彼氏はロマン優光そっくりで、きっと輪ちゃんが自分に好意を持ってくれることがうれしくておちんちんから光が駄々洩れになっているのだろうと思う。輪ちゃんはラツーダを飲んでいて、主治医に全てを話している。主治医は輪ちゃんに早く彼氏と別れなさいと言われて、今別れているがLINEでやりとりしている。輪ちゃんは家族ぐるみで詩人の活動を推進していて、親はハンドメイド作家である。

こういう話をしておいて、何かヒヤリハットしないだろうか。そう、輪ちゃんは「特別あつかい」に弱い。鹿ちゃんからヒアリングしていると、輪ちゃんは鹿ちゃんから「あなたのこういうところどうにかしたほうがいいと思う」みたいな忠告を無視して、「鹿ちゃんはものの言い方がキツい」ということで距離を置いている。鹿ちゃんは輪ちゃんに友情心で欠点を教えてあげているのに。

という訳で、鹿ちゃんと輪ちゃんの仲を取り持つために、輪ちゃんに正直の中の正直さを伝えなければならなかった。輪ちゃんにはあなたは特別視する人に弱いから気を付けた方がいいと思う。と言った。でもそれは、かつて私が松永天馬に言われた言葉だった。

松永天馬からの手紙

あなたは特別だけど、社会からしたら特別じゃない、みたいな話は、現状皮肉になっている。さらにいうならば、手紙を貰った2023/1/27時点では、自分は社会の歯車だと思っていた。この5月に、自分はかなり有名で、影響力もあるということがよくわかった。

何を思って松永天馬が私にこの手紙を書いたのか。今になって不気味になっている。しかしながら「客観性」の有無はかなりこの時期から意識的になった。私には当時客観性がなかった。ひたすらひたすら主観性だった。自分の作品がどうみられているかについては何のこだわりもなかった。ただ、自分のおなかからひねりだしたうんちを、ぼとぼと落としてきただけだった。

柴田聡子が「ジャケット」で「君は君の魅力の1%すらわかってない」と歌っていたし、私はとあるカブという友達に「くどまゆ先輩にとって本音に対する建前は小指のようなもの」と言われたが、要するにみんなが備えなければならない客観性は私にとっては要らないということだろう。

でも客観性について一度頭をぶつけて悩んでこなかった場合、友達ができない!客観性がないゆえに友達を喪ったこともあるし、逆に私の有名を利用した友達に、今塩を撒いている。

話は戻すが、数秘術で占うと、確実に輪ちゃんは鹿ちゃんのことを大切にしたほうがいいので、それを伝えると輪ちゃんはほっとしていた。私が言いたい事を聴いて傷つかなくて済んだのが大きいのだろう。

若い頃にある程度報われていたら「野心は大きく」と謳っている社会を見て、自分ももっとを言っていい、と思うのか、いや自分は足るを知ろうと思うのか、謎だが、大器晩成型から言わせてもらうなら若いうちに目立つというのは危険な事だと思う。そんな思想はさておいて、若いうちに報われているのであれば、若いうちに楽しまないといけない。自分のことを楽しめると、予後も安泰となるが、自分のことを楽しむというのは、意外と客観性がないと無理なのかもしれない。自分がどの程度の器なのか、最近のツイッターで流行っているというか、令和の若い文化人はその辺が熟知していて、マジでヤバイ。自分は大器晩成でないことすらわかっていれば十分だと思うのに、自分がどんな役割を担っていて、どんな速度で衰退するか、多分全部わかっている。その上でうまく外してうまく遊んでいる。

輪ちゃんも本当は自分のことをそこまで出世する質ではないけれども、今の段階でこれだけの集客ができるのはすごくないですか、みたいな話をしていて、私も賛同する。私は話を聴く立場にあると思うのは間違っていて、私の場合はどんなに準備していても、誰も来ない興行を打っているかのような、殴られたような日がある。うまく言語化できないけど、今救いの手を差し伸べてほしい時に誰からも何も言われなかった経験があると思っている。それは芸人あるあるだと思うが。でも同じような気持ちを、輪ちゃんは知っている。

色んな人に甘えてんじゃねえよとか思うことはあるが、輪ちゃんにはそんなことを言う気持ちがわかない。がんばっているからというよりは、甘えてんじゃねえよと言うのは逆にハッパかけてると言ってもいいが、そんなことを言うよりも前に、輪ちゃんにとって私はどんな客観性でいようかということをよくよく考えている。

セックス

元彼がほぼセフレ化していたので元彼に「セフレになってくれないか」と頼むことをしてみようかなと思っていたけど、そもそも元彼をLINEでブロックしている。もし連絡を取るなら共通の友人に教えてもらわないといけない。

元彼は気持ち悪いものだと認識している。普通に交際していたら今度は明確に人格否定してしまう。しかし、セックスというものは気持ち悪い人と致すことこそよろこびだと思う。思想だけ見たら私以上にふさわしい娼婦なんていないだろうけど、なんで売春しないのかというと親の顔色を窺っているところもある。でも風俗嬢になっても知らん顔してくれると思う。

なぜ私が売春をしていないのかというと、有名になりすぎていて私を面白半分で指名する人が多そうなのが嫌だからなのがある。有名、というのは、福岡高校とか西南学院大学とかのコミュニティ内で有名というところがある。同級生が私を指名して、噂を作るのが人間として価値を値下げされているような気分になる。まあ要するに水商売する人はマイナーな人じゃないと駄目なのであろう。

性をあけっぴろげにするのはそういう面では無理なのかもしれないが、セフレを作ってしまえばいいというのはある。

逆説的だが、藤谷千明「人恋しくて女性用風俗に行ったあとで考えたお金とケアと欲望のこと」を読んで思ったが、あれを読んで私は「セックスなんてしなくてもいいな」と思うようになった。

セックスのために、ラブホ代、交通費、色んなことを考えても、たかだかリビドーは電マでさくっと終わるくらいのものでしかない。そう思う私はいいセックスに巡り合えてない証左なのだろう。きっと藤谷千明さんも辿り着いてない。しかし、いいセックスに巡り合えたからと言って、なにがあるんだろう。

私は今日も夜這い的に夢の中で誰かに犯されている夢を見るけど、それは辻斬り的なヤリチンではなくちゃんと私と心の中で契約を結んだ人がやっていることなのだと、私は信じていて、だから痴漢的に社会的浮浪者に犯される筋合いはないと思っているのだけど、そう言ったら恋人は「社会的浮浪者=俺」みたいに読んでくるから本当にうざい。

最近は夢の中で妊娠したかのような胃もたれを経て、朝になるとすっきりしていた。カウンセラーとある日話をした時に「あなたは本当のセックスを知らないのね」と言われたけど、逆を返せば本当のセックスを知っているのである。ギクリ。なんか昔のノートというかポエムを読んで発掘した過去だが、本当のセックスを知っているがゆえに、適当な相手とセックスしてもモンマリするのである。

セックスというのは、通過儀礼でしかないけど、どうせ世界と通過儀礼するなら数打って世の中を知り尽くしたいと思っていた。しかし、今踏みとどまっている。おふくろは父親の前に付き合ったことがあると言っていたが、浅い付き合いで、セックスなんて結婚してからやるものという時代だったそうで、親父もどうせ童貞なんだろうし、結婚するわけにもいかなさそうな元彼となぜそんなにセックスしたがるのか、そんなにそんなにしたかったのだろうね、と言われたことがある。確かにセックスは憧れで、すればなんとかなると思っていたけど、セックスの残像が人生をアンインストールしても残っている場合があって、それが忘れられないと、何をやってもうまくいかないものだなあ、と思ってた。別に私が松永天馬とツインレイであろうが、なかろうが、やっぱみんなにセックスの残像が残っていて、それは昔確かに愛されたからだと思う。昔って何?親のこと?とか言うかもしれないけど、親が愛し合ったと言ってもいいし、あなたが、昔誰かに愛されていた証拠なのかもしれない。

最近(2026/5/23-24)中村うさぎにリプを貰ったら藤谷千明が引用リポストしてあなたはすごく迷惑だと言っていたが、確かに藤谷千明の新著の女性用風俗の話につながるけど、藤谷千明は虚栄心がガソリンみたいなところがある。なぜはりぼてが好きなのか。それは彼女の愛するV系にもつながりうると思うが、藤谷千明は新著でサクッと自分も男性用風俗で働いている話をしていたが、それは虚栄心から始まるものだろうなと思った。藤谷千明も40歳半ばで、愛を知っているかのようで、それを否定する生業に就き、男性用風俗で働いていること自体嘘かもしれないけど、男性用風俗で働いてみたとして、膣が狭いことにより血塗れになったりする話も含めて、虚栄心だと思う。肉体を奉仕して、客に奉仕するようでいて、結局は嘘という毒を食わせている。藤谷千明は嘘という通過儀礼を経てかなりショックだったのか、未だに虚栄心を担保に生きている。

そういうのを見ると、セックスって、高度な発明品だなと思う。処女の通説、処女喪失すると血が出る、という話。私は元彼と初めてのセックスをした時血が出て、元彼は何もかも察していたけど、肝心の私は何もわからず。不二家で働いている時に同僚のお姉さんが「初めての時は血が出ないものだよ」とそれとなく教えてくれたが、元彼は初めてじゃなかったことをのちに知ることになるが、その人がどんなに奉仕しても私は濡れなかったのである。愛を語る時に、血が出たと言っては興醒めになってしまう。そんな話を私はここでしたかったのかな。

セックスをする時、自分が自分になる瞬間だと思うが、私は自分の肉体が自分のものではない。相手は私にとっての自分になりたかったと何度も言っているが、そう語るには、私の人生に影響を及ぼしてなさすぎるので、無視するが、色んなツインレイがいて、片や強姦されていても、そこで種を結び、それを俺たちで育てようぜ!と目論むツインレイもいるかもしれない。でも、あなたがあなたとして肉体の主人公の前に人生で登場しない限りは、あなたのどんなに尊い愛もわからない。あなたは愛がわかるとか伝わるとかの次元で生きてないと言うかもしれないが、あなたが神様をやるまでに、あなたが救われたいから肉体の主人公に解脱を命じるという理屈がある。まあつまり、楽しみにしとけよ……今後の俺に。みたいな話をするのは虚栄心である。私ほど自分の根で生きている人がいるだろうか。私はリアリズムというか自分が届く範囲でしか自分を楽しませていない。そこに涎の神様がぴっちりくっついて、ホメオパシーを成しても、よくわからない。将来性の前借りをして菊地成孔に手紙を書いている。確かに、菊地成孔は私の恋人ではないが、思念的に師匠である。お師匠さんのてほどきがないと海外に行けない。

独白

誰かが言ってたけど、初潮がくるのは早いのは誰かから思念上で強姦されたから赤い血を流すのだとかなんとか。強姦されることの脅威とか知らないけど、こわいなと思った。私のことを襲う人は誰だろう、お前か。お前ならちょっと嫌だな。お前か。お前ならちょっとうれしいかもな。みたいなことを考えているうちに、夜になった。

私を強姦する人は、教室のどこにもいなかった。たとえ私がTシャツの上から黒い乳首を晒しても、みんな私のことなんか見てなかったし、私のことをいいと思っている人は、他の女の子のことも物色していたし、私を強姦するような人はなかなかいない。さらに言うと、教室にいる男の子がいかほどの男性器を持っていたか、よくわからない。きっとぶきっちょなんだろう。

私の初潮は、明日始まるのだが、誰が私のことを盗むのか気になって、コーヒーを飲んで夜更かししてみた。私のことを強姦する人は、私の人生の中で一度も登場していない人だった。その人は私の前に現れるやいなや、着ていたピーコートをバッと広げて、男の人のいちもつを見せつけた。私は儀式上、「キャー」と言っておいた。本当は言語化してしまったら大変だが、男の人のちんちんがどうなっているのか、いつもいつも関心があったのだが、こうなったら反射だった。見てはいけないと自分に課した。

しかし男はパンツを履いていて冷静だった。私は10歳だけど、男は23歳だった。男は「君のことは、ようく知ってるよ」と言っていた。私たちは3年後に出会う予定だった。変態ぶっ殺すと思ったら、男はしくしく泣いた。

俺だって変態になりたくなかった。普通に地味な生活をやりたかった。だけどある日隕石が落ちてきた。赤ん坊の声だった。それが日常になり、俺は芸術家になるしかないと気が動転した。お前のことはよく知ってるよ、お前こそが天性の芸術家なんだろうな。でも今じゃただの小学4年生だ。無力も同然。それを俺が革命に転換するんだ。お前は何もできないでくのぼうだろうし、でくのぼうという単語にシンパシーを抱いている。俺はお前がうらやましい。

私の話をさせてください。あれ?でも何話していいか忘れた。

俺はお前をコントロールすることにかけては、10年技術というものがある。お前を黙らせる手段はいくつでもある。でも、いざ黙ってしまわれたら、悲しいな。

何の話してましたっけ?初潮?強姦?

俺は絶対喋らないからな。

何であなたは私のことを強姦するんですか?好きなんですか?

好きとか嫌いとかいう次元じゃないよー。ただ大きくなって僕の手駒になるのを待ってる。強姦は他の虫に食われるのをリスク回避しているだけさ。初潮なんて、意外と簡単なんだよ。熟れた果実をつつけばいいだけの話さ。

あなたは私の王子様なんですか?

王子様ね。魅惑的な響き。それいいね。気に入った。僕は就活も受験もままならなかったけど、誰かにとっては王子様なんだな。君は王子様と何がしたい?

うーん、結婚!

結婚ね。ありふれた話だ。利害一致したらいいかも。どうせ僕を好きな女の子なんていないんだろうし。高校時代は嫌われて嫌われてしょうがなかったよ。っていうか君の概念にはノイズがないね。何か欲望はないのか?歪みは、ないのか?

歪みと言われても。私はブスです。

小学生の頃からブスと言われてもな。君はグットルッキングガールだよ。その前髪を切りさえすればね。前髪を伸ばしていても汚く見えるよ。

風呂には入ってます

でも濡れ昆布みたいにくろぐろとしているよ。君はろくにシャンプーもできないのだろう。

ちょっと眠たくなってきました。寝ます

ちょっと待ってよ。君の人生に初めて出てきたんだよ。手応えないよ。

寝ます。

ちょっとー!

 

私はころりと眠り、翌日初潮を迎えた。

私は何もかもに絶望していた人生だったけど、たくさん絶望していると、少しのことで喜べるようになり、大器晩成という言葉はしっくりこないけれど、色んな人に見られていて、認めてもらえるようになるのはあと5年くらいかかる。そして、あれから20年経ったけどいまだに私の初潮を作った人と邂逅することはない。夢の中で何回も訓練するけど現実になることは未だにない。

絶望という頭を鈍器で殴られたような無力感も、人によっては自傷行為で顕在化させるが、私は自傷行為がわからない。どのみち手首を切っても悲しいのは変わらないしとか思う。2人分の人生をこの身体で生きていても、シンプルなことしかできない。自分に担わせる意味に一喜一憂する人いても、それを蔑ろにする発言をすると人生が大きく後退するのを感じている。タロットカードにも「意味には気をつけろ」と言われるし、ひとりでに何かを紡いでも、やはり誰かの意味を担うというか、誰かが私を見て大きく悲しむことがある。昔はプールに浮かんでいるくらい無知だったけど、自分の気分をチアするには誰かを励まさないといけないらしく、自分ともう一人の自分を切ったりしてはいけないらしい。ここまで書いたらポップな小説が繊細な肌触りの独白になった。

もう一人の自分は創作をやっていて、作品として私と違って残っているので、当時の思想を垣間見えることができるのだが、私の絶望のことを魔法と呼んでいたのが凄く歯痒い。まあ冷静に分析すると私がなぜ絶望しているかというともう一人の自分が私に対して申し訳なく思っているからなのだが、魔法と呼ぶのはどういう意図かというと、希望に転じるためのおまじないと呼んでいる。それがわかってないなあと思う。絶望するのは鍛えているという風に結果的に読めるけど、鍛えていても環境的についてなければ死ぬわけである。私は自分がうまくいっているのは鍛えてきたからではなく、たまたま運が良かったからだと言える。誰のせいでもなく、たまたま、うまくいっただけである。それをお前のような誇大妄想的レトリックを使えばバズるんじゃないか、みたいなことになると、そういう人に対していちいち説教しないといけなくなる。私がつらいのは運が悪かった側の人間になれないことであり、毒親に育てられなかったのもあり、逆につらい持ち物を持っている人に対して、全面的に正直を削がれるのがつらい。運が悪かった人には運が悪い人の言ってることにイエスという嘘をつかないとそれが嘘だとわかる土俵に立ってくれないことである。私は今もなお正直であることを貫いているが、もう一人の自分は私みたいな陽キャではないので、ひたすらネッチョリしている。