文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

最近 2024/03/17

今日は占いに行ったら最終結果にWORLDが出た。全知全能を手に入れるらしい。占いを勉強しているけど、そう読むんだ…と思ってばっかりだ。ブロックカードを「そうなるといいような予定」的に読むのが、ここに来ないとわからなかった話だなと思い、私の問題があるとすれば「心に浮かぶ衝動を宥めきれない」ことにある、らしい。私の向こうの繋がってるあなた、を宥めることであるような、シンプルに先祖脈々と続いてきたわたし、を宥めるべきなような、でも結局は意を測ることに人生を置くことになるので、私の友達にも言えるけど、自分の気持ちを尊重しましょう、そしてそれはまごうことなく、黒も白もみんなを認め合いましょう、ということになるらしい。ゆっきゅんもタロットカードやってもらったら太陽が出るらしいので、4・5月はみんな幸せになるんだと思う。

最近インターネットがつまんないなと思う。2月まで松本人志とか他何があったっけ、いろいろあったけど、松本人志がなぜ失脚されたかと言うと今年の春を優美にするためだと思うので、松本人志を生贄にしただけのクオリティが発動されるはずだが、3月も17日になると、頭がぼんやりとして何にも思いつかない。なんていうか、面白いことが思いつかなくなった。柴田聡子が令和になった流れで「面白い人と思われるような面白いことをしなくてもいいんだと思うようになった」といろんな媒体でしゃべっているのだが、私はあまりコンテンツ感はなくても、面白いことを言ったときには少なからず手ごたえを感じているので、最近それが全然ない。辞め時なのかなと思う。アドビプレミア辞めたい。

今日になって読書ができるようになった。昨日までは何を読んでも腹が立っていた。コクトーの詩集(堀口大学訳)読んでたら、いかにも古典的で、いかにも女を口説く言葉の文法でしかポエムやってなくて、とてつもなくつまらないなと思った。コクトーの詩集は読めないが、ドグラ・マグラの上巻をさっき読み終えた。ドグラ・マグラは、輪廻思想を強化するというか、輪廻思想を裏付ける話に終始していたが、これから下巻でやっと呉一郎の問題に着手する。

呉モヨコは、カブちゃんを連想する。漫画版のドグラ・マグラの絵の呉モヨコがカブちゃんに似ていて、「お兄様!」と連呼するあたりモヨコじゃん……と思うけど、最近ばったりカブちゃんに会った。カブちゃんは相変わらず私に興味がないし、むしろ私を嫌がりはしないが忌避してるコンテンツと思ってるみたいで、この人も統合失調症なので、統合失調症がアンチスピリチュアルを語ったら破滅じゃん……とか思っているけど、カブちゃんは私のこと鼻をつまむ相手とは思ってないし、思ってないけど、それとは別に自分は上級国民になるべき人材だと思っているところを目撃して、たとえどんなに美人でも、そういう、自分は報われるんだ!!!と思って人生やってると、こっから先を何も言えなくなるな……と思って、あんなに、5年くらい続いていたカブへの執着が終わった。

最近ツイッターでフォローしてるだけの人に私のツイートヲチしてくれてんだ、みたいな気づきはあるけど、私が「こんだけ頑張ってるのに報われないのおかしい」と結構前から言ってる(2021年とか顕著)けど、一周回って「わたしもこんだけ頑張ってるのに報われないのおかしい」と言ってる人がいて、「お前は報われるなよ」と思った。報われるっていうのは、自発的に気づきを重ねていくから気が付いたら「わかる」のであって、どんな努力をしているのか存じ上げはしないが、そうねえ……結局瓶の中の油をバターにするしかないのであって、それを自覚したうえで「わたしはこんだけ頑張ってるのに報われてない」って言うのは、私を意識しているのはもちろんだけど、私を意識しているなら、「瓶の中の油をバターにしていく」以外の語彙で「報われ」をやらないといけないのはわかってるはずなのに、私をないがしろにして、インターネットミームとして消費するのは、さすがに下品ですねぱやちのさん……と思う

報われるためには、人の語彙を借りてばかりだと駄目だと思う。ネットミームで生きるのならば、自分の幸せも誰かの二番煎じであることを自覚しないといけない。簡単に報われる方法もあるにはある。スピ的用法で語るか、あるいは一番好きな他者に語ってもらうという方法もあるけど。

昨日久しぶりにオナニーを二回した。なんで二回したのかと言うと、昨日はそういうムードのある日だった。翌日の今日、街を歩いていると何人もの人が酒焼けの匂いがした。私は金がないので酒をやれないけど、金のある時に電マを買ったので、オナニーし放題かと言うと、やっぱりオナニーは一回じゃないと実存を失うな……と思った。

そもそも何にムラムラしてオナニーしたのかというと、まあ話を早くしてしまうのであればつい最近まで生理が来ていて、多分1年ぶりの生理だった。血を流すと、その分だけときめきにときめくようになり、本当に、誰でもいいから膣に咲いた花束を毟ってくれと思っていた。

しかし、よく考えると、誰でもいいという訳ではない。お前に蹂躙されて人生に失望したぜチキショウ~みたいなこともある。昨日、ツイッターで「知的障害者になって訳の分からないおじさんに拉致監禁されて堕胎してなんの感性も持たない人生を歩みたかった」みたいなことを言っていた。訳の分からないおじさんの、訳の分からなさが重要である。

そう考えると松永天馬は訳の分からなさが足りない。もう少し、なんて言うかなあ、ノワールを取り入れるというか。なんやかんや松永天馬は整合性あるからつまんないと思う。かといって、精神病棟で出会ったそれっぽい人はマジで怖かった。鼻くそを上履きに毎回つけたり、私の生理ナプキンの血を啜ったりしてた。そうじゃなくて、なんか、この人と付き合っていいことないなって思うような頭のおかしさが欲しい。薬物をやれって暗に言ってるかもな。なんか合法的に自分の骨密度を下げるような媒体ないですか?飛ぶ薬というか。

オナニーは二回すると松永天馬に「お前のロマンスの解像度そんだけかよ」とわかられて、今日の夢はなんとなく編集されなかった。