文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

アイドルとファンについて

巫まろの熱愛発覚のことを思い出す機会があったのだが、今までアイドルとファンの関係性を論じていきたいと思っていたきっかけって巫まろだったのかな、とふと思う。モモクロの有安杏果かもしれないけど、まあなんでもいいや。

アイドルってダサい男と付き合うのを見てどっひゃあ~やめてよと思うかもしれないけど、アイドルってそもそも思い描いている人物にはそぐわないことが多いのだから、誰と付き合っても「君がしあわせならそれでいい」と思うしかない。

アイドルってラベリングするのは失礼なのだが、柴田聡子に対するイメージはぽや~んとしたお嬢様だったのだが、いざライブに来てみるとダサいファンを顔ではなく体で笑う女史だった。こわかった。柴田聡子は女の子ではなくて屁理屈でもなくて理論武装のバキバキの女スパイみたいなこわさがあった。

誰かを応援してるとこっちが元気になるものだが、応援している人が期待を裏切った時、普通明日にはその人がいない世界戦にしっくりくるもんなのだろうか。柴田聡子を熱心に聴かなくなって一つ季節が過ぎたが、聴きたい時は聴くし、そういうものだろう。ただライブに行こうとは思わない。

今日は人と会って何を楽しみに生きてますかと訊かれた。私は一つ一つの予定をクリアしていくことによろこびがある。その中で、作業的なことができたらいいなと思っている。作業は焦りを鎮めるから。っていうか、もう私焦ってないんだけど

また今日人に会って思ったのが、30過ぎたら、自然と報われていくかなと思った。なんとなく、30過ぎて楽になる人と焦燥していく人といる。焦燥するならば、作業を淡々とこなせばいいと思う。仕事をやればいいと思う。人と比べることはあっても、結局使い物にならないと思う。なんとなく、そう思う。人と比べるというか、誰かが何かを論じてる時、わたしのほうがうまくやれるのになとか思う。思うだけで、奪おうとしないが。奪うと言っても、たとえば相手が研究者だとしたら、私は大学院に行ってないので、そういうところで向こうの岸まで渡れないなと思う。いろいろ読んで、考えて、もう読みたくないと思う。そもそもツイッターしか読んでなくて、何も読んでないのだが。

アイドルの話をしようとしていたんだけど、私だったらアイドルの付き合っている男がダサかったらファンやめる。それでもずるずるファンを続けるということは、アイドルを推すことに推す以上の意味があるんだろうなと思う。たとえばアイドル繋がりで友達がたくさんいるとか。そういうの、ダサいなと思う。アイドルがダサくなったらファンももれなくダサいわけで、さっさと切っちゃえと思う。アイドルを推すことに生活上の意味が付与されてしまっているのなら、流行りが終わったと思って、新しい生活に切り替えるしかない。

私は松永天馬を推していて、最近アーバンが嫌いになってきたので生活構造をどうするか調整中なのだが、ツイッターのフォローさえ外していればなんとでもなるなと思う。ツイッターで松永天馬のファンが私のことフォローして相互フォローだったりするけど、大抵、ミュートしてる。松永天馬の情報は基本ノイズなので、それをわざわざ第三者から何度も見たりしたくない。垢分けとかあるのかもしれないけど、松永天馬のことしか呟かないアカウントは一発で因数分解できるノイズそのものでしかないから、ミュートして疚しいことは無いです。松永天馬について知りたきゃ松永天馬のアカウント見たほうが一番なんで。

アイドルについて言いたいこと他にないかな。最近のアイドル、6番煎じみたいな薄さといいファンの生き甲斐の見出し方の軽さといい、なんだかなと思う。ゼロ年代はもっと楽しかったよ。その分弊害もあるとは思うが……