文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

久しぶりに詩論をやる

最近、やっと貯金がなくなった。電気グルーヴのライブチケットを買い、本をたくさん買った。8冊くらい買ってて、一冊あたりの単価がどれも高い。ボイジャータロットも買って、チェキも買った。5月から思えば自分の欲望を自分ができる限りの範囲で全部かなえてきたと思う。クレジットカードで決済してると、今あるお金vs未来に引き落とされる額を計算することになるが、ここでイージーミスを連発して収支がつかなくなることがある。10月分の決済がわからないので、なんとも言えないし、思えば10月は親知らずを抜かないといけないので、やはり貧乏をしないといけない。

思うけど、わざわざドトールに行ってコーヒーなんか飲んだり、ロイホに行ってパフェなんか食べるからポエジーが浮かんでいたのだろうなとつくづく思う。家に引きこもりをする生活は常に布団が視界に付きまとうので、デカビタを飲んで奮起して、夕方過ぎくらいにブログを書いたり、思いつきで小説を続けたりすることくらいしかやりようがなくて、ポエムから遠ざかったように思う。

創作って、外部から刺激がないと生まれない!と思っていたけど、案外自分の中のとりとめない駄々洩れでも様にはなるのかなと思う。メロンがおいしいとかそういう栄養を得ないと書いていけないと思ったけど、メロンを毎日食うわけにはいかない。破綻してしまう。

ポエジーってどこにあるんだろうと思ったら、自分の想像力の可能な範囲でうつくしいものを描写するしかないだろうなと思った。たとえばオニユリだとか、甥っ子だとか、わたしにしか表現できないリビドーの破片とか。そういうのをポエムにしているけど、目の前に貧乏しか取り組むことがないなら、何も書けないんじゃないか。

最近フィルマークスの感想もろくに描けなくなった。なんでなんだろう。韓国映画の「オマージュ」って映画を見たんですが、今を切り取った映画の「今」に、「もし出世したいならポエムを書くといい」という場面があり、わかりますかね、それをわたしが見てるというのが不気味だ…と思ってから書けなくなりました。映画をただ見てるだけなのに当事者意識を抱くことになるんだ…みたいなふうに思うんですけど、わたしは貧乏で。

わたしはどんなに占いに行って「なるようになるよ」と言われてきたんですが、あと2年で金儲けができるように思えないですね。やっぱりバイトしないといけないかなと思います。だけど、前バイトした時すぐやめちゃったんで、それが怖くてできないのがあります。SNSで有名なので、バイトしてることを隠さないといけないですね。

松永天馬のLOFT歌会を見たけど、現代詩が短歌に負けてるという松永の見立てに、鈴掛がムッとしたような空気があったが、それがなんか印象的だった。短歌はポップだが、そのぶん歌人の感性の瑕疵というかIQでいう凸凹を歌会で目の当たりにするもんだと思っている。短歌は、庶民の愉しみにはなるけれど、現代詩なんかに比べたら文学性に乏しいと思う。ただ、とっつきやすくて、わかりやすくて、楽しみやすいは楽しみやすい。しかし、現代詩は、ここで反発を食らうかもしれないが、一回公にして馬鹿にされてからがスタートだと思っている。現代詩を書いて、「なにそれそう思っているあなたはダサい」と言われてから、その言葉から抉られた傷を一生かけて修復するのだから、短歌なんかにはこの思いがわからないと思う。短歌は音数に乗っていればひとまず馬鹿にされない。現代詩は音数がないぶん、自分でリズムを刻むため、リズムがダサかったり、まずそもそもの思想がちゃちだと、馬鹿にされる。

んで、現代詩の嫌なところって、現代詩を描いている人より現代詩を読んでいる人のほうがダサいというところがある。多分、政治的思想にしても、リベラルがなんぞやというところにせよ、現代詩を読んでいるだけの人にはなんにも伝わらない。わたしが、渋谷でポエトリースラムをやった時にわたしの思想が危ないと思っている人の多さを実感した。

現代詩を描いている人も、描いていいけど、本当は現代詩の読者にしかなれない人ばっかなんじゃないかと思う。まあその区別は、詩の強度では測れず、やはり歌会のように「批評」する場があって、そこで詩人としての格が問われているのであろう。わたしは、「読まれたい」と思っている人は、詩を読まれる資格がないと思っている。

詩というのは、うっかりこぼした水であって、汚物をぶちまけるような人間にはなりたくない。股の裂け目から噴くリビドーを自覚してこそ、汚物のぶちまけ甲斐があるということだと思う。媚びというか、愛の叫びというのは、つつましくやるものだと思う。つつましくしていられない人もいるかもしれないけど、そういう人でさえも、ある種一回淘汰されてないと叫びにならないのである。つまり、一回馬鹿にされないといけないのである。

わたしは貯金がなくなったが、この切実さで詩が書けるかもしれないけど、こころの整理整頓はお盆を過ぎないと決定できないので、それまで充電期間かなと思う。