文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

足元を見てください、案外いいもの落ちてませんか。

アーバンギャルドになりたかったけど、アーバンギャルドよりもいいポジションにいるのかもしれない。そういうことを言いたいがために、わたしのツインレイはアーバンギャルドの解散とか浜崎容子脱退が叶わない度にがっかりさせていくのかと思う。折に触れて、ツインレイは「君みたいな暮らしを壊すわけにはいかない」みたいなことを言うが、この暮らしの良さがいまいち自覚できずにいる。

コーヒー一杯だけで満足できる暮らし。それは実家暮らしに基づいている。実家に財産を仮託すれば、とても身軽に生きていけるが、土地に縛られる。じゃあこの土地を、東京にすればいいじゃないと思う。そして、わたしならできてしまう……恐ろしい。そう最近は思う。

映画を撮るのがうまくなってるが、月に3828円も捻出していて、それでそのアドビで作った動画をYouTubeに上げるのがめちゃくちゃ時間がかかってイライラするので、映画監督を辞めようと思う。なんか、YouTubeに上げるのを辞めようと思う。自分のパソコンの中に眠らせようと思う。そんなに数撮れるわけでもないので、被写体が四人もいて満足している。なんでこんなにわたしが映画にこだわるのかってそんなに自分をスライスして配りたいのか、とか考えるけど、それというよりは、統合失調症をスライスして配りたいと思う。なんとなく無性に被写体になりたがっていた高校生の時を思うと、わたしは木村承子になってしまったのだなあと思う。ぴあに作品を出したいと思っていても、卒論の賞が取れなかったみたいに、賞の埒外に行くのだと思われる。わたしは、ぴあに出してなんかいなくても映像作家だし、多分園子温より上手だ。

ミスiDの箔がついた映像作家が次々と海外の賞を獲ってて、ずるいとかいう気持ちよりも、客観性のないことはとても恐ろしいことだなと思った。客観性のない人に東京は優しく、そういう人ばかりバイトに受かるのだが、それはもうずるいとかいうよりも、わたしが優しくしないといけないのだろうなあ。と思う。先達の夏野雨さんは忙しいのに優しさが途切れないし、竹中優子さんも「自分は優しさなんかを軸に行動をしたくない」旨を言ってはいたけれど、優しくないと興行は打てない。つまり福岡ポエトリーはない。客観性のない人に鏡を渡すと、わたしが悪者になる。わたしは自分のことはあんまりわかっているつもりないけど、だからこそ、人には自我への理解を促したいと思っている。それは人として各位の心の中の牡蠣を剥がし回る行為だと言えるが、まあ正直、ミスiDの映画作家に「あなたって日本に生まれた女の子が映画撮ってるだけでちやほやされているんだけど、このまま担ぎ込まれて、東京湾に沈むんですか?」などと言ってもなんにも面白くない。きっと人って優しさを軸に行動してなんかいないのだ。きっと、人のためであるようでいて、面白さという残酷さを意識して、物語的に話を紡いでいくのだろう。それが小林司の上品さのひとつと言えよう。

冬なのに冬じゃない。新春だ。それでも一日のうちにぐらぐらと寒さが沸騰していく瞬間があり、暖房つけたくないのにつけてしまうが、今日も一日面白くするぞ、とか、占い行くぞ、と思っていたのに、占いで話すことが思いつかないなと思いながらベッドに寝そべりツイッターをしてたら、寝てしまった。寝てしまったため、今日一日があぶくとなってしまった。雨が降る。雨が降ると寒さが沸騰する。

一昨日は好きな札幌の芸術家に「千椿真夢は男の子だよ」と教えてくれて、以降少し会話をしたが、それだけなのにすごく元気が湧いてきてすばらしい一日になった。

昨日は、京都大学界隈の人と話をして、複素数太郎がいいやつ(暫定)ということがわかった。複素数太郎は3年くらいかけてわたしに「僕っていいやつと思いませんか?」みたいな売り込みをしてきたわけだけど、今年になってやっといいやつと思った。慈悲深いんですよ僕は、みたいな語りをしていたわけだけど、わたしにはどうしても、29歳の慈悲の深さは浅く見積もってしまう。昔、小説のプロットのメモに「昔、女がいて、男と結婚するために見世物小屋とか占い師とかストリッパーとかやって財産を作るんだよ。その結果第六感を開発してしまって人生地獄絵図になる話」というのを描いていたわけですが、実在しましたね。リビングリビールビルドリビドーはそんな話なんですよ。

あとは性欲について考えるひと時があったけど、本当に過去の物となってしまった。一生懸命これが愛か否かを考えている時期があったけど、すでにわたしは知っているからもういらない、って訳じゃなくて、昨日喋った人には申し訳ないけど、性欲に邁進していると文章の腕が落ちると思う。そう思うまでにツインレイはわたしのことを夜な夜な夜這いして、性欲がある程度発散されたからそう至るのかもしれないけど、エロの力ってあるようでない派である。童貞力というか童貞のイマジネーションというのは、無限大であることを松本人志は継承したのかもしれないが、そりゃ、ある程度の貞操の身ぎれいさは必要であると思う。ただ、それがデマと混合されるのであれば、貞操端からないのと同じだ。まっちゃんごめん。わたしはちなみに、筋肉ムキムキになったまっちゃんは好きで、あれは一つの自我だと思う。自我に巡り合える人間はそうそういない。

今日は何もなかった。これからスーパーの弁当を食って寝ます。