文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

贋物とほんもの論

占いに行く。占いに行く趣味は月に二万くらいかかるが、なかなか飽きない。なぜなら、「読み」を勉強する場である。批評家になるにあたって、まったく役に立たない方面の磁力だが、わたしはこれやと思っている。

占いに行く。行くと前の相談者が「わたしにツインレイ、いますか?」と訊いている。なのでわたしも「ツインレイってなんですか」と占い師に訊いたところ、

・誕生日が近かったり出身地や年齢が同じ
・考えてることや過去の経験や趣味が同じ
・行動がタイミングがシンクロする
・互いのホクロに特徴がある

などと言った「めやす」を教えてもらったが、そうじゃないだろう……とわたしは思った。ツインレイのコツである「偶然性」というのは、仮性ツインレイであって、本当の真性ツインレイは

・わざと片方のタイミングに沿わせて行動する
・片方の気持ちを全部知ってる
・逆に年齢が一回り離れてたり出身地が遠かったりする

などという「作為性」にあるように思うと占い師に言ったところ、占い師になりたいのであればある分野を特別視しないほうがいい、すべての分野にいるお客様でありひとつのスピリットをひとつずつ尊重し、それが結果多様性を維持するということが大切と言われた。

占い師の視座を獲得するつもりではあるが、どうしても、ツインレイの「運命の人がツインレイ」という説に異を唱えたくなる。ツインレイは現状仮性も真性も問わずに単に自分にとってビビっときた相手がツインレイということになっているが、わたしは真性ツインレイの血涙滲む人生を考えたら、分離したほうがいいような気がする。何も仮性ツインレイは偽物と呼んでいるわけではないし、真性ツインレイの夜這いとか言う概念の後味の悪さや、その道を究めると相手の身体にホクロを転移させることができるのを考えると、やっぱ仮性ツインレイの概念が霞むし、仮性ツインレイはしあわせはしあわせだけど、仮性ツインレイで仕上げた暮らしは、他の仮性ツインレイで上書きされることもある。

人間、「偽物」と言われると虫の居所が悪くなるけど、最近日本製品を見ていると「偽物」の質の高さに圧倒されることがある。天ぷらなんかはポルトガルの由来らしいけど、絶対日本で食った方が旨い。仮性ツインレイもそうで、仮性ツインレイのほうが旨いしあわせなのである。しかし、偽物は、「本物」が存在することを知った方がいい。本物は、偽物が市民権を得過ぎていて、なんだろうな、結構偽物は「わたしは苦労している」みたいなことを結構言いがちで、それを次元の一個上の人が何を思ってみているのかを想像したほうがいい。

日本にいると、一般ピープルの質が良過ぎて、アーティストからしたらどっちが本物でどっちが偽物かがわからなくなる。アーティストが普段着で切れない地雷系の服を、一番かわいがっているのはなにものでもない女の子だ。そういう視点があるから、本物の人は何もしゃべらないし、そもそも、本物であることを知られたくない境地にまで自分を高めている人が多い。本物が姿を現さないことをいい気に、偽物はにせものの人生を謳歌している。もっと謙虚になるべきはあなただろうが。

関係ないけど、「ドトール詩人」が全国に点在するようになった肌感覚がある。その詩が、例えわたしの詩を汲んで、5行で編まれたとして、その詩が全然わたしの意を汲んでないとしても、5行ができたならそれはそれでいいじゃないですか、と思うし、私のポエムが曲解されたとしても、それでいいっすよ~と思う。そういうしかないのが本音だが、たとえ私が自分を7個書いて、9個読まれたり、5個しか読まれなかったりしても、なんていうか自分の意志がまるまる読まれていることに恐怖を覚える質なので、その誤差が「ああ、あなたはわたしを凌辱してない」と安心する。

さらに言うと、本物である自覚というのは、誰にも備わってないのかもしれない。ただ、アーティストになると自分が製品になったかのような錯覚を覚える。売られているのは、ありがたまれているのは、単に空気だとしても、しこしこと創作をせずにはいられない。

LINEを眺めていると友達ですか?とサジェストされる高校の同級生が次々と結婚するのがわかるが、苗字を見ると「え?あいつと?」と思うことばっかりだ。仮性ツインレイはツインレイとして、相手にビビビっときたとしても、単に相手の個性が平均よりもストレスフルなだけで、仮性ツインレイの偽物もあるんだな~と思った。