文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

弁明(固有名詞禁止ブログによせて)

はてなブログは、記事投稿画面の、投稿記入欄の上に「納豆には何を入れますか」と書いてあった。それしかブログを更新するネタがないのならわたしはブログをやめてる。納豆には卵を入れていくばくか豪華にする。嵩増しする。大槻ケンヂが「納豆にネギを入れるとうまいぞ」と歌っていたが、確かにネギってすごい。けど最近安易に小葱を入手することは難しくなってしまった。納豆にネギ、贅沢になってしまった。こういう「誰も傷つけない」ネタでブログを運営するのは、あるあるを挙げる大喜利と一緒で正解が逆に生まれちゃうし資源として枯渇するもんだよと思うのですが、そういう態度で投げやりにツイッターをしているから、凍結されるのでしょうか。もとに戻る気配はないです。そりゃ、く〇りに「死ね」と言ったら、岸田茂は訴訟するでしょう。岸田さんは心に余裕がないので。これ言ったらまたまずいか。これ以上は通報してくれた人の好意に免じて言及しませんが。

ヒルナンデスを点けていると坂本冬美が出ていて、陣内智則がフォーを食べたいというのでフォーの店(清州でしたね)に入ると、ベトナムをさておいて国産のコメで作ったフォーを紹介していたが、坂本冬美は食べたくなさそうにしていたのが印象的だった。坂本冬美はロケの序盤で「わたしロケしたくないのよ。だって厚化粧だから」と出血大サービスをしていたが、フォーを前にサービス精神はブレーキがかかったような気がする。フォーってあんまり嫌いな人いなくないですか。あ、パクチーが嫌いなのか。わたしは1995年生まれだからさすがに克服できたけど、坂本冬美坂本冬美の時代でその折々のうまいもの海の幸山の幸を日本列島総ざらいしてきただけあって、パクチーなんか食わなくてもいいんだろう。フォーを一番下っ端の女優が食べているのを見てから、わたしは二階に上がり本を読み始めたが、坂本冬美の挙動を見ていると坂本冬美ですらネットで叩く人いるんだろうなと思う。坂本冬美は多分電気グルーブのcafe de 鬼のリミックスで歌ってると思う。坂本冬美はどんなに実際が不遜であってもわたしはあの歌声だけで尊敬する人間国宝だと思う。がんばってほしい。

固有名詞をしゃべってはいけないという縛りでブログを書くということは、まああらかじめ文章を溜めておいて後から枝葉を推敲するという流れで書くのがオチだが、一筆書きで固有名詞禁止ブログをやるのはムズイ。でも固有名詞禁止という縛りを設けると、検索に絶対引っかからずに思いを吐露することができるから、便利だと思う。しかしながら、私は固有名詞でしっかり描写しないとブログを書いた気にならないというのが今回わかって勉強になった。固有名詞で文章を縛るのはライターの世界ではよくあることらしいし、固有名詞に囚われていると、詩において名作を残せないという瑕疵がある。詩において芸術性を指すときそこに固有名詞はあるのか。固有名詞を使う時代性の強いものを芸術的と称するのか、それとも傑作性、普遍性を伴った文章を芸術的と呼ぶのか。まあ固有名詞的芸術性というのは前衛系芸術で、後者の時代性によって味のついていない傑作のものをファインアートと呼ぶのだろう。わたしは、なけなしの客観性で言えば固有名詞頻出系詩人だが、ファインアートらしい。つまり、コロナ禍に生まれた文化、たとえばトー横とか、あとなんやかんやランジャタイもオズワルドも空気階段とかも流行っていたと思うので、そういう題材を詩に盛り込んで詠ったほうが、時代に対する愛を表明することになり、記録になっていくんですね。だから、流行り言葉はどんどん使った方がいいというのがわたしの立場ではあるんですが、人からはあんまりカラフルな言葉を使わないほうがいいと言われましたけど、大前提、傑作を書くつもりで傑作書ける人なんていませんから、結局書いたとしても薄いコンドームのようなヴェールで、傑作になることを防いでくれますから。いや、わたし菊地成孔をしのぐいい文章を書いてるな。

最近親知らずを抜きました。もう行かない病院なんで言及すると、九州中央病院なる名病院に行きました。死んだ祖母ちゃんもここに入院していた時は一時期いきいきしていて、改めてこの病院に行くと、看護師から生命力が漲っていて、患者もそれに引っ張られてどこかいきいきしていました。病みながらもね。親知らずは下の二本残っていて、一本ずつ抜く予定だったんですけど、まっすぐ生えてるしどうせなら同時にやったほうがいいでしょ?って下積み中の舞台俳優のようなさわやかさのかんばせの歯医者が言っていて、ぜひ!と言ったら、今牛肉(サガリ)すら食べるのキツイくらい食事が厳しくなってるんですけど、一本3000円で抜きました。偉業成し遂げ感がヤバかったです。親知らずの予算が18000円(一本9000円)と見積もっていたので、来月は東京に行くので金ヤバくて、1万円くらいをホテル代に充てて、12月の年金がくるまでの2週間にだいたい1万くらい充てないといけなくて、その上年金が来る前に通院とクレカの引き落としがあって、クレカはアドビとかSpotifyとか入ってるので1万するので、余裕持たせて2万5千残しておかないといけなくて、そういう経緯があると、あらためて一本9000円だとして親知らず抜いてんじゃねえよと思ってますし、実は父親に借金してるのでいつか返さないといけないし、その中でも、今ラッキーで、5000円くらい余裕があるので、文学フリマ福岡に行って詩人として骨を埋めようと思います。文学フリマ福岡はとある詩の会を出禁になった理由の人が運営にいるので、アウェーなんですが、入場無料なので行きます。あらかた目星はついていて、出禁になった詩の会が出してる冊子に死んだ友達が特集されているので、絶対買いたいのと、seiaさんの安すぎる詩集は絶対買いたいのと、しろねこ社さんと今年お知り合いになったのはいいんですけど、向坂くじらの文才って何なのか私はもっと知るべきだと思うし、武田地球さんの薄利多売なポエジーも気になる。そしてたぐいまれな才能を持っていながらなぜか福岡にいてくれているかるべまさひろさんをヲチしたい気持ちもある。

と言いながら、とりあえずは親知らずを抜き、「親分かる」になったわたしは、親のためにパンを買う(しかし親に全額請求する)のであるが、トランドールのパンは確かに品質は担保されているけど、安納芋パイに325円する。福岡価格で。だから大体のパンは200円するのを11個買ったので3000円もパンに使うのは違うと言われて怒られたけど、パン屋さんでパンを買うなら5,6個じゃ足りなくないですか。一人暮らしならまだしも、3人で暮らしているので、その倍、11個買ったんですけど。まあトランドールは平均的なパン屋さんではあるが、世の中には生産度外視でやってる安くてうまいパンが福岡には3件くらいあるので、それをはるばる買いにいくことを次のおせっかいではやります。父親に、「チーズのパンがあと二個あるからそれを食べるといいよ」と言って、わざわざ指差ししたのに、どういうわけか、形状が気になったのだろうか、ミルクパンを結果食べたらしいんですよ。「あのパン甘いシロップが入ってたよ」と言っていて、シロップって(実際は練乳)。陰謀論の香りしませんか。

最近は親と仲がいいです。12時になるといつも母親の話を聞いてます。明後日、10月23日は3年前に精神科病院に入院した日なんですけど、あのころは何もかも訳わからん感じでしたね。ツインレイの概念も、タイムラインには出てたんですけど、我がこととしてとらえてなかったし、ツインレイってどこまでできるのか訳わからなかったです。マンインザミラーみたいに、鏡の中から家に侵入して、靴下を盗んだり、カップ麺を食べたりしてるのかなと思っていましたけれど。今年はどこからきたのかわからないモンダミンイカフライ焼きそばとかあったんですけど、わたしの小学生時代を振り返るに、わたしの鍵を盗んでわたしより先に家に入り、昨日の晩御飯の残りをたいらげて、それを節約生活と呼んで下積みしてるのかと思ってましたが、誤解だったみたいです。わたしが小学校の頃はいつも鍵がなくて、風呂場の策を壊して無理矢理窓から入って家に帰ってたりしてたんですけど、おしっこ行きたい時とか庭におしっこ漏らしたりして、なんでいつも鍵がないんだと思ってました。でもすべてはあまりにわたしが大学入る前まで自我がなかったので、自分で前もって自分のことはコントロールできるようになるまで時間かかったので、だから自分に落ち度があったので、鍵も所定の位置にとどめておくことができなかっただけなんだろうなと思って、ツインレイは悪ではないというのをこの2023年で統合できるようになり、次第に親にも穏やかな態度になるようになりました。親に対する態度というのはツインレイに対する態度なわけですね。

思えば福岡に暮らしているだけでそうとうストレスフリーなんですよ。富山とか行ったらクマに襲われるしね。富山はランジャタイ国崎や水野しずを生んだ土地ではありますが、そういうサバイバルできる人を生む土地だけあって厳しい土地でしょうしね。福岡と違って西鉄バスが網羅できるような土地じゃないでしょうしね。福岡はクマはいないけど、昔動物園から猿が逃げたりはしてましたね。

書くことの楽しさとは固有名詞を言及し尽すことにあります。前の記事は1000文字行かなかったのに、今回4000字くらい書いちゃいました。