文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

西南学院大学文芸部「切株」2022年秋号を読んで

めずらしく「こんにちは」から文章を始めてみたいと思います。

twitterがなくなるらしいですね。googleともめてるらしいけど、7月4日を前後に行うってことは、きっといいことに違いないです。イーロン・マスクも、twitterに旨味を感じたからこそ持続的な取り組みをするつもりでgoogleと交渉してるんじゃないかと思います。

でも、twitterだけ脚光を浴びるのはつまらないです。わたしはthreadsやmastodonを導入してしまいました。mastodonは文字を打つ感度がプルプルしてて気持ち悪いです。threadsは投稿する以前に、ここにやってくる人でいい民族がいないような予感がうっすらあります。instagramはおもしろかったけど、facebookってのはダサい代物だよな…と思っています。

最近なんでか耳がかゆいです。なんでですか。

さて本題に入ります。もう縁もゆかりもゼロだし、かなりの先輩に嫌われているしかなりの後輩に嫌われているので、文芸部にルーツを求めるのはおこがましいのわかっているんですが、やっぱり学祭があると文芸部来ちゃうし、はしまきも買わなかったくせに200円出して文芸部の冊子は買うんですね。文芸部は学術文化会に復帰したんでしょうか。(20期で脱会したけど)

ウルトラ電解質「コノハウオ」

これはモチーフがずっと作者の心の中で温められていた鉱石を感じます。主人公とカマキリが会話していくっていう内容なんですけど、読んだ瞬間に「これはファンタジーだ」とわからないように描いて進めていくというか、あえて理路整然を破壊して、読者にプロットを想起させない構成っていうのが現代の文芸で求められていて、そういうポイントも(ほかにもある)おさえてないと文学賞を獲れないんだろうな、というのがあって、わたしはそういうお作法を踏まえてないと敷居に上げない姿勢が嫌いで、おのずと、読んだ瞬間に「あ、これ主人公人間でカマキリと喋ってるんだ」ってわからない小説が嫌いです。嫌いなんですけど、ほのぼのとしているのでいいか……と思っています。現実とファンタジーのコラージュにより、どこの本屋にも売ってないこの情緒は、これ絶対悪口じゃないんですけど学生文芸部ならではのブランドが保たれています。

ウルトラ電解質「よいこの葬式」

純粋な私小説でした。というのも語弊があるが、ちゃんと事実に基づかれて、代替品を並べてどこまで嘘でどこまで本当かちゃんとわからないように書かれています。途中哲学を語るところがありますが、18期幹事・重原くん節のエレジーを感じました。

西南太郎「随筆遊興」

西の子がなぜ西の子かわかりますか?圧をかけましたか?いや、普通に、そう聞きたくなるのは普通でしょ。わたしは「西新空子」という(単に西新で降りて空港で乗るから)HNでインターネットやってたんですけど、西の子にしてから饒舌になりました。西新空子はがんばって空気読んでて何も喋んなかったです。

小林秀雄の美文に陶酔するのは、ある種才能で、言葉の魔力を正しく読み取る力があるんだろうと思うけど、そういう人は大抵美文に憧れるだけで書く能力はない。しかし、西南太郎が随筆を書き溜めていくうちに、小林秀雄が書けるようになるよ。みたいな作品でした。批評はほんものにとってにせものであるが、これはにせもののにせものからはじまるほんもので、いいものを200円で買えたと思いました。とにかく読書量がすごくて、国語の授業を一ミリも無駄にしてないです。わたしも無駄にしてない気概あったんですが、まだまだでした。

西南学院大学文芸部のメンツの好きなところは、扉を見つめると、「開けたら雪国かもしれない」と発想がかならず飛躍する人がかならず集まるから好きです。

 

以上18期庶務でした。