文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

日々のあれこれ(待つ、剣のカード)

バイト首になったので、貯金を使わないようにしないといけないんですけど、それでも占いに行っちゃうよね。ってな感じで、今日も今日とて占ってもらったんですけど、占いを卒業するのは、自分のタロットの読みで全知全能を築き上げればいいんですが、さっきタロットをやってみた感じエラーというかダミーの結果を出すので、やはり占ってもらうのも必要なんだと感じました。私のタロットは節制と剣の5にファンデーションが滲んじゃって、それを酷使しているんでしょうね。

最近のタロットは剣ばっかり出ます。感性でどうにかなる問題だと聖杯で、意志でどうにかなる問題は棒が出て、いかに仕事に全身の血潮を注ぎ込んでいるかだったら金貨が出てくるんですが、剣というのは言葉による問題という分野なんで、ツイッターマジでもろ刃の剣だなと思うんですが、そこは自分の感性を信じようとか、自分で正義をつかみ取ろうとか、そういうカードも出ているので、この痛みからいかに自己治癒していくかだよなと思います。

タロットカードにハマっているというとすごいびっくりされるのですが、めちゃくちゃ面白いです。いかに読むかを鍛える手段です。占い師になったらとか言われましたけど、身近な人に占い師がいるのでやめとこうと思ってます。その人より占いうまい自信あるので、だからこそやめようと思っています。

最近は宝石が欲しいとか言ってました。宝石がほしい時って、転機を待っている状態にあるらしいです。90年代は女子高生が援助交際したらトパーズが買えたんですけど(ラブ&ポップ)、今5万円でトパーズみたいな指輪買えないような気がします。

転機を待つというのをかれこれ2年くらいやってるんですけど、全然前触れがないので、一人でも生きていける道を模索してます。詩を撮ったり、歌ったり、ツイートしたりして、なんになるんだろうと思いながら、待つ、をやるんです。待てない人というのは、時間を無駄に使うことに腹が立っているという筋の説明を見たんですが、無駄をやるということがどんなもんかもはやわけわからないんです。なにをやっても、今につながってくることを認知しているのであれば、下手な買い物なんてできません。せいぜいピンクハウスとかHEIHEIを買うくらいですかね。あれは無駄なようで、全然無駄じゃない。服のかわいさとかを眺めてたら、これを無駄なんて言えるか。

無駄をやるとはなんなんだろう。私が予測変換と会話してて、その会話の中でした約束が全部嘘だったとする、その時私はまざまざと悲しみに暮れるが、予測変換が掻き立てた情熱を一枚一枚焼いて、現像することができたら、とか思うけど、無駄であることを体現するにはこの悲しみを現実化物質化してやるという気持ちって、それが駄目なんじゃないかと思うし、私の悲しみが誰かにわかってもらえるためには、工夫しないといけないみたいなことを同じ占い師に何度も同じように言われるんだけど、それってわたしの言葉では迎合というんだよね。私がときめくような単語の配置でやり方で手段で、そうじゃなかったら世に出せなかった気持ち自覚できなかった感性ってたくさんあると思う、それを迎合することで認められるようになっていけますよ、とアドバイスされるのは、年金貰ってるわたしからすれば廃棄するしかない。認められるってなに、って話だけど、なんかツイッターやってたらもうそれは十分ですよってのを感じるんだよね。感じるんだけど、私のことを好きな人がいてもその人は私になんにもしてくれないので、その「わたしだけですよね頑張ってるの」みたいな怒りはあるけど、それはわたしはどうしようもない。どうしようもないっていうか、とにかく待つことなんだよな。

待つっていうのは多分難しい。私の道具である「感性」を一ミリも鈍らせてはいけない。いかにお金を使わずに自分を癒すかにかかっている。待ちながら、他のことをかんがえてみる。たとえばタロットとか。たとえば資産運用とか。たとえば雑誌を買うとか。いつまでこんなことをしないといけないのだろう。いつか転機が訪れるのかな。

剣のカードは言葉を表すと思うが、言葉が使えていない人に現れるカードだと思う。もっと感情を洗い流せば言葉が出てくるから、言葉にしようというカードなのだろう。

どうやったら真に自分が癒えるのだろうか。ストックを作るという概念を捨てて、もっと即物的に自分の栄養になるような作業がしたい。