文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

占い師とカウンセラーの違い

どの媒体が文字を量産するのに適しているのかまだわからない。ポエムはGoogle Keepで書いてて、Evernoteを買っているくせにEvernoteはコピペ格納用にしか活用できていない。Evernoteは縦書きにできないのだろうか。Wordのほうがフォーマット的に書くやる気が上がるんだよな。

今日話したいのは、カウンセラーと占い師の違いである。簡単に言うと、カウンセラーは喧嘩別れで縁が切れるが占い師はクランケの都合で、しかもクランケが幸せになった時に縁を切ることになる。別に占い師でも「こいつ全然当たらないな…」という人なら二度目はないが、そうじゃない人、何度も頼りにする場合というのは、普通ないんだろうな…と占いに通っていて思う。

はっきり言って、カウンセリングにお金をかけるのは馬鹿だと思う。カウンセリングは気が迷っている人を常識で殴る行為である。常識を覆す側の人間、たとえば私とかアートに携わる人はカウンセラーの話をまじめに聴いてるとつまらない創作しかできなくなる。そういう人たちが真に求めているのは師匠であり、その代理をカウンセラーに務めさせても時間と金の無駄である。普通の人はカウンセリングに行くとがっかりして二度と行かないが、哲学の二番煎じである心理学に選ばれた人はカウンセリングを買うようになると思う。でもまあ、心理学に心惹かれるなら、河合隼雄を買って読んだほうが質がいいし安上がりだと思う。頭がいい人なら河合隼雄ユング心理学入門を読んでインスピレーションとは何かを心得ることができるだろう。

カウンセリングというのは知り合いとお茶する予定の代替であり、カウンセリングしなくても知り合いと飯が食えるならそいつのほうがカウンセラーよりいいアドバイスをくれるはずだ。というと、私にはそんな友達がいない、とか友達がいたとしても自分を理解してくれない、とかあるけど、そもそも他人は自分を理解しないものとして考えたとき、相手から何を得るかを洗い出すと、人の悩みしか聞く生活をしてないカウンセラーよりも、自分なりの日常を切り盛りしている人の話を聞いたほうがインスピレーションに富んでいる。カウンセラーはいろんな人を見ているようでひとりしか見ていないということがある。それよりは、意に沿わない他人を見聞きしている労働者である知り合いを鏡にして自分を見つめると結構発見がある。

友達を作るということは、いつか友達と縁が切れるということでもあり、友達がいないからと言って作る必要はない。というのも、検索をすれば結構参考になる。たとえば淫夢を見たとしたら出てきたものを検索ワードに入れて、それにプラス「スピリチュアル」と入れて検索すると参考になる。胡散臭いサイトも見るべし。胡散臭いサイトも、友達が自分に抱いているステレオタイプや偏見も、同じだからだ。

占い師はいわば一期一会の精神、ワンナイトラブならぬワンナイトインスピレーションだ。占い師は自分の人生を導いてくれることはないが、自分がどの部類の人種に属しているのかは指針になる。タロットカードの読みも、最近占いを勉強してみて思うのは、霊的な力とか超能力的に読むのではなくて、相談者の日常の解釈をタロットカードでランダムに出た目に合わせて読んでいくというだけのものだと思う。つまり、タロットカードの醍醐味は結局選ばない選択肢の未来も考えてみるということにあると思う。まあ人それぞれ。私は思った通りの解釈が出るまで通ってますが。

私は悩みを相談するとき、正しいものを提示されるよりは、違う選択肢を見ていろいろ考えたほうが好きです。まあ、私は働いてないので膨大な暇があるんですよ。私の場合は、カウンセラーに話をしてもカウンセラーがキャパオーバーしてたのでこりゃつまらんなと思い、令和となってはヤクザな道になってしまったスピリチュアルで考えた方がいいのかな?と思い占いに通うようになりましたが、金はかかるけどいい勉強になりました。いろいろな占いに行きました。霊視、タロット、道端で机出して占っている人。道端で机出して占っている人は高くて2000円くらいなんですが、糊を鼻くそで代用するような精度悪い汚い占いやってます。でもあんまり悪口言うと逆恨みして変な悪霊飛ばしそうだから注意ですね。霊視も行きましたけど、人によりますね。私はタロットカード占いが向いてました。霊視と言うのは多分胡散臭いビジネスやっている人が好む分野だと思います。

タロットカードは日本でやるには歴史が浅く、その占術を信じる強度は他の占術、つまり学問の統計よりも脆いみたいなことを言われましたが、確かに当たってはないです。当たってはないけど、占い師が自分のことをその一瞬だけ一生懸命閃いてくれるじゃないですか。つまりそこから出たみ言葉はポエム。だからタロットカード好きです。