文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

架空ラジオ「工藤蛍電のオールナイトニッポン」2020・12・05

こんばんは。いつも遅くまでご苦労様です。今日も始まります、オールナイトニッポン。はああ。ウンコしたい。生理になるといつもウンコしたいのはなぜ? 私だけでしょ、あとウンコしたくなるのは朝ごはん食べた後と、元彼にバックで突かれた時くらいですかね。さてタイトルコール行きましょう、工藤蛍電の、オールナイトニッポン

出囃子「アニマルガール」バイナリキッド


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私ね、そんなにラジオ好きじゃないんですけど、ラジオってどんなもんだったけなと思いながら今喋っています。三四郎が好きだった時はたまにがんばって目覚ましつけて聴いてましたけど、あれ大学生だからできたんですね。社会人とかだったら、そもそも三四郎を好きになってないし、三四郎を知ることもない。今は就労支援通ってますから、テレビとか見る時間いっぱいありますけど、だからランジャタイとか見てゲラゲラ笑ってますけど、本当芸人さんを好きになるのはその瞬間瞬間でしかないので、たとえばカズレーザーみたいにYouTubeもクイズもめざまし8もマルチにやってくれるのは奇跡です。奇跡があるからと言って、めざまし8に出てくれることをありがたいと思うかは別ですけど。ランジャタイとかYouTubeをまめに更新してくれたのは2021のもういっちょぐらいがありがたかった。もういっちょもディレクターがテレ朝から独立したから二度とああいう手厚い雑誌のような動画配信を更新してくれることはないと思いますが、そういう目の前にあるおもしろいを一生懸命捕まえて楽しまないと、売れるにしろ衰退するにせよ、青春は終わってしまいますからね。


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ランジャタイのネタで一番好きなのはウッチャンナンチャンもそうなんですけど、チャンペイチョンペイチャイですね。あれは、実話だと思っていました。チャンペイチョンペイチャイの正体は秋元康で、秋元康が近所に住んでて、秋元康の秘密を知ってしまったからあんな事件が起こったんだと思っていました。最近ウッチャンナンチャンの若いころの動画を「夢で逢えたら」がYouTubeに流れていて拝見したのですが、ウッチャンがいかにもかっこいい青年をやっていて、いたたまれなかったです。今みたいなすこし影のあるおいちゃんになるまでに、何か障害があったんだろうなと察しました。ウッチャンと言えば久本雅美ですよね。信仰を強要するのはよくないと言って干されたやつ。でも内村プロデュースとかやってたんで、干されてはないよね~と今なら思う。今でいうくりぃむしちゅーの立ち位置にウッチャンナンチャンがいたんではないか。


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ここで一曲。HALCALIで「BABY BLUE」。この時期になるとハルカリの「ストロベリーチップス」ばっかり聴いてしまうんですけど、懐かしいですよね。最近の曲でクリスマスソングってなんですか。誰にでも通じる話で言えば、柴田聡子の「涙」しか思いつかないです。柴田聡子は12月13日くらいが誕生日なので、クリスマスと自分がリンクしているんですよね。なぜBABY BLUEかと言うと、クリスマス前に片思いしている人がどれだけいるんだろうと思いまして。クリスマスにおいてもっとも幸せなことは、好きな人と両想いであることではなく、誰でもいい人とセックスして享楽を得ることではなく、欲しいものがあるということに過ぎないのです。欲しいものがあっても、手に入らないとか、すぐ飽きるとか、ありますけど、好きな人を好きでいられる状態がそれ以外の手段よりいちばん贅沢なんだなって思いますね。

”お目覚めブルーな朝 さわぎたいはずの週末がstart 思い出すboy好きなのに 今度もまた片思いだし”

ここの歌詞がめちゃくちゃ好きです。その気持ち、大事にしてね


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ここから最近ずっと思ってた喋りたい話をします。最近カウンセリングに旨味を感じなくなりました。というのも、この人が気に食わないというよりは、相談を持ち込んで離す人話す人、私の悩みにピントずれた回答をするんですね。別に小説を書くことに悩んでないし、小説の評価を気にしてない時に限って「通信教育で小説を学んだほうがいいよ」とか言われてはらわた煮えくりかえらないわけないでしょ。小説は、書きたくないから、書いてないし、あんたも特に面白いとほめてるわけでもないのに、なんであんたが勝手に私の創作に評価のレベルを持ち込んでそこに向かって頑張りなさいと言われないといけないわけ?って純粋に思いました。賞を獲ることで報われるっていまだに思ってるんでしょうね。そういうのやめたって前言ったはずなんだけどな。賞を目指さないといけないんですかね。メフィスト賞の受賞者とかチラ見したけど、編集者の好みでしか評価されてなくて、編集者の読みやすい人種しか採用されそうにないんだなって思うんですよね。でもそん中をぶち抜くのが本当の作家なんでしょうけど、編集者に角をもがれてしまうくらいなら作家目指しませんよ。そういう最先端の気づきにカウンセラーがついていけてなくて、そういう人に付き合う暇ないんですよね。まあそういう人が話を聞いてくれなかったら誰も私の気持ちをわかる人はいなくなりますが、わかってもらわなくてよくないですか。自分の小説の展望全部人に話す馬鹿いますか。カウンセリングでどこまで正直でいるかってそういうのと一緒。カウンセリングって、嘘のつき甲斐がある場所なんですけど、嘘つくの好きじゃないんですよね。嘘をつくより逃れたい事実が次から次へと増殖していくから。

まあ他にも占い師に話してると、「あなたが悪霊がいることを心地よく思っているから、悪霊があなたの体内に住み着いてしまう。本当はあなたの意志で悪霊はどっか行く」って言ってましたけど、まあその占い師に丁寧に自分のこと描写できたかというと、面倒臭がって話してませんでしたが、悪霊と思っているなら、悪霊に対する抵抗が足りないと言われて、めちゃくちゃ腹立ちました。鑑定料の5000円返してほしい。払っちゃったけど。という訳で、幽霊を感じることができたとしても本当のことはなんにも見えてないんですよね。スピリチュアルカードで鑑定する占いのおばちゃんだって、カードを引いてはみるけどカードの読みは私より浅いと思いました。カードの読みが深けりゃ的から離れるし、いいことはないけど、だからと言って的を得ているわけでもないと感じました。見えるとか見えないとかは、まあ見えたほうがストレスでしょうけど、どのみち刺激をどう処理するかの経験値となんでもこいやの精神があるかどうかで人は決まるので、まあ占いのおばちゃんは人間として貧しい人だなと思うばかりですね。神様と人間の関係を魂のレベルの違いで説明したけど、それ語彙力が乏しい。レベルじゃなくて、ピントの違い。クソババアなのに小娘の私に論破されて今まで何して生きてきたの

あとカウンセラーと縁を切ろうとしてたら、別のカウンセラーに「大事にしたほうがいい」と言われましたけど、切ります。多分、カウンセラーが有名人だったので、別のカウンセラーからしたら勿体ないと思ったんでしょう。カウンセラーと喋っていると、わたしたちよりか学問をめちゃくちゃ信仰している人たちですから、学問に則したものの捉え方で発言するんですが、それだと私のポエムがダサく見えるらしいんですよね。深層心理とかいうラベリングされて。そういうのに付き合っていちいちアドバイス貰ってるといいことないな~と思ったのでカウンセリングはしません。

私の悪霊は、カウンセリングで盛り上がるとディスるのですが、カウンセリングで嫌な思いをした後だと「またカウンセリング行ってきて」と言います。こういうのにどう抵抗したらいいんでしょうか。カウンセリング行かないことですよね。

カウンセリングは通信教育と一緒で、余計な一言をもらって、発言源はたいした意味を込めてなくても、受信者はいつまでも心にとげがささったような気持ちで言葉を受け取ることがつきものです。たとえ君の小説は描写が少ないからつまらないと言われても、逆に直接的な物言いだったり無駄のなさだったりが持ち味だったのに、その言葉で自分らしさを失うくらいなら、最初から一人でコツコツ描いてたほうがいいです。人に意見を求めるんであれば、その意見を聴き抜く覚悟が必要だと思いますが、無駄な一言を貰って無駄に傷つくのが嫌なら人の話を聞かないほうがいいです。小説に関して言えば、まあ賞に認められることのきな臭さもそうですけど、相手の反応をうかがうような文章って物として存在する価値ないじゃないですか。そんなの、会話で解決させろよ。

さて、ここで一曲。ヒャダイン「クリスマス?なにそれ?美味しいの?」


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クリスマスのムードに圧し負けそうになったら、ヒャダインを聴くといいですよ。なにくそ魂がさく裂している。Spotifyだとちょっと歌詞がダサくなっているのでやはりYouTubeを聴くべしです。

クリスマスの思い出は、オーナメントを毎年二個くらいずつこっそり自分の部屋の引き出しに持ち込むんですが、夏場にそれを見つけるとオーナメントだったのに魅力が半減してるんですね。あと不二家でバイトしてた時に、同僚さんの栄養ドリンクがうれしかったのを覚えています。元彼とセックスしたことは二の次ですね。サンタコスとかドンキで買ってしましたけど、クリスマスに思い出はない。元彼の先走り汁の塩気とかくちびるのびろびろとかは覚えてますけど、サンプルとして採集しただけでしたね。そのデータを増やそうという気概は今現在ない。私と付き合いますか?

かつて私は目の前に男がいたら、どんな男であったとしても、そこにロマンスを見出そうと言う初心を4歳くらいの時から、原初の記憶ですかね?持っていたんですけど、元彼が私と付き合うことで人間として自信がついて親にもよろこばれたという経験をしたんですけど、それを受けて思うことは、セックスしてまで人間の価値を見出すことないな~と思いました。今も若いし、振り返る当時と5歳くらいしか変わらないですが、恋をすることで自分が育っていくというか箔がつくって思うのは愚かですね。実際、発想力だと思うんです。自分に価値があるかどうかは自分が価値あると思ってるかどうかなんで、そこに恋人として自尊心に関わろうとするのは間違っているよなと思うんですよね。自分が情けない糞野郎と思っているならそれはどこかの視点からみたらセクシーなんだと思うし、どの角度から見たら自分はセクシーなのかを探ることですよね。それは自尊心が欲しいとか欲しくないとか関係なしに全人類自分がどこから見たらセクシーなのかを自覚するべきです。じゃないと自分の見えないところで利用されるので。まあ関係ないですけど、私はオナニーが好きなんですよね。比喩ですよ。実際オナニーをする時、松永天馬ではイクことはないけど、寝る前のぼんやりとした空虚を何で埋めるかって松永天馬が高校生の時にタイムスリップしたら何するかばっかり考えてます。そういうのが高じて「リビングリビールビルドリビドー」を書いたんですよね。まあ哲学をするということは苦しむということ。自分の不幸を現実まで帳尻を合わせる技術が哲学です。クリスマスまでに仕上げていきましょう。

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最後に、新曲を発表します。作詞だけ私がしておきました。作曲は各位ご唱和ください。では。

「LADY, don't dream fantasy」

lady, dont dream fantasy
how you are ugly, you are so sexy
how you are colorless, too beautiful

but dont believe fantasy
is poor than your illusion
you dont feel boys poesy
such a thing is no worth

point is your betting
what you bet life in who
you can be anyone,
you belong sad
or become fat
or face death,

dance like a fly
dry like laundry