文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

占いは益か否か

占いにハマっていると言うと、みんなが口を酸っぱくして「やめときなさい」と言う。確かに、週に3回行って、それを半年くらいやっていると、20万くらいはかかっていることになり、そこまでして無駄をやりたいのかと詰られる。でも、無駄は底がないのだ。

占いは宗教だとか詐欺の壺だとか言う人がいる。そこまで言う人は、贅沢をやる才能がない人種だと思う。贅沢ができない人が占いについてとやかく文句を言う。私は違う。私は毎月6万円分贅沢ができる。

さんざん贅沢をし尽して思ったことを今日書き出そうと思う。占いは統計学なので、基本、もっともらしい。占いは言葉その通りを信じるから当たるんではなく、占いで出たことの中でどの意味信号ならもっともらしいかを自分の腹で探ることが大事。そこで占いを読めたらなんでも潰しが効く。

基本的に、一人の先生に一本だけ占うほうがいい。いろんな先生にやってもらうのは、先生一人ひとりが描くストーリーを阻害してしまう。

あとは出来事が起こらないうちに二回目占うのは愚かだと思う。二回目占うこと自体は、同じことを二回聞くという意味では、インスピレーションが二回目にして獲得できることはあるので、いいと思う。

占いに行っていいことがあるとしたら、自分の心が軽くなること以外にない。当たるとか当たらないとかじゃない。ただ、自分の気持ちのおさまりがつくかどうか、その局所に効く。それ以上のことを求めるのは、占い師の裁量ではない。そこの自己判断が難しい。当たるかどうかはさておいて、自分のことをしっくりくる言葉でもっともらしく肯定される場所、が占いだと思う。

以下、過去ログから引用

占い師はいわば一期一会の精神、ワンナイトラブならぬワンナイトインスピレーションだ。占い師は自分の人生を導いてくれることはないが、自分がどの部類の人種に属しているのかは指針になる。タロットカードの読みも、最近占いを勉強してみて思うのは、霊的な力とか超能力的に読むのではなくて、相談者の日常の解釈をタロットカードでランダムに出た目に合わせて読んでいくというだけのものだと思う。つまり、タロットカードの醍醐味は結局選ばない選択肢の未来も考えてみるということにあると思う。まあ人それぞれ。私は思った通りの解釈が出るまで通ってますが。

私は悩みを相談するとき、正しいものを提示されるよりは、違う選択肢を見ていろいろ考えたほうが好きです。まあ、私は働いてないので膨大な暇があるんですよ。私の場合は、カウンセラーに話をしてもカウンセラーがキャパオーバーしてたのでこりゃつまらんなと思い、令和となってはヤクザな道になってしまったスピリチュアルで考えた方がいいのかな?と思い占いに通うようになりましたが、金はかかるけどいい勉強になりました。いろいろな占いに行きました。霊視、タロット、道端で机出して占っている人。道端で机出して占っている人は高くて2000円くらいなんですが、糊を鼻くそで代用するような精度悪い汚い占いやってます。でもあんまり悪口言うと逆恨みして変な悪霊飛ばしそうだから注意ですね。霊視も行きましたけど、人によりますね。私はタロットカード占いが向いてました。霊視と言うのは多分胡散臭いビジネスやっている人が好む分野だと思います。

タロットカードは日本でやるには歴史が浅く、その占術を信じる強度は他の占術、つまり学問の統計よりも脆いみたいなことを言われましたが、確かに当たってはないです。当たってはないけど、占い師が自分のことをその一瞬だけ一生懸命閃いてくれるじゃないですか。つまりそこから出たみ言葉はポエム。だからタロットカード好きです。

占いもカウンセリングも本質変わらないと思います。なんだ。昔の自分が言いたいこと全部言ってるじゃん。

占いなんかよりヤクザな趣味はいっぱいあります。そんな中でも私はこの趣味を大切にしたいです。信じられないもの、信じた方がよかったもの、さまざまありますが、今自分の踏みしめている地面の土壌の豊かさにお茶を一杯啜りたいと思います。

基本的に、占いは真に悩んだ人の味方です。占いでうまく話せなかったり、うまく伝わらなかったり、いいアドバイスが貰えなかったりしても、真に悩んでいれば、そこに通ずる由縁を心得ることができます。