文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

童貞について

敢えて言うけど、私は童貞じゃない。童貞を捨てれば世界が変わると信じていた一人だ。厳密にいえば童貞を捨てることで悟れた部分はある。童貞を捨てても変わらないということがまざまざと受諾させられた。童貞のほうが、人として箔がついているように思う。小谷野敦の影響だ。

童貞であることと童貞じゃないことの差は、幻想を抱けるかどうかだと思うが、童貞を捨ててしまったら現実的な視野に一直線になってしまう。童貞であったほうがなんにおいても創造性を持つことができたはずだ。

初恋は報われないからいい、という三島由紀夫の言葉がある。人類に限界があることを知るには失恋しないとなかなかしっくりこないと思う。

 

童貞に関してさまざまな都市伝説がある。30歳までに卒業しないと魔法使いになるとかなんとか。あれはどっかの意味信号の配線上では真理っぽいなと思う。しかし40歳の童貞男という映画がある。結婚する人がいるように童貞という生き方をやっている人も存在すると思う。選ぶことは選ばないこともあるのだから。40歳の童貞は気配りの精度を上げる努力もしていながら、一方で人間関係というエネルギーの発電に限界を見ており、わかることが出てきてだったらやんねーよを実践している。若いうちは惑い、おそれ、私みたいに童貞を捨ててしまう。しかし本当に賢いのは好きな人としか真に語り合わないという精神だと思う。

 

私は童貞を捨てたので現実まっしぐらをやるしかないのだが、童貞を引き続きたしなむ方はじっくり人生を味わい、おちょこに入れた熱燗を一晩中ちびちび舐めるように人生を楽しんでいけばいいのではないかと思う。そっちの人生の方が絶対楽しいよ

 

一方でどうして童貞を捨てることに意義を見出していたのかを告白すると、オナニーがやめられなかったから、自分には性欲を追い求めるくらい巨大なリビドーがあり、それを恋人をつくって癒さないと駄目だ、と思っていたからなのだが、ふたを開けてみればただオナニーが好きなだけで、セックスも高まることは高まるが、オナニーのほうが自分を語れるしぐさだなと思った。私は性欲が強いというよりは、まあ、単に寝れないだけなのである。そっちのほうがなんか理由としてエロいな。エロくなくなりたいのだが。眠るためには、眠れないこともあるほうが正しいだろう。

 

ウクライナ情勢、見れば見るほど、人類の愚かさを感じる。だけど人類は賢くない。明日賢くなれるにしても、今日その分わからないことがあるだろう。そこの諦め。人間は僕を知るほど賢くないのだという諦念に童貞はある。ピュアでいながら、渋い。

 

性欲から自分と言う存在だけでも分離させたいという人もいるだろう。そういう人には風俗行けば?とからかいたくなるものだが、性欲と言うのは別に汚いものではないし、むしろ切り取り方によっては綺麗な精神を育てる装置なのだが、まあ就労支援の事業所のドアを開けたらそこに性欲があると困るわけで。まあ性欲をいかにきれいに濾過できるかという問いの正解例の一つが童貞という生き方なのだが。

 

最後に私の好みのタイプを言う。根尾あかりだ。たぬき顔。わがままちゃん。底なしの堕落気質。だけど日々のルーティンワークで自分をとどめている。かわいい。そして抜ける。抜けないし抜ける。