文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

『少女を埋める』について

少女を埋める、についてを論じながら自分を語ることが、ちょっとしたムーブメントになっているような気がするのでその波に乗る。

少女を埋める、という小説は本来桜庭一樹のとりとめのない話に過ぎなかったはずだ。しかしその小説につやをつけようとしたのが鴻巣さんで、鴻巣さんは桜庭一樹ファンを名乗ってはいるが恐らくばらばら死体の夜とか読んでないと思う。

一般的に挙がる”少女性”というのは西洋にまみれた思想で、それを東洋人が体現したときこざかしい打算的なかわいくない女の子になってしまう。しかし桜庭一樹の描く少女はとりわけ美少女を指すことが多く、日本の美少女は汚いやつらに夢を塗りたくられて殴られる。鴻巣さんは美少女性でしか桜庭一樹を多分評価してないと思う。美少女の中に埋もれた血が噴き出しそうなトラウマやストレスは知らないんだと思う。桜庭一樹を読んだとしても。だって鴻巣さんはmadamだから。

桜庭一樹のことを一時期ウィキペディアの文句で「美少女作家」と記載されていたので、私は勝手に美少女を描く作家にとどまらず、美少女である作家だと思っていたのは最近までのことである。実際私は桜庭一樹の顔が好きだし、美少女だったと思うけど、作品にあったようなトラウマは桜庭一樹が体験したものではないとこの私小説を読んで断定してもいいのではないかと思った。桜庭一樹の家族は情緒豊かな家であったと思う。

書き下ろしでは桜庭一樹赤朽葉家の伝説が両親のお計らいによって生まれたことを示唆するような箇所があった。私はそこで桜庭一樹という作品は父親のゴーストライトのもと生まれた連なりで、父親が亡くなった途端あの蜷色の妖気を失ったのだろうか?と考えたが、私が鴻巣さんではないのはここに違いがあるが、もしそうだとしたら父親が、というより、出版社の編集者のアイデアに乗り続けた、という読みの方がいい線なのでは?という検証を私はやっている。私は適当におしりからひねりだしたマシュマロを簡単に傑作だと言わない。言おうとした瞬間に背筋が凍り、再考せよという気持ちになる。それは私の霊感によるものだが。桜庭一樹もこうした霊感を父親から授かって文章を書き続けたのかな?と思っていたが、現時点では人類のどのくらいの母数霊感に忠実であるかをまだ統計できていない。

少女を埋める、について論じるとやはり鴻巣さんが連想されて仕方ないのは、桜庭一樹にとって気の毒だと思うので、鴻巣がいなかった場合の話をしようと思う。

まずタクシー運転手の気持ち悪さについてだが、最近新潟に行ってきたのだが、新潟のタクシー運転手も気持ち悪かった。おじさんについて気持ち悪いで閉じてしまうと、文学の可能性をないがしろにしてしまうので、ちょっとだけ考えてみると、おじさんというものは人生を煮詰めすぎている節があるのではないかと思う。そこに水をいれてくれという願いを優しそうな見た目の女の人は言葉の端々で受け取ることがあるのだろうと思う。私は正直なので、なおかつ後腐れないので、金払って黙らせるが、金で解決できない、たとえば優しさを搾取される時、どうすればいいか。優しくするしかないんだと思う。そこで自分が奪われたとしても、優しくしてやったという自負が傷を回復させていく。

父親の死についてだが、GOSICKを一巻しか読んだことがないので、あまり検証ができないが桜庭はGOSICKと両親をダブらせているところがあって、それをここで語っちゃうんだあもったいないなあと思った。しかし両親の愛を見せつけられてやれやれとする桜庭一樹を見ているとほんと裕福な家庭に育ったんだなと思う。母親のヒステリーはあれど、医者の友人にアドバイスを貰っているのを見るとPTSDとかあるんだろうかと邪推してみたくなる気持ちはあるけど、そうだとしても桜庭一樹が繊細すぎるだけでしかないので、特に最低なこと、センセーショナルな事実がないことに、安心するばかりである。

異端について、出て行け、もしくは従え、しかありえないのだろうか?という問いに関してはいじめがわかりやすいだろう。答えはそうではない、と言える。その軌跡みたいな作品は桜庭一樹より辻村深月のほうが詳しいだろう。キメラでは桜庭一樹が”誤読する大きな読者”をどう扱うかについて丁寧に描写しているのが見どころだが、決して分かり合おうとは思っていない。つまり諍いの後結束しようと思っていない。桜庭一樹は流行に敏感であるのは桜庭一樹フリークをやっていて感じるが、桜庭一樹は特に、結局人間は一人で生きていくものだと割り切っている。だからこういう場面になると相手の背景を網羅しようとするような無駄なことはやらない。鴻巣は今わたしはそういうしぐさを受け取っているのだと勘違いしている節があるが、しょせん鴻巣さんの読みは正確性がないので、ディスコミュニケーションは広がるばかりなのである。そういうところも読めてないのに桜庭一樹ファンをうかつに自称しないでほしいと思う。

桜庭一樹の優れているところはアカデミックなワードを好みながらも平易な姿勢を崩さないところである。しかし私がそういう方面に全く関心がないので、トーンポリシングとかスルーしていくのだが、読書会とかやるんだったらこの点を拾っていけば空白の時間を埋めることができると思う。

『少女を埋める』では、ちょいちょい桜庭一樹が無理やり結婚されそうになった話とか元旦那なのかな?と思うような話もあるが、ここで話すんだなあ~もったいないなあと思う。でも元旦那の話もそこにドラマがあったら小説にするはずだし、しないくらいの野の花のような出来事だったんだと受け取るしかない。

他にも思索の余地がある箇所は山ほどあるが、きりがないのでここまでにする。

最後に私的桜庭一樹ベスト3を発表する

1 青年のための読書クラブ

2 ほんとうの花を見せにきた

3 ばらばら死体の夜

1は中学校の図書館新聞に載っていた。そこで道徳という名の少年も紹介されていたから驚きである。あの時の桜庭一樹の髪型は縦ロールだった気がする。違う人かな?

2は中身のタイトルも秀逸すぎる。中国文学を目指していたのかな?と今思った。菉竹山房という短編小説を大学のゼミで読んだが。

3はこれはもう桜庭一樹至上最大の悪趣味。Vシネマみたい。

桜庭一樹は性格悪いという書き込みをどこかで見かけて、そうなのかなあと思いながら何年も経ったが、性格が悪いと言えるとすればAdoの画像を貼って鴻巣さんに抗議していた瞬間を切り取るくらいしかなくて、そういう小さな抵抗でしか勇気がでないような、本当は繊細で臆病でおしゃべりな小説家そのものの人なんだろうなと今回思った。少女を描いてください。ここで詳細をお願いすると叶わないというのは感じます。祈るにも技術はあることを知っているので、どうせならまるまる叶えてほしいので、つべこべは言いません。とか言いながら言ってしまいます。新潟を舞台にした小説待ってます。