文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

彼女がいわなかったすべてのこと 予想

桜庭一樹の新刊が出るのでどんな話なのかを想像してみる。(帯は見た)

文化人と田舎者のジェネレーションギャップを描いた話?だとしたら、わたしはいまだに、田舎者のままで、この本を読むと文化人にはなれないけど、いかに自分が自分であるかはわかるかもしれない。

中川くんと小林さんの話だが、昔noteにミスiDになろうとしていた時に「中村令和くん」と「左川冥衣」と「右田亜依」でアイドルものを描こうとしていたことがあった。中川くんに「中村令和」のシンパシーを勝手に感じた。書き直そうかな(他の作品で作品内場面を流用したけど、リミックスとしてとらえればいいよね)

この小説は「波間のふたり」というタイトルで連載されていたらしいけど、一切追ってない。なんか忙しかった。イライラしてたし、桜庭一樹に対しても「春ねむりを擁護できないならお前の志なんて中途半端だよ」とか言ってたし。

なんか最近になってわかったよ。みんなそれぞれすごいから、守るべきものがあって、それをわざわざ正直に話さないんだね。みんな、それぞれ、器用に嘘つけている。どこまで嘘でどこまで信じるべきかわからなくなる時は人生それもたまにあるけど、後輩がわたしを見かけたら声かけるように、わかる人にはわかりあっていいし、わからないならわからなくていい。

でもまあわたしは正直でいることに対しては国家転覆を狙っているから、戦争なんてなかったと言っちゃえるけど。でもわたしはあくまで統合失調症なんだよな。いや、厳密に言えば、統合失調症より病気なのはポエマーであることだが。

最近はスポチハイで美輪明宏をしみじみ聞いていたけど、戦争はあるのかないのか、透視してみたんだけど、わたしはあると思う。創作物はどこかで嘘をつかないと光らないというお作法があるので、それを踏まえてなにが嘘かというのは、男と女というモチーフの反転にあると思う。この曲を聴くと、男っていいなと思う。女は花のように生きている故に脇役ですらない、ただの雑草化されている。美輪明宏が愛に生きたということは、まあ戦争に生きたということであるが、いかに薔薇を咲かせるか、というのは、じつは手淫のようにひもじいものかもしれない。

桜庭一樹の描くキャラクターは、二階堂奥歯的である。なにがいいたいかって、不幸や絶望を嗜んでいる。破滅する生き様に戦略的である。平成の豪華絢爛ここにあり。いつの時代だって贅沢はあるものだ。

桜庭一樹の短編集に「モコ&猫」という話があるが、「僕」はメンヘラ製造機であることをカルマとして生きている大学生だが、ある日サークルで「モコ」と出会う。モコは黒光りしている顔をてかてかさせて、幹事の男の人への恋慕を僕に語る。どんなにアプローチしても幹事にいなされて、やけくそになったモコは僕とワンナイトラブをするが、思いのほかハマってしまい、ずぶずぶの関係になる。そこに、モコそっくりな美大生のハルがあらわれて、僕はハルに乗り換えてしまう。モコはストレスでぶくぶく太り、就活を失敗し、僕を呪うようにつきまとう様子を、サークルでこっそり飼っている猫は腐ったミカンを見るように眺めていく。この話を読み返しているのだが、実に、ありふれていていいなあ……と思った

桜庭一樹への期待が日に日に増してきていて、この思いのたけを桜庭一樹に背負わすのはかわいそうなくらいである。

最後に桜庭一樹のいいところを言おう。まず第一にレースめいたポエジーである。丁寧に編まれていて、心の中のなみだがぽたぽた落ちていくことがある。第二に、全部好きであるとは言えないところだ。読みどころの挑戦のしがいがある。第三に、ドパミンどばどばの構成があるところだ。構造がおもしろい。読書量のたまものなんだろう。どうやって読書量を担保してきたのだろう。鳥取って金持ちなの?第四に、謙虚でいながらも滲み出てくる悪のこころである。桜庭一樹を10年愛好していると、10年読んで総合できるからこそ、桜庭一樹のはしたなさというのがわかる。平成仕様とでもいうのだろうか。令和に入り、ポリコレあるから大丈夫かな?さすがに店畳んだかな?と思っていても、紅だ!で見せてくれた。ごめんなさい。わたしどものために。本当は、あたらしいことを考えるのに没頭したいだろうに。はしたなさと批評するから直したくなるのかな。いやあ。直したら心配してしまう。くさやはくさいからおいしいんですよ。

桜庭一樹の新刊は、はしたなさを大いに期待してしまう。見境なく拙さを暴走させてほしい。でもそれは私の創作にも言えるんだろうな。あはは。