文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

年度末は人間性をメンテナンスしよう

最近、ツイートができない。なぜかと言うと、まあすべては春が来てしまったからとかいうことにもできるけど、いつしか私のタイムラインのおもしろを提供する義務を感じるようになり、それが面倒くさいなと思って呟かないようになった。とはいっても一日10はツイートしている気がする。あとなんやかんやでいいねも毎日3つくらいはしている気がする。どんなにクソな日でもいいねは3つくらいはできるということを留意してほしい。

私の身の回りだととくに出来事はないが、正社員として働いている人の3月末の閉そく感といったら、どうしようか悩む。まあ私は私を生きればいいのだが、年度末忙しすぎて人間性のメンテナンスが行き届いてないひとたちに対して、どういう態度が望ましいのだろうと悩んでいる。

関係ないけど給与明細がやってきた。3万なかった。結構働いていたし、気を使ったのだがそれでも3万という額にショックは受けたものの、そもそも私は年金を貰っているし、働いているのも社会貢献や正当な慈善活動の一環としてやっているわけだから、しょっぼとか言ってはいけないと感じる。

正社員というのは、はけ口である。正社員だからという名目で、アルバイトやパートが本来請け負うべきヘイトを一切かぶってもらっている。本当は一人前の人間として一人分のヘイトに真摯に向き合ってこそ正統な社会構造だと言えるのだが、効率を求めていくとそうはいかないので、正社員がユンケル飲みながら働いている。正社員のライフを補充するにはどうすればいいだろう。

宝塚とかコンサートや博多座なんかを見て回復できる人はチョロいと思う。問題は、そんなところも及べない田舎で真面目に働いている人を考えていきたい。やっぱり田舎の強みと言ったら食だとおもう。いいものを食べて、いい音楽を聴いて、何も考えないというのが一番だと思う。

しかし。スピリチュアルの話をすると、自分のこころは自分だけのものじゃないという問題がある。どんなに自分を癒したとしても、もうひとりの自分というものも癒さないと全然意味ないみたいなことがある。

そういう時は、寄り道をすることだと思う。今までは正しい道を歩いていたとしても、ちょっと逆方向に行こうとかそういう一歩踏み出す勇気というのを繰り返していくうちに、もうひとりの自分の正体がわかるかもしれない。

の子にもいるんだろうか、イマジナリーフレンド、ツインレイ、ハイヤーセルフ。あなたにもいますよ。一億人いるうちの、800万人は神様です。