文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

文才がない奴は生きる才能に溢れているというだけの話

2023年に入ってから、とりたてて目標を立てなくても、いつのまにか反省をしないといけない日が続いています。バイトが決まったからというのはこじつけですが、自分の地位が「アルバイト」として確立できてから、いろんな人と揉めて出禁になっています。アーバンギャルド出禁、松永天馬、浜崎容子、おおくぼけい、絵恋ちゃんにブロックされる、詩の会を出禁になる、友達に説教をして泣かせる、など。結構ズバズバ言ってます。人のためを思ってやっていることなんですが、「そんなこと言われても僕は変わりません!」宣言を受けるというのが「出禁」なんでしょうか。

人に嫌われる時期なんだろうなと思いながら春ポテト食ってますけど、でも今に始まったことじゃないんですよね。前の職場で中央大学卒業しててめちゃくちゃいいお店に職場の飲み会に連れてってくれる塩顔の幹事の上司にトリプルファイヤーのエピタフを貸したんですよ。若干キレながら返却されたので、なんでかな~?と思ったら「こだわる男」という曲を私は薦めていたんですね。それだけじゃないですけど……

話は変わり、芸能人でも政界進出したいと野心をみせる人いますね。私もノーベル文学賞獲りたいとか言ってましたけど、そう言ってないとやってられない時期だったというのが本音ですが、いざ目の前の人が「ビッグになりたい」と言っている場合どうたしなめるのが正解なんだろうと今日は考えていました。今日辿り着いた答えのひとつに「いろんな人を馬鹿にしていませんか」というのが自ずと浮かび上がってきました。というのも単に私が馬鹿にされたからです。ビッグになりたい、というある種自分に対する問題提起というのは、高みに立ちたいというところでしかないんでしょうか。コテコテに味付けて言うなら、「文句言われたくない」みたいな境地なんでしょうか。

ビッグになりたい、と目の前にいる人が嘯くんだったら、「今のままでいいじゃん」と言うしかないんですよね。なぜなら、タモリ学を読んでいると、タモリさんに死んでもなりたくないなと思うから。その問答は今のわたしにブーメランする訳で、今という状況のメリット・デメリットが判明しない限りは次の場面に進めないんですよね。

タモリさんがいつもいいともで女優から千疋屋の果物を贈られていた。千疋屋のメロンパフェは3000円して、あれは失恋した時や会社を首になった時に食う特別なものだというのを体感した。あれを毎日のように贈られていたタモリさんの精神状態はいかほどかと思う。いいともがなくなった2010年代前半、私も高校生やってたからわかるけど、東日本大震災を期に確実に世の中の空気が変わった。被ばくした日本の空気の中でいいともを続けるには無理があったんだと思う。いいともが終わって本当によかったと思う。

タモリさんになりたくないというのをおわかりいただけただろうか。テレビに出る人は矢面に立たされるので、いざ世界情勢が苦しくなった時、無様な姿をはじめに見せないといけない。それを映すことで世界に知らしめないといけない。いいともがいまだに続いていたとしたら血祭にしか見えないだろう。

ラジウムがなぜ危険なのかをわからなくても、つまりは文才がなくても、いいじゃん。それが才能なんだから。と本当に思う。これが文才ない奴は死んでくれないかなと言っている人の後日録なんですかね。死んでほしいやつもいるけど、基本、生きるために選んだことなんだから、そのままでいいじゃんと思います。無理に判る必要はないよ。