文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

ホーキーって一体なんなんですか?

昔昔、2016年くらいに、西の子がいました。西の子は、文才があるので、所属していた部活である大学の文芸部ではそこそこ可愛がられていました。2014年の大学一年次は一限や五限があったので、体力的に家にこもりがちでしたが、2015年になると、同期に恋してしまいそうになったり、するあたり、アグレッシブでした。2016年になると大体文芸部は顔なじみになってくるので、部室とかにも入り浸るようになりました。

部室に先輩の適当な友達が連れてこられることもあり、その時にホーキーさんを知りました。最初はなんともおもってなかったし、ホーキーさんは特別ななにかを持っているわけでもないので、何もおこりませんでしたが、何回もホーキーさんが来るので、ホーキーさんはわたしにですら優しいので、心のちくちくが「ホーキーさんが運命の人かもしれないよ」と言っていたので、ホーキーさんにめちゃくちゃアプローチしました。わたしって、気になる人だったらラインを即座に交換できる人らしいです。今はもうそんなガッツないけど。

ホーキーさんにラインで質問攻めの毎日が始まり、一か月したら「しんどい」と言われ、ブロックされました。ホーキーさんが運命の人だと思ったら、無尽蔵に言葉が湧いて降ってきて、それをホーキーさんに投げつけてしまうのです。

ホーキーさんにアーバンギャルドの話をしたら、何かを察したようで、「アーバンギャルドが好きな痛い奴とは金輪際話をしません」的なことをツイッターで言われてブロックされて、すごい絶望しました。

これで終わりと思いたくなくて、自動車運転免許を取得しに車校に行くかたわら、エブリスタというアプリに登録して、ツイッターのアカウントを作りました。

ホーキーさんはエブリスタ界隈でちょっと古参な小説家だったので、っていうか大学時代ってやたら暇人は小説書きますよね?というわけでホーキーさんのアカウントに、ネカマして話しかけたら、それから1年間くらい仲良くやってました。

その時のわたしのネカマ情報が、金子悟(典明だったかも)、埼玉大学の2年生で、中国文学を専攻している、みたいな感じで、今思えば大学生はまだしも、埼玉まで踏み込むのはやりすぎだと思いました。とにかく私には文才があるので、ちょっとした瑕疵とかどうでもよくなるくらい、ツイッターも更新するし、小説も更新するし、コンテンツ力がありました。

ホーキーさんというのは、自信過小で、自分って駄目かなあみたいなことを金子に相談して、「別にいいんじゃない」というやり取りを夏も秋もやりまして、ホーキーさんは基本わたしの人格については好きだったんだなと思いました。

当時、ホーキーを知っている人はわたしのツイッターの裏垢が、リア垢なんですけど、その人たちくらいしか浸透してなかった気がします。つまり、身内(文芸部)の数人。

当時、「金閣寺と教科書と女なんかは燃やせ」という小説を書いていたのですが、途中で、ホーキーさんとコラボして書き足していこう!みたいな企画もあり、ホーキーさんがわたしの小説を書いてくれたりもしたんですが、ラリーするのがだるいので自然消滅しました。わたしはホーキーさんを無視して、「金閣寺~」を完成させました。

わたしは罪悪感はなかったんですが、もしかしてホーキーさんはわたしが金子だと知ってるんじゃない?って思って、ホーキーさんにある冬の日に「埼玉から会いに行くので待ち合わせしよう」と言って、待って、出てきたのがわたしなんですけど、どうなんだろう。知らなかった、と言ってましたが、たしかに、文章が工藤さんっぽかった、と言われていたので、バレていたのでしょうかどうでしょうかみたいな感じなんですけど、

とりあえずその日は西新で中華を食べて、それからホーキーさんは違う友達のところへ行くみたいなこと言ってましたけど、帰り道の路上で、無性に誰かに抱き着きたくなる衝動があって、一生懸命こらえてました。ホーキーさんに抱き着くのは違うな、と思っていたので、だからホーキーさんはいまでもわたしのことがすきなんだと思います。

それからホーキーさんが卒業する3月まで何も覚えてないのですが、中華を食べて一週間もしないうちに、また無尽蔵に言葉をラインで送り付けて、ブロックされたと思います。ホーキーさんが卒業する時、お花を買って渡した記憶があります。ホーキーさんは「邪魔だな…」と言っていましたが、わたしの見えるところではゴミ箱に捨てませんでした。

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