文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

書くことのよろこび

書くことのよろこび、ありますか?

私はあります。ブログにせよノートに走り書くポエムにせよ、書いていくうちに自分を超えて少しだけ飛べます。書くことは発見すること、みたいなこと(意訳)を松下育男が言っていて、ほんとそうだよねと思います。

バイト受からないなあ。まだ受け始めたばっかりだけど。こんなんじゃ東京に居続けられるのかな。この地点からなかなか飛べそうにありません。福岡に戻ってA型作業所に通っていたほうが手っ取り早いような気がします。だけどちゃんと冷蔵庫も電子レンジも買ってしまったため自分の首を絞めています。東京に居続けられることのよさをまだ測りかねている。福岡のほうがよかったです。すぐ同期会に行けるし。

最近福岡に帰って友達に会ってきたのですが、福岡は文学をするのに適した土地だとつくづく思います。質がいいんですよね。文学をやっている人のコクが深い。福岡のリテラシーが貧しいと感じるなら、それは東京のほうがもっと貧しいことがわかりました。

それでも東京に居続ける意味があるとするなら、それはひとえに自分の孤独を極めることに他ならないのですが、私の孤独は家にだらだらと居続けることでしかない。それ以上に意味を考えると、ますますグダグダとへばってしまいます。孤独をやるには少し贅沢を嗜まないとやってられないのですが、せいぜいルピシアハーブティー程度になりそうです。孤独を意味あるものに高めていくのであれば、やっぱり書くことが打算的にならないと厳しいんでしょうね。

書くことが打算的になると、これほど無為なものはありません。書くことは無駄の余剰だからです。建設的なことを思いついたら、まず行動するでしょう。書くことは所詮机上の空論であり、その中で飛ぶためには、虚構である、無駄であることが絶対なんです。私の狭い狭いアパートの中で、妄想を産むためにはどうすればいいんでしょう。

虚妄を作り出すにも生活リズムが必要で、福岡にいた頃は往復二時間バスに揺られて、音楽を聴きまくり、創作していたわけなんですが。東京にいるとすぐ目的地に着いちゃうし、乗り換えって案外理性がいるし、ってことでなかなか音楽に耽溺することがない。だから東京に来たことを少し失敗したなと思うんですけど、やってみないとわからなかったことだし、これから適応していく問題だと思うから、今は悩むことだけやっています。っていうか、前の生活がゴージャスすぎただけなんですね。

バイトがきまんないことには、今の生活はしていいのか悪いのか判断できない。バイト決まらないかな。

 

たまには趣向を変えてみようと思う。

書くことのよろこびについて考え直す。私は詩を書くことで今自分が何に囚われているかを洗い出す。やっぱり文字を連ねることで、わたしはバイトについて悩んでいるというのがわかる。でもあんまり深く考えることはないと思う。バイトに落ち続けたら落ち続けたで、私の障害者としての側面を重視する必要はないし、ただ採らなかっただけであり、バイトに落ちまくるのも、そもそも今のこのコロナ禍でバイトにありつけるのは幸運なのだと思う。

やっぱりバイトのことばっかり考えている。

福岡に居たらもっとバイトにありつけないのでここで頑張るしかない。