文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

吐き気がするけどポカリを飲む

非常に悔しい。前の更新時から特に精神が変わっていない。上京を失敗したと捉えるかどうかで悩んでる。もっと自分の言葉に価値が見いだせたら上京してもよかったと思うけど、なんの箔もついてない段階で上京したのはまずくて、その時までお金をどうにか貯めておけばよかったとか、上京してから気づいたのは実家暮らしでできる可能性の大きさに愕然としている。あんな辺鄙なところにいるから羽ばたけるものも羽ばたけないんだと思っていたけど、一人暮らししたところでBARとか行かないし、その時会った人にかける情けも私はかなり限定するような奴だし、だからね外に出かける大義名分がないんだよ!!!!

友達欲しいなんて言わないけど、出かける用事が欲しい。できればライブ以外で。ライブって言ってもアーバンギャルドのライブしか行く予定ないけど、チケットがまず高くて他のバンド見る機会失くすし、はっきり言って観ていてムカつくことの方が多い。パフォーマンスがどうとか言うつもりないけど、なんていうか、6000円払ってこのざまかよと思う。いっつも同じ景色!!!!

他のアーティストのライブもガシガシ観ていきたいのに、そうできていないのは働いてないからなんですが、就労支援に行くことにしました……福岡にいたときリタリコが適当な運営してるくせに大きい規模だからって胡坐かいてるようなふるまいかたをしていたので、もう就労支援には行くもんかと思っていましたが、区の就労支援センターに行ってみると、リタリコとは違って職場訓練を全自動的に取り入れることをせず、個別支援と職場訓練と選べるようになっているのがいいと思った。リタリコもそうなのかもしれないけど、体験で行ってみた感じ職場訓練を先ずさせられたから、こんな適当な時間を過ごしてたまるかと思っていた。手堅い本物の福祉に携わる人を見て、政治家はこういう人格を目指して汚職にまみれていくのか……と思った。って絶対その人汚職に関係ないけど。政治家って性悪説を地で行く人たちだからあんなにきわどい汚いことをやるんだと思う。

大槻ケンヂがコロナにかかったし、そういえば吉田豪もコロナ陽性になった。大槻ケンヂが改めてテレビを観て「おもしろいな~」と言っているが、私もそう思う。一時期のテレビの勢い、フジテレビの栄光の時代、私はあの頃をいまだに求めているところがあった。しかし時代は変わった。コンプライアンスが変えた。今テレビの何がアツいかって、何もない時間を持て余している人たちに寄り添って、暇を上質な無駄に変えているところだろう。劇薬級の出来事はもうテレビは提供しない。その代わり、不気味な物音が連発する静かすぎる我が家に、もう少しだけ、たとえば明日を生きるヒントをそっと置いてくれる。

出来事を提供してくれるのはYouTubeだろう。ブチ抜く吉田というトリプルファイヤーのボーカルのYouTubeがあるが、おもしろい。豪の部屋に出たときにYouTubeをやっていることが私史上最初に発覚し、YouTubeがリコメンドするので見ているのだが、吉田が彼女にフラれて電気を止められた回など面白い。最新回の「吉田の家同居人オーディション」を見ていると、オカザキという男が「小説でブチ抜いていきたい(要約)」と切に語っていて、「私もこんな奴なんだろう」と思った。小説でブチ抜いていきたい、今はそう思わない。ノーベル文学賞を取るというのは、そう言ってた方がおさまりがいい……小説家になろうとは思わなくなった。つまり時の人として世に出ることも諦めた。今はまだ諦めきれないけどいつか諦めることになると思う。諦めるということがどういうことなのか。諦めるというのは、頑張ることを諦める。小説のための人生を送らない。私は生活するために日々を費やしていく。

でも悔しいと思うことがある。わたしよりもはるかに思索の浅い人物が世の中をうまく世渡りしていて、くだらない迷いのままを本にしたりすると死ねと思う。未完成のままをありがたむ人は多いけれど、だったら私の未完成も本にしてくれよ。死ね。死ね。死ね。死ね。みんな死ね。ふざけるな。なんで小説家になるのに8万字も書かなきゃいけないの?

 

追記

リタリコが利用者に就業訓練を課している理由が分かった。区の就労支援センターと話を進めていた時に判ったのだが、就労支援A型に何年通ったとか言う実績がないと障害者枠での面接に受からないらしい。障害者枠での求人は、半年かけて職にありつけるというのが通常らしい。障害者も障害者でエリートがあるもんだ。私は区の就労支援サポートを受けるのをやめて、バイトを探すことにした。