文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

春のない人生を思う

私の人生にはめったなこと春が来ない。せいぜい夏か秋かである。冬が来ないので、春も来ないという人生だ。

私の人生はいつも灼熱で、焦燥感に焼かれる。それに飽きると秋がやってきて、日焼けしたところを治療していく。私の人生で一度だけ冬がやってきた。秋が一気に凍てついて、私の人生からなにもかも奪われてなくなった時に、大学受験が終わって、大学に入学して、春が来た。文芸部の新入生歓迎お花見で舞鶴公園に行って、冷え切ったマックのハンバーガーを食べたことが鮮烈に覚えている。私が在学していた4年間でお花見が刊行されたのはその一回だけで、あとはいつも雨で中止になった。文芸部も同好会になったことだし今となっては幻のイベントなのだろう。

春というのは夏ではない。春というのはぼやけた視界の中でものを見つけていく情景にある。はっきりと認知出来たら、それは夏にいることになる。春を夏にしてはならない。

2019まで夏だったが、2020年は秋だった。2021年は夏のような春を生きて、2022年はいかにということである。九星気学的にはなにをしても無駄と言われるが、私は九星気学を信じていない。九星気学を唱える占い師と話しても時代錯誤だと思う。九星気学が正しいなら、去年一昨年私は絶好調だった。しかし実際はコロナとは関係なしに精神病院に入院していた。さらに言えば、私は五黄土星だが、私が一年早いと思っている。統計を信じて、今までの流れを見れば。でもそんなこと言っても無駄なので私は九星気学を信じない。

近況を話すと、家を借りようとしたが二年契約なのが引っかかって、話を進められない。実は大学のカウンセリングルームにお世話になっていたが、とうとう愛想をつかされた。4月から利用できるだろうか。できないような。できなくてもともとなんだけど…

家にいると、ベッドがあって、ベッドがあるといつまでも寝てしまうのが嫌なので、外出しているのだがそれももう限界がきた。父親は仕事してないのでずっと家にいるけど、下でドアが閉まるのを聞くだけで不安定になってくる。かと言って今まで通りにカウンセリングルームに行くのも違う気がする。どうにかしてここから抜け出したいがなすすべない、訳でもない。お金があるだけ。働ける保証がないのでどこにも行くあてがないが、金を出せば一人暮らしができる。地元で暮らすには限界がある。地元の友達も正直好きな人がいない。文芸部の同期だけは信頼しているけどそれもいつか瓦解するのかもしれないし、正直瓦解するだけ期待してないし、正直文芸部の同期だけは私に対してなにも期待していないぶんこっちも期待せずに済ませている。春の収穫は文芸部だと思う。

福岡は嫌い。私は物書きをやっているが、物書きとかいう労働に向かない人間には不毛の地だ。そういう人はみんな東京に行くので、ここに残っている人はつまんない人しかいない。作品は面白いものもあるが、人間として残念な人ばっかり。コンプレックスを毟り掻いて、死ぬまで治す気がないのだろう。それだったら真面目に働いて死んだ方がましなのだが、私の場合どうあがいても働けないので、物書きになるしかないのだろうなといううすぼんやりとした宿命は感じているけど、現状居場所がなくて苦しい。今すぐにでもお金で殴って上京したい。だけど保証がないのでどうすることもできない。金じゃなくて、仕事が欲しい。