文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

再・バイトに落ちた

ライターを目指している。未経験でも雇ってくれるバイトパートは地元に何件かしかない。それでも何件かあるので応募するけれど、ちょっとボタンを掛け違っただけで選考に落ちてしまうのである。一回サイトを見たらけばけばしい色彩のコラムページがあって、このテンションについていけないと思って辞退したのにもう一回エントリーして受かる訳がないだろうというのはある。

冷静になって職務経歴書をもう一度眺めてみたらいたたまれない気持ちになるかもしれない。それが怖くて次に向けて職務経歴書を手直ししようと思えない。思えば親に見せたら恥ずかしい職務経歴書を書いてしまった。それが受け入れられるムラなどある訳ないような気がする。きっとわたしが社会に受け入れられないのは、社会に入る際に土足で踏み込んでしまうから。何かしら社会に受け入れられるために準備をしたり自分を整えないといけないのに、まっさらな自分で勝負してしまう。

私はこれでも応募先のために工夫したと思い込んでいるが、振り返らないとわからないことに、全部自己流なのだ。自己流なので、結局自分自身をそのまま突っ走っているだけでしかない。正直であることはまずいことではないが、一貫性を考えたときに恐ろしくなる。一瞬一瞬を正直に過ごしていたら、その都度後悔がつきものになる。

一貫性を担保しておくと、反省していく際に落としどころを見つけやすい。いつも正直だと、失敗ばかり積み重なり、なかなか次に向けての改善点を洗い出せない。そういう訳で建前は必要なのであった。わたしの中の建前を確立させないといけない。そこから人生をやり直さないといけない。それを考えるとますます今就活してはヤバいという気持ちになる。自我を確立できていない。

そもそも私は薬を変えたばかりで、睡眠リズムが狂っている。まるまる一日寝るのを二日続けて、一日やっと活動し、また二日寝て……を繰り返している。なかなか辛い。寝ている時はずっと暗くてやるせないことばかり考えている。活動する時は蝉みたいに馬鹿クソ明るい。なんでもどうにかなるっしょ!と二日絶望の明けに思うのである。そしてまた絶望に浸るのである。

昨日は人が恋しくていろいろな人に連絡とった結果今日まとめて会うことになった。本当は昨日会いたかった。今日は絶対寝れないので眠たさとの闘いの日になる。人と会うのは諸刃の剣で、会うとそりゃ嬉しいに決まっているけどたまに会わなきゃよかったと愕然とする日がある。それは相手をよく選ばないといけないのだが。

今日会う相手は聴く姿勢のレベルがとても高い人なので私が粗相をしなければ多分大丈夫。それでも、わざわざ会ってよかったのだろうかと内省する日もある。その時はその時を味わうしかなく、相手との次があるかないかなんていうのは考えるだけ野暮だ。今ここにあるものを噛みしめることしかできない。

本当はいつだって小説が書きたいのに書けない、いつだって本を読みたいのにいまいち読めない、これはどうしてだろうといつも思う。わたしに書いたり読んだりする才能がないからなのだろうか。そう思いながら本来は小説を書くつもりだったのにとりとめのない日常をインターネットに垂れ流してしまう。前回と同じ轍は踏みたくなかった。

やはりクラウドワークスで単発的に仕事を仕入れて自分の実績を積まないといけないのだろうか。二時間で2000字はできそう。でもその分反省しなさそう。やらないとわからないのはある。永遠に文字を捻りだしていくのは得意。

それにしても揉めたくない。自分がしている配慮はきめ細かいと自負していたが、そんなの今思うとばかばかしい。大事なところをすっぽかしてしまう。広汎性発達障害だし、わからないものはどんなにヒントがあっても見落としてしまう。わからないから。

あーあー。ライターになりたい。なりたいんだけどどうしたらなれるんだろう。でも親からはライターはやめとけと言われて意味が解らない。どうして親のくせにわたしのことをわかってくれないのだろうか。未だに文章がへたくそだと思っている。へたくそではないとは言い切れないけど。ある意味正しいけれど。それでも好きならしかたないこともあるじゃない。リズム感のおかしいベーシストだっているんだし。それが文章で互換されるのは違うのかもしれないけど……

うーん!わたし文才ないのだろうか……って何度も落ち込む羽目になる。文才のあるなしとか関係なく、目の前に仕事があるならそれをやるだけしかなく、私はついたての無い職場が苦手だから、どうしても自宅でできる仕事みたいなのじゃないとだめで、そしたらライター業くらいしかない。前就労支援のスタッフに内職でピッキングを薦められた時はブチ切れる通り越して一周回って社会に迎合する術がこれしかないと思って真面目に聴いてたけど、会って初日の相手に私のことなんてわかってたまるか。何だよピッキングって、なめてんのかよ。私ってばたとえば教室の空気感が大嫌いなんだよ。

私に一番近い人間に、私の最直の可能性を踏みにじられているこの苦しみがおわかりいただけますでしょうか。親からはもう就労支援A型とかの人間だって思われている。事業所とかでリハビリするレベルの人間だって思われている。本当にそうなのだろうか。確かに広汎性発達障害だし統合失調型感情障害だけど。こういう開けっ広げが駄目なんだろうな。

私なんで働けないんだろう。私の文章で面白いと思われているのは実際文章力ではなくて、それとは違う次元で面白い何かがあるのだとしたら。泣きそう。自分は障害者なんだってやっと気づいてしまった。