文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

若いのにグループホームに住むということ

今日は難しいテーマについて取り組もうと思う。わたしは2020年の秋に神様と交信して、神様と自分の意志がごちゃまぜになってしまい、精神病院に措置入院したのだが、退院するとグループホームに勧められたことがある。

グループホームに勧められる人と言うのは、いますぐにでは社会人になれないなこれはと烙印を押された人だと思う。わたしは措置入院をして、社会人になるには結構時間がかかるなとみんな思ったので、嘉麻市グループホームに見学に行ったが、嘉麻市のことをディスることになるが、わたしが行った町ってグループホーム以外に機能を果たしてないディストピアみたいなところだったので、怖いし不便だしかたくなに拒否した。グループホームというのは住居だけを提供するシステムで安いところだと月5万5千円で衣食住が確保される。年金は月に6万5千だが、一万円おこづかいとして残しておくだけで、あとは年金が振り込まれる限り、最低限の生存が確保される。だいたい6時門限10時消灯で、翌日9時くらいにチェックアウトみたいな感じで、それから利用者は別に契約している作業所やデイケアなどに行き時間を潰す。B型作業所は月に1000~10000円くらいしか報酬がないが、A型作業所だとバイト感覚で収入を得られる。

グループホームに入る利点として、親元を離れることになるので、「自立した」とみなされ、それなのに収入が乏しいので、生活保護の基準をクリアすることになる。障害者年金を貰っているとあまり得した気分にはならないが、生活保護を兼ねて受給することになると、月々10~12万くらいは貰えると思う。グループホームの費用を生活保護から抽出して払う人もいる。生活保護をもらうと、いよいよ働けないので、最終手段という意味が込められている。

わたしが平気で、いろんな人に障碍者年金だとかグループホームだとか喋っていると、本当に障碍者年金を貰った人が3人、グループホームに入った人が1人いる。日本に対して罪悪感がないこともないが、グループホームに関しては「わたしも入ってないのになぜ?」と思う。はっきり言って、グループホームに入所させられるということは、若いうちは本人の意志じゃないし、お前はできそこないだと言っているのと同義だよなと思う。できそこないと言われたからにはできそこないの人生が始まってしまうことになり、本当はなにかしら才能があり技術があり適性があったとしても、グループホームで飼い殺す、のか……と思う。グループホームができたのがいつごろか、もしかしたら広義、結構前、戦前くらいからあるのかもしれない。しかしながら、若いうちに苦労は買ってでもしろ、というのがグループホームに入ることから始まる人生もあるのかもしれない。けど、断言するけど、福祉に若いうちからズブズブに浸かることが、その人にとっていい影響を及ぼすとは思わない。医者は『まひるのほし』『花子』などと言った映画作品で象徴されるような障碍者福祉をイメージしているのかもしれない。が、半分正気で半分病気なわれわれのことを、医者ってないがしろにしているような気がする。7割病気の人たちが作業所でうまくいってるからと言って、わたしは一日千円を目安にドトールに行って毎日20ツイートくらい量産して、機嫌がいい日はブログを書くが、そういったそれだけという生活を医者は否定する。「作業所行ったらどうですか?」きっとわたしが作業所に行っている、というデータで、片付く問題があるのだろう。

親って、医者の言うことにうんうん頷いてるんじゃだめだよなと思う。親の都合を医者の言い分に擦り合わせて、子供をグループホームに入れて、自分は昼間はま寿司を食ってる。あんたはいいよね。自己実現できて。そうじゃない人の人生を、自己実現できた人の人生の端役、おまけにしてるようで見ていられない。

わたしはいいよねと思う。めちゃくちゃ文才があって。覇王線もある。だけど、そうじゃない人の傷みを想像しようとすると、ブログを書かずにはいられない。