文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

ブログを書き直す

購読しているブログを読んだら、チラシの中の果物を切って貼ってポスターにしたみたいな意匠を感じて、それに比べたら私のブログは窮屈だなと思ったので、書き直そうと思う。

Evernoteに一年につき5千円払っているのだが、その恩恵を感じるほどEvernoteに作品をおろしてない。もっぱらGoogle Keepである。Evernoteは起動が重いので、意気込みが強い小説とかにならないと使おうという気がしない。ポエムはGoogleのメモでやってしまう。

思えば、書き溜めたポエムは書き溜めたポエムのままでいいなと思った。それをわざわざ披露しても、書き上げたという勢いだけでは人の心を動かせないなと思った。熟成して自分の中でここぞという時に出しておこうと思った。オープンマイクに一応顔を出してはみるものの、嫌な人がいないというのがわかっただけで十分なので、これからは詩作に邁進しようかなと思う。今までとは違っていつでもどこでもお金を出せるわけではなく、ちゃんと前もって計画を立ててここにはここまで使う、これ以上は使えない、と言った自分の中の公安警察を立てておかねばならないので、もうひかりのうまとあるカフェを拠点にするだけでいいかなと思う。無力無善寺はある種パワースポットとして行ってみたいし行ってみるのだが。人の心を動かす、ものにするためには、ある程度オープンマイクの拠点に足を運び、空気に自分をなじませることが大事なのだが、複数行きつけがあることによってお金がかさむ。まあ、やりくり次第ではあるが。

ホームシックだったけど、姉にホームシックを心配されるころには、ホームシックと折り合いがついたような気がする。確かに、友達がいないのはつらい。でも福岡にいた時だってなかなか友達には会えなかったわけだから、東京にいてもインターネットがあるし、毎日そこでは言葉を見ているわけだし。会いたいといえば会ってくれる人がいる。

ただ、わざわざ東京に拠点を移す必要があったかというと疑問だと思う。ツイッターのタイムラインで言葉をありがたんでいる人は福岡にいるため、そのローカルネタの恩恵にあずかれないと少し寂しい。東京に暮らすということは、福岡の情報を捨てることが必要だが、実は三か月に一回福岡に帰るのでリムーブするわけにもいかない。私が怖いのは東京で失敗することで、もう27年も生きてしまった以上、福岡に拠点を戻すとなったら、二度と東京に夢を抱くことは許されないのである。東京で失敗するとなると、一番最初に浮かぶのは人に騙されること、お金を使い果たすこと、である。どうしよう。パソコン買いたいんですけど。7万くらいの。あと使える貯金が57万で、来月ビデオカメラとその他もろもろの請求が9万くらいくるので、48万くらいになるのだが、パソコン買っていいだろうか。パソコンを買わないと映像編集できないのだが。

日下ゆにという掟ポルシェの奥さんがいるのだが、ドクダミ学園での立ち回りが策士すぎて好きになったが、掟ポルシェとの配信を見るとささくれていてがっかりした。

一人暮らしをして不安な事がある。風呂掃除はどのくらいの周期でやればいいのか。ちなみにトイレ掃除は週に一回やるようにしている。トイレ掃除は好きだけど、本格的な風呂掃除は服がびしゃびしゃになるのであまりやりたくはないけど、やらずにいたら赤カビを予防できずに発生させてしまうのだろう。

ポエムが書けないでいる。まあ、一日一詩はとうに諦めた。一日一詩をやっていたら、怒りっぽくなるし、自分の都合取りに生きていると楽しくないので、やめてはいるんだけど、たとえばいいフレーズが下りてきたとする。いいモチーフを得たとする。そこで終わって次に進めない。それは悔しいだろう。まあそういうアイデアというのは往々にして寝る前に一念発起して書き取ったメモからのもので、寝る前のアイデアはあてにするなというならばそれはそれでいいのだが……

いつもなら3000字はつるっと書いていたブログだが、そこまで文字が蓄積されていない。どうする。もうすぐ働くと思うのだが、書き残したことはないだろうか。これからしばらくの間創作をやめようと思う。働くことと暮らすことに執心したいと思う。