文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

世界は部屋の中にあり

久しぶりにブログを書きます。昔はここで2000字とかぺらぺら書けましたが、一回サボると全然文章が続いていきません。ふだんはEdit(本当はマイブックが良かった)の日記に書いて満足してます。一ページに書けたことが全てです。最近はツイートするのも躊躇ってしまいます。

なぜなら、毎日のようにドトールロイヤルホストに行くことがどれだけ馬鹿げているのか、それが世間一般的な感覚なのだとようやく認知して恥ずかしくなりました。外出も、緊急事態宣言が解かれた辺りから自粛するようになりました。本を買いすぎてお金がないのもありますが、毎日コーヒーを飲みに同じ場所に出かけているのは恥ずかしいなと思います。でも出かける身の気持ちも皆さんはわからないでもないでしょうけど、所詮「さみしさ」みたいな陳腐な理由なので、理解する必要はありません。

でもやっぱりロイヤルホストドトールの店員さんには伝わったようで、ロイヤルホストの店長から「おいしいものはおいしそうに食べたほうがいいですよ」と言われたり、ドトールの店員から「いつもありがとうございます」を一回の会計で四回言われたりして、わたしはそのことに悦に浸るのを必死に食い止めているところです。

退院して二週間くらい経って、2月の始めくらいから「何としてでも小説を書かねばならない、小説を書かないと永遠に暇で暇で仕方ない」と思い詰めては、ドトールでチーズケーキをパクパクたいらげ、ツイッターに興じてました。ツイッターしてないと社会が見えないし関われた気になれなかったです。ツイッターが現実な訳がないのはわかっていますが。

そんな大前提なんか問いかけてるまでもなく、グループホームに入れられそうで凄くイライラしてました。自立できていないし、金銭感覚がまだ身についてないので、グループホームに入れられそうになりましたが2021年3月1日時点、回避できました。

入院したことがどういう意味なのかをグループホームの件で知りました。ああ~自分は働けないんだなってことで作業所に行きリハビリを始めるわけですが、作業所に行ってありつける仕事なんてたかが知れてるなと思います。そういう高飛車な気持ちが高じて去年就労支援を体験して職員と一触即発状態になったことを思い出します。自分に自分が思っているほど能力があるなんて勘違いしてはならないのです。

でもほんとですかぁ?と思います。社会人になることはとてつもなく下手糞かもしれないけど、なれると思います。その方法は絶対私が見つけてみせるし、福祉が最終的な答えをそのまんま出せるとは思いません。という訳で福祉を信じてないです。信じないからこそ、小説を書いてやろうと思っています。

2月の中旬のある日「バスを逃したこの今日に小説の冒頭が思いつかなかったら気が済まない」と思い、ドトールで粘った結果、思いつきました。その日から毎日小説をタイピングして綴っています。正直、この話が面白いのか面白くないのかわからないくらい、毎日必死で打ってます。

カウンセラーがしきりに「小説の核、モチーフはなに?」と訊くんですけど、うまく答えないと小説家になることを認めてもらえないような気がして、うまいことを言おうとしてましたが、今日それが駄目なんだと気が付きました。普通に、知り合いのおじちゃんをイメージしました。おじちゃんはかわいいおじちゃんです。好きでも嫌いでもないです。

小説を書く際にモチーフを持っていても話が始まると結果的に最後にちょっと出ただけになったりするもんだなと思いました。話が流れていく、続いていく、というのはこんなにも人力の及ばないものだと思いました。という訳で最近の私の世界は、本を読み小説を書き、部屋の中で完結しています。一番の贅沢を言えば、バスに揺られて流れていく景色を見ながら音楽をアルバム一枚ぶっ通しで聞くのが、これに勝る贅沢は今のところないです。

1500字を書きましたが、これが全力の近況です。これ以上は書けない。文体を見ると、かなり前の記事とは毛色が違うというか、すごく現実的に書いてるような気がします。

まだ書けます。南条あや卒業式まで死にません」を読みました。本当にいい読書体験をしました。南条あやってスパスパ手首を切る以外は普通の人なんだなってわかったのがとっても嬉しくて、中学校の時に読んだムカつく感じは私が南条あやに強く嫉妬していたからに違いないとわかりました。すごく注目されているわけではないけど、知ってる人には信頼されていて、普通の女の子をやれている。

だけどメンヘラという側面があると、メンヘラ神もでしたけど、そこが自分の存在価値なんだと思って自分が死ねば美として完結できると思うんでしょうかね。律儀に自分の言動に忠実というか。巻末の香山リカの解説を見ると、問題はそんなに一辺倒ではないことが言われているんですけど。カウンセラーって大変だなあと思います。統合失調症からしたら妄想染みた領域の見識に則って人を多角的に見ないといけないから。

あとは桜庭一樹「傷跡」も読みました。マイケル・ジャクソンを未履修だったので、第四章まで読むと「マイケル・ジャクソンってそんな感じなのね」と学びがありましたが、傷跡って小説はマイケル・ジャクソンを日本化して成立できた小説なので、日本社会と照らし合わせていくと、どうしてもマイケル・ジャクソンが日本に生まれることができるようには思えないです。美空ひばりとかマイケル・ジャクソンみたいなものでしょうか。でも、第五章を読んで、第六部に差し掛かると「無理があるなあ」と思わずには居られなかったです。多分日本社会なら、マイケル・ジャクソンのような側面を持つ人は落魄していくと思います。そう考える私は何かに凝り固まっているのでしょうか。

今回のブログはちょっと南条あやに影響されたざっくりさだと思います。それでは。