文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

陰謀論について

親に言ってないことがある。クレカを持っていることと、アーバンギャルドを出禁になったことだ。言わなくても差し支えないだろう。

陰謀論について書こうと思う。陰謀論はたしなむものだと常々言っている。バレンタインデーの義理チョコが減っているというのは、嘘か本当か。その時に、本当だと信じてもいいことをマスコミは言う責務があるが、よりよい市民としては、マスコミの内情を察することが必要だと思う。バレンタインデーのチョコというのは、呪いである。それ以外に理屈を説明しようがない。チョコあげるから、私のことを察してね★という、呪いである。そんな呪いは芸能界にだけはびこればいいのだ。

時にわたしがツイッターでクレカについて言及したところ、3日後くらいにクレカがニュースになる。私の祖先は武田信玄系で、自分が裏天皇だと思っていたら武士だったという話をしたら、今日山口とかどっかの知事が自分の祖先をひけらかしている。

こういう状況に出くわすと、普通、統合失調症が悪化する。私も去年一昨年はそうだった。だけど、リーマスロナセンが効いているのか、いやそんなことよりも、3年目の正直というやつで慣れてしまった。それよりも怖いのは、親がビビることかなと思う。親がビビらないようにこれから先場当たり的に思索を続けて行動として完遂するしかないなと思う。

だから冒頭のように、親に自分のことをあまり話さないほうがいいのである。話したら心配されるから。心配されることで、他人から貰った心配がワクチンとなってコロナから自分が守られるとしても、心配を貰いすぎるとよくないと思う。

私はここ3年くらいスピリチュアル的な問題でずっと悩んできた。占いにも行ったし、自分で占いもできるようになったけど、どうあがいても人というのは自分の話を聞いてくれない。聞いてくれたように感じたとしても、一瞬だけの幻に過ぎないことをずっと実感している。

最近同性愛について語る場面が多い。恋というのは、一時的なものである。美輪明宏の説いてきた同性愛のイデアも、私に言わせれば恋でしかない。恋というのは一時的なものである。その一時的な感情が一生続く人もいる。私は恋を否定するつもりはない。愛より、恋の方が好きだ。だけど、恋が国の仕組みを変えてしまうのは、あまりに日本じゃなさすぎると思うんだ。血気盛んな勢いで、その日のうちに国の名前が三回変わってもいい。だけど、私はシンプルなものが好きだ、この国には愛着の持てるものがありすぎる、水、料理、季節、国土、魔力。それらを明日も私のことを慰めてくれるのであれば、今好きな人に好きだと言えなくても、いつか会えるような気がするのだ。

愛国心はとても汚いと思っているので、ここまでにして。日本の悪口を言いましょうか。日本の悪口。下ネタが好き。これもなあ、深度があるんだよな。日本は下ネタを文化にする。西洋は下ネタを言葉にするのみ。

国のことを考えると、私はどうしても好きな人のことを考えてしまいますね。好きな人がいない人は、国からの恩恵を貰えないのかと言うと、どうなんだろうと思う。私は好きな人が与えられているので、なんというか、それ以外の選択肢について考慮することが難しい。

柴田聡子に「山なんか行かないで もっと町を見て コーヒー飲んで それでもダメだったら 私の悪口言ってよ」って歌詞を歌ってほしい