文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

詩論について

詩論はくだらないと言って、友達と絶交したことがありました。なんで絶交(というかブロック)されるんでしょうね。

詩論というのは、レトリックとかいろいろありますけど、自分に一個詩を書く時に大事にしていることがあればいいんじゃないですかね。

私は「よく思われたいという心を捨てる」というのがあります。太宰治嫌いなんですが、どうしてこうも太宰治が好きな人が多いんでしょう。そういうことばっかり言ってるからブロックされやすいんでしょうね。

かしこいと思われたいから勉強するって違うと思うんですよね。勉強するって、迫られて勉強した積み重ねによるもので、衒学というのは、やはり、ダサいものだと思います。と言いつつも、切実な迫られた動機によって「かしこいと思われないと駄目だ」と思っているなら、その勉強も無駄ではないと思います。逆に言えば無駄をやりたいのなら、衒学はすばらしいかっこいいものなんでしょうけど、それを詩論におとしこむと、地獄になりますね。かっこつけが書いたかっこつけのポエムなんて、不備だらけなんですよ。でも現代詩手帖に受かるポエムというのは、筋金入りのかっこつけばっかりです。死ねと思いますね。と言いつつも、真面目に現代詩手帖を読んでいるわけではないが……

最近はかっこつけのポエムに「かっこつけ!」と言うのが許されない風潮になっていて、どんどんかっこつけが幅を利かせていて、「おいブス」と詰ってやりたくなる衝動に駆られていて、そういうことをしたら全然関係ない人が心を痛めて、「どうせ私はブスだから……」と言って私をブロックするというようなことがありますが、本当にブスな人は案外開き直っているんですね。ビジネスブスなのです。だから浜崎容子に「サークラ」とか「才能ナシ」「実は全然作曲してないのになりゆきでクレジットは作曲者になっていることがあって、だけど本当は自分に才能があると思っている内弁慶」とか引用リツイートで言っても、全然気にしてないんですよね。

詩論を語る時に、「どこまでが創作でどこまでが描写か」という比率、ジュースをどの分量で水で割るかみたいな話がありますが、私は1:1じゃないと駄目だと思います。嘘が本当を覆いつくしても駄目だし、本当が嘘を飲み込んでも駄目だし。一個嘘ついたら一個本音を混ぜないといけません。そういう感じでテレビとか見ていくといいんじゃないのかな。

とか言ってるけど私はあんまり嘘をつかない。なぜなら、嘘をついている暇がない。昨日たまたま占いで「未来にかけて信用を築く必要がある」と言われて、とにかく私は未来の国に行くらしい。未来はきっと嘘を吐く人と本当のことしかできない人が役割分担が極化していて、現に今リベラルを謳ってるクレカが持てない文化人階級と、自民党に入れるけど別に愛国心なんか持ちやしない労働人富裕層階級があると思うんだけど、私は今んところ後者なんですよね。それが、どうにかして前者に移行するとなると、嘘がつけないといけないのはそれはそうなんですけど、自分のルーツを大事にしないといけないというのがある。未来の国は一貫性が重視されるから、私は自分が労働人富裕層階級であることを踏まえたうえで、リベラルを鍛える、教育する、お注射するという使命があるように思う。

さっき1:1って他の言葉で和製英語でなんて言うっけ?と探していたらとりあえず「割り勘」が出てきて、割り勘をググったら「Dutch treat」って出てきた。オランダ。ダッチワイフにダッチトリート。オランダ。さげすまれたもんだな。

最近愛国心に溢れている若者を見ることが多くて、安倍晋三とか好きなんだろうなと思うけど、よくよく考えてほしいのは、日本と言う国は真似するだけがうまくて、なんにも自分から発明することがないんですよね。タモリとかいろんな人の真似をやるけど、一般的に評価されているのは他人が発するオーラに迎合する力というやつで、タモリ自身に文才があったかと言うとそうではない。というわけで、タモリというのは日本という訳なんですね。過去の国ではありますが。

日本と言う国は「嗤う日本のナショナリズム」で基本エクリチュールの国と評されるのを見ましたが、文学というのは何か?という定義によってその説が真か偽か考えるんですけど、言葉というのは水物という前提で行けば、日本は鮮度にこだわる国だと思います。しかし、その逆。いつまでもロングセラーという点。これは今世界で証明している段階にあるのかと思います。ロングセラーであるということを証明することが日本のためになるとは思えませんが、日本が世界規模で見ても信頼される価値観を持っていることがわかったら、自ずと文学も信頼されることになるでしょう。

愛国心ではないですが、人工知能に打ち勝てる言語は日本語しかないとも思っています。「チー牛」「子供部屋おじさん」「和室界隈」。これくらいやらないと人工知能は人類を支配してしまいます。でも英語もそういうスラングあるにはありそう。

愛国心というのは貧しい時に芽吹く気持ちであって、これから日本は豊かな時期が栄えてくるから、そんなときに愛国心を振りまいても興醒めってとこでしょう。タモリが「今は新しい戦前だ」と言った意味は、日本が栄えるという大意なのかもしれません。

でもまあ愛国心が何かというのをペラっと、パンツの中身の具をグーグルフォトに吸い込まれるような感覚で、世界に提出するとしたら。愛国心というのは、幽霊なんじゃないかなと思う。恋をして結婚することがある。別れてしまうのは、幽霊になってもその人を愛せることができないからだと思う。逆に幽霊を介さないからロングラバーズになる人もいる。死ぬまで一緒にいる人もいる。だけど、結婚するって当たり前のような説教をしてはいるが、結婚する人はほんの一握りで、ほとんど離婚するもんなんじゃないか。私はちょっと思いますね。昔から私の頭の中にこだまするもう一人の私がいて、そういう話は世の中にたっくさんいて、さらに言うとそういう人じゃないと結婚できないんじゃないかと思っています。でも前提出したように、今だけなんですよね。今の恋に大義名分を与えられているのも今のうちなんで。まあ愛国心というのは結婚にあると思います。結婚しないひとも離婚する人もいるからこそ、結婚は大事なのです。

最後に詩論について言うと、日本製の何がいいかというのを考えた時、高品質・大量生産だと思うので、詩人も労働者を見習ってそういう詩を作るべきでしょう。