文字狂い

オタクにもサブカルにもなににもなれずに死ぬ

思えば私って自己紹介してないんじゃん

思えば、私は自己紹介もせずに「でんぱ組はオワコン」みたいな話を唐突にやるので、不躾にもほどがあるよな……と思い至ったので自己紹介します。

最近、お笑い芸人になることにしたことも合わせてお伝えします。

本名 工藤真優(西の子)28歳

無職(統合失調症

趣味 ランジャタイ・ウォッチング、ツイッター徘徊

特技 占い(タロット、西洋占星術)、ポエトリーリーディング(賞レース参加経験あり)

MBTI 提唱者(INFJ)、主人公型(ENFJ)

性的指向 トランスマスキュリン

学生時代に力を入れたこと ツイッター量産、お笑いやカルチャー開拓

出身地や居住地  福岡県糟屋郡

名前の由来 本当に優しくなってねと言われてないのは確か(西の子は西新(西南学院大学があるところ)の子の略)

座右の銘 塩と油さえあれば木の葉もおいしい(中国雲南省少数民族のことわざ)

西南学院大学国際文化学部卒業。卒業論文は台湾の少数民族について書いた(首狩り族)

・CADができる。不二家に詳しい。中国語は読めるだけ

・幼稚園の時に苛められ、小学生の頃は下っ端をずっとやっていた。中学生の頃自分より苛められっ子を助けた縁で生徒会に入り図書委員長の工藤さんになった(©月光条例

・物心ついた時からテレビが好きで特に天才てれびくんが好きで努力もしないのに子役になれるように毎日お祈りしていた

・高校時代はオナニーばっかりしていたが、体臭がおかしくなったのを機に、高校3年からオナ禁を開始し、大学3年まで4年間続く。高校時代は整美委員会(掃除屋)と美術部と映画研究部を掛け持ち。映画研究部の顧問が若い美人の数学教師で、綿矢りさに似ていた(当時から既婚者だった)

・大学時代は文芸部に入り、先輩のツイッターが予備校で言われたネタでコーヒーより緑茶のほうがカフェインがあるとかなんだかでバズっていて、ホリィ・センに通じていたので、サークルクラッシャーを知る。大学のカウンセリングルームで寛ぎ倒しめちゃくちゃ部屋の主化する。これでも卒業論文の出来が良かったらしく、ゼミの先生に可愛がられている。就活はしたが、アーバンギャルドが好きと言ったら落ちる。

・大学時代からバイトしていた建設コンサルタント会社にお情けでアルバイトで雇ってもらうも、「お前は大卒なのに自分を安売りしすぎている」と同僚のおばちゃんたちに半年くらい言われて、勘違いして鬱になる。結局社員と喧嘩した縁でお暇をいただき、そのまま退職し、傷病手当と失業手当で暮らす。

・失業手当受給中に高校からの統合失調症を再発し、精神科入院。退院してから半年後障害者年金を貰い始める。

・現在、親の金で三食食べ、朝菓子パン、昼菓子パン、午後ドトールに行き、ツイッターに励み、夜母親のおまんまを食べて生活している。

・祖父が九州電力の元幹部。なのに九州電力を就活で受けると落ちる。

次長課長トータルテンボス→オードリー→(受難の受験期)→三四郎カズレーザー→ランジャタイ→春とヒコーキ

どうしてそんなに文才あるんですか

言われてみたい質問に答える。

小説家になるということはいかに倹約家であることだ、と羽田圭介が言っていたけど、思えばあたまに浮かぶこと全部ツイートしている。ツイッターはログが回収しにくい媒体なので、本当にしがみつきたい知は忘却してしまう運命になるが、まずゴミから利益を得ようとする姿勢が大事なのかもしれない。

発想の逆転をしまくって、価値基準の感性を擦り倒すことが大事なのかもしれない。そのためには、好きな曲をえんえんと聴き続けること、同じものをえんえんと食べ続けること、同じセリフばかりえんえんと反芻すること、だと思う。

私はこういうことが大事だと思っているけど、人によっては恐ろしい、あり得ない、と思うらしい。これは主観性を強固にするだけのメソッドなのだ。

文才というのは私は文才があると認められているが、同じことをしているとある人では文才がないということになるのが難しいところである。

文才とは言いたいことをちゃんと言う技術だと思っている。ゼミの先生が「独りよがりにならないこと」「伝えたいことを伝えること」を大事にしなさいと言っていたけど、オナニーをオナニーじゃなくてデータとして提出するみたいな発想はできてきたけど、伝えたい事を伝えるって、伝えたい事なくなっちゃったな……と思った。なぜならツイートで小出しにツイートしているので、心の中に溜まっていかず、小説化できない。まあいくつかネタはあるけど。

関係ないけど、桜庭一樹が好きで、新刊を見るに、自分をネタに小説を書いて欲しい感じがしたので、書くかあ~と思っているけど、桜庭一樹ってはっきり言うけど藻屑じゃないし、紗沙羅ではない。ただ、キャラクターというぬいぐるみを量産して、その仕事柄押し黙る作家という使命からはみ出したい気持ちが見え隠れしているのは伝わる。私はそれをインスタントに3000字にでも書かねば。と思っているのだが、あんなに桜庭一樹を読んでいるのに、桜庭一樹について何も想起されないのは、多分、桜庭一樹を作家として読むのを避けていたからだと思う。こんなに小遣いやりくりして網羅した刊は多いのに、最近すばるを購読して桜庭一樹を読んでいる人に比べたら、負けてしまう。それに、悪趣味で小説を書いていた時代を桜庭一樹は葬ろうとしている。その岐路に、私は小説で一矢報いたいが、どうだろうか、時間が捻出できない。

今から書いてみようかな。書いてみるか。

 

 

わたしは真理子。真理の子。だけど、いつも、真理じゃないことを好んでしまう。哲学家が真理について問う時、私のことを言われているようでちょっと気が縮む。しかし、真理について話すとき、たいてい真実じゃないのだ。その反転性を東京で編集者にしがみつきながら生きていくうちに覚えた。リベラルは愛国心なのだ。

わたしはホットケーキミックスでできた一本の穴だ。油で揚げるとドーナツになる。ナッツなどの衣をなるべくつけて、それがいわゆる私の創作だ。トランス脂肪酸をジャンクに使い、はちみつをどばどばかける。それがみんなの野心であり、結局一番好きなものだと思っていた。

しかし、私は年を取った。年を取って思うのが、本当にホットケーキが好きなのか?ということ。日を追うごとにわからなくなる。しかし、創作することは好きだと言えるし、文字を書くことで私自身がなんども救われてきたので、これしかないのだと思っている。私はホットケーキなんかより一杯のコーヒーのほうが理想的だったなと思うことがある。一瞬だけ。すぐにホットケーキにしかなれないな、と悟るけど。

私が描いてきたキャラクターはみんな、美少女のぬいぐるみだ。私が話しかけると、みんな愚痴がこぼれる。こんなもんじゃなかったはずなのに。そうね。機転をめいっぱい利かせながら救う方法を考えている。ごめんね、あなたの高校は壊れてしまうし、あなたの愛する人に明日はこない。だけど、だけどね。永遠じゃなくなったとしても、案外いいことってあるんだよ。

そう思っているのに、そういう話が書けないのは、私がそういう日を一番待望しているからなのだろう。しかしながら凝固する血液の夥しさを日に日に感じている。私はとうとう、ソードのエースなんかじゃなくて、ソードのキングにまでなってしまっている。キングになってしまったら、できないことが結構ある。つまり、ホットケーキを高級化しないといけなくなる。

だから、初心に帰るメソッドはなにかを考えて、漢詩を勉強している。漢詩を勉強する度に、日本語に溺れる。文学とは何かを考える時、ああ私は真理の子だから、芯を食えないんだろうなと思う。ジャンクフードみたいな創作をやってきた。やったつもりだ。私がファインアートになったら、世の中おしまいとすら思う。なのに、権威になっているのだから不思議だ。私はパンにおいて無塩バターとは何かを考えるようになった。ヌーベルバーグ、正直嫌いじゃない。

ジャンクフードにおけるバターの存在価値って何だろうと思うけど、マーガリンのほうが安上がりだ。ケーキを焼いていると、バターであることの必要性は確かにわかる。野宮真紀、フランス、美徳、東京、渋谷系、などなど連想していくと、贅沢をする、という旨味にバターはあるわけだ。

私の作品において、ハイカルチャー化を図るために、私小説的なものを書いたのは書いたが、炎上したため、色がついてしまった。やはり私は、ジャンクフードなのだとほくそ笑む。紗沙羅、どんどん、食べていけ。私を食うのだ。どんどん、平らげて行け。私の文字で、統合失調症を無化させていくのだ。

紗沙羅は太っていくが、私は瘦せていく。一番美味しいのは、若い時に食べた、夜中のハーゲンダッツ。今はコーヒーしか飲めない。今は、あんなに渇望していたジャンクが身体に合わなくて、本当に美味しいものしか食べられない。東京に美味しいものは、本当に高くつく。

私は、紗沙羅みたいに、人生において戦争が起こった時、戦闘態勢になれる気がしなくて、コーヒーに砂糖を入れて、誤魔化して、なかったことにする。私ができなかったことのかがやきを、キャラクターに託して、私が私の世界を飛び越えたような気持ちになる。だけど、実際に紗沙羅はいるのだ……いるのだ、いるのだ……と、思う。(会ったことある)

過去のかがやきをたまに手にとり、眺めて。あの頃はもう二度とやってこないことを懐かしんで。いじめなんかなくなるから、あの頃の悪趣味は忘れて。私は、前に進まないといけない。わたしを忘れたの?なんて、思わないでね。その代わり、私は、おいしいパンケーキを作るよ。いつにでもおいしく食べれるように、なるから、待っててね。

 

 

桜庭一樹さん、どうでしょうか。また書き直します。

批評(平成30年のシンデレラ)

 

mojihype.hatenadiary.com

なぜこの話を書いたのかと言うと、「吃音姫」という人魚姫の現代版亜種みたいな小説を書いて、なかなか手ごたえがあったので次はシンデレラというネタで手慰みに創作できないかと思っていた。

当時はエブリスタで更新していたので、この話の次を書いていくつもりではあったが、小夏は小物のままであったほうがいいという判断から続きを書くのをやめた。灰音という名前は種村有菜紳士同盟☩から来ているが、灰音くらいの人生が下積みにある人にちょっとくらいちょっかいだしても、なんてことないよなと思う。

何でこんな話を書いているのかというと、当時彼氏がいたことにはいたが、彼氏と結婚、出産、と考えた時に、彼氏の子供を産んだくらいで痔とか慢性便秘とかなりたくないなと本気で思っていた。それを職場の人に話すと顔面蒼白になり「好きな人の子供ならなにしても産みたいもんだよ」みたいなことを言われて、「わからん」と思っていた。

つまり、私は好きでもない人と交際して結婚するつもりでいたのだが、それが世の中の正解だと思っていた。熱烈に好きな大恋愛で結婚したら後悔するみたいな言説を心から信じていた。私はこの若造の好きなところと言ったら健康な肉棒しかないって平気で正々堂々とのたまっていた時期だと思う。

なんか、上記の理論もあながち間違いではなくて、最初はほのぼのとした恋愛であっても、だんだん、年月とともに好きが積みあがっていくもんだと思う。そういうつがいもたくさんいると思う。

それにしても、私と元彼は、セックスしか共通項がなく、それだけで2年ももったが、やっぱ喋ってて楽しくない人とはノーフューチャーだと思う。無理して合わせてくれたし、私の会話って結構チョロくて、もう純粋に肯けば成立するだけ。

その当時のセックスセックスしたプライベートがそのまま小説に映りこんでいる。私はいろんな人とセックスしたいと思わない。セックスしたらカッターで膣を切り刻みにくるような男性も結構ちまたにいるので、セックスがしたいのなら安全な男性とやるしかないのだが、TINDERでその「安全性」を担保してくれるのか私は知らない。私は28歳現在になると、会話をする目的が癒されたいからではなく、啓蒙したいというところまで来ているので、TINDERでレズということにして女友達を探すのもありかもしれない。

女の人がつくづくセックスより会話を重んじたり、セックスレスという概念があるということも、この頃切実にわかるような感じがする。恋を爆発させるのではなく、線香を燃やすように楽しみたいということだろう。

セックスがないと子供はできないのか、まだわかんないけど、次付き合うことになったら、セックスは子どもを作る時だけにしたいなと思った。そんな魂胆で付き合っていたら、イチャイチャするんだろうか。

少なくともこういう深紅的な小説は書きたくないなと思った。

平成30年のシンデレラ

今日はやけに頭痛が止まらない。小学校の理科室で見た脳味噌の模型にひびが入る画が浮かぶ。だけどあの人のために食事を用意しなければ。

城野灰音は馬鹿でかい冷蔵庫からインカの目覚めとか富良野産の人参とかを取り出した。灰音自身は普通のじゃがいもやにんじんの方が美味しく感じるのだが、旦那である央治はこれで育ってきたので彼に愛されるためにはこれで肉じゃがを作るしかない。

肉じゃがが完成するまでに灰音の身の上話をさせていただくと、灰音は母親を幼い頃に亡くしている。とても貧しい家庭で、父親がたいそう美丈夫だった。そういうわけで、父親は成金の娘と再婚した。この成金の娘が悪かった。成金の娘にも連れ子がいた。この連れ子も悪かった。

成金の娘は灰音の父親の魂胆がよくわかっていた。つまりは、どう自分が足掻いても灰音の父親にとって一番は灰音の母すなわち灰音であり、彼は彼女を守るために自分とわざわざ結婚したということ。それでも成金の娘は灰音の父親の顔が好きだった。
彼女は彼との子供を渇望した。しかし成金の娘は子宮筋腫を患い、その夢は潰えた。

ホルモンバランスが乱れ、彼女は灰音にすこし八つ当たりしてみた。
非常にスカッとした。

灰音の父親の前では灰音をたいそう可愛がり、いなくなればころりと態度を変え灰音を苛めていくこのオンとオフの切り替えは彼女にとって快感だったらしい。

灰音は大人しい性質であり、大人に対してものを言うなんて畏れ多くてできないというような思考傾向の持ち主だったので成金の娘の虐待を黙って受け入れた。抵抗したところでどうにかなるのか?という話だ、愛する父親が路頭に迷う姿なんて心が痛む。二度と彼女はそんな思いをしたくなかった。
 
成金の娘の対応を見て育った彼女の連れ子たちは灰音を「見下してもよい存在」と見做し、彼女を八つ当たりの格好の的とした。野郎二人は灰音に性的暴力を行い、その妹はそれを見てにやにやして自身のリビドーを癒した。
灰音にとって最悪なことに、父親が心臓の病で一瞬にして亡くなった。
彼女が12歳のころのことだった。

そのころから虐待はエスカレートしていった。
食事は成金一家の残飯をいただければラッキーな方で、いつも何も食べていなかった。家事全般をこなしていながら、ずっと何かにつけてけなされ続けた。

暴力は日常茶飯事で、自分が何かしら怪我をすれば家族が喜ぶことを灰音は心得ていて、吉本の芸人もびっくりするくらい器用に、絶妙に、服に隠れた部分を傷つけていった。

それでいながら、近所の人には「継母は良い人」と言い続けた。
 
成金長男と次男は夜毎に灰音を自分たちの部屋に連れていき、アダルトビデオを見せ、自慰を強要した。灰音はいつの間にかそういうことに聡くなっていた。逆に他のことにはとことん馬鹿なふりをした。そうすることによって生きてきた。
灰音のどす黒い影を暴いたのは夫である央治との出会いがきっかけだ。

彼は中学で教育実習をしていた。彼は灰音に一目惚れをした。何気なく灰音の話を職員室で聞いて異変を察知した。

誰もが灰音の影の原因を知っていた。尚且つ、彼女の不幸を待ち望んでいた。
 
彼女は少し知恵が遅れていると診断され、特別支援学級に入っていた。そのことが苛め心を非常にくすぐるらしく、学年の生徒じゅうから常に誹謗中傷を受けた。

彼らは自分たちの攻撃性の中核を少しでも意識したことがあっただろうか。意識していたならばこんなに馬鹿げたことはないことがわかるはずだが。

知能の遅れた美少女は大人の男にとってこの上なく心くすぐるものであるようで、正義感のある女性教師が幾度か挙兵したものの彼女は変わり者だと扱われた。そして灰音の不幸の力が強すぎることに、そういった者は転勤した。
しかし城野央治は灰音の不幸のスパイラルに屈しなかった。
 
彼は、大学卒業後に警察になった。灰音の家を家庭調査員から聞き出し、巨悪の根源の尻尾を掴もうとした。結局は灰音の義理の兄弟たちが流したポルノ動画によって成金一家の化けの皮が剥がれた。

気がついたら身寄りが訳分からなくなっていた灰音を一時的に央治が引き取ることとなり、央治は彼女をあたたかく迎え入れた。

実のところ、央治は灰音の父親によく似ていたので灰音は央治に忠誠心のようなものを抱いていた。彼はそれを愛情とか恋心だとかと勘違いして、二人はそれからも一緒に暮らすこととなった。身の上話は以上だ。
話がとても長くなってしまったせいなのか、灰音は肉じゃがを焦がしてしまった。

灰音はうすうす気づいていたが、央治との暮らしに窮屈感を抱いていた。
まず央治の家はとんでもなく家柄がよく、裕福だった。貧しい家系と貧しい家系のサラブレッドである灰音は央治の前でごはん一粒食べることですらただならぬ緊張感を覚え、恥ずかしいことに慢性の便秘を抱えることとなった。

央治が帰宅する。焦げた肉じゃがを口に入れるなり「美味しいよ」と嘘吐く。

灰音は否定語に馴れているせいなのか、否定的な意味のものしか信じることができない。
その点成金一家は正直だった。

二人は風呂に入り、寝具に身を沈める。
愛おしそうに灰音を見つめているつもりの央治。
その眼の奥に潜むきったない欲望と立派な陰茎だけ灰音は気に入っている。

どんなに名前とか愛しているとか囁かれていても何とも思わない。正直その立派な陰茎でもうちょっと奥まで突いてほしい。さらに言うなら体位はバックより正常位の方が良い。
だけど何も言わない。相手だけ果てても満たされている顔をする。

それが現在の幸せの秘訣だった。
 
誰もが羨む、幸せの絶頂に灰音は今いるはずなのだが彼女は幸せについて最近よく考える。
人並みに知恵を獲得した彼女の頭にこんな疑問が浮かぶ。

自分の価値とは何か。

父親譲りの美貌だろうか。
成人を迎えた彼女が思うに、の話だが美少女ではなくなってきていることから、それはもうすでに崩れてきている。

賢い彼女はようく知っていた。朽ちていく花ほど惨めなものはない。
ならば自分はこれからどうするべきか考えた。

そこでよくこの壁にぶつかるのだが、央治は邪魔で仕方がない。



ある日央治は就寝前、灰音にこう嘯いた。

「子どもが欲しい」

それから灰音の心の中で小爆発が毎日連発していった。最後に焼け野原みたいに荒んでいってわざわざウェッジウッドで揃えてきた食器群を故意に割るようになった。自身の精神状態を知って彼女は自分が憤慨しているのだなー、と気づいた。

子ども。

彼女の正直な気持ちとしてはそんな存在に分けてあげる慈悲の心は一滴もない。そこのところ見抜けない央治に嫌気がさしてきている。
だいいち、結婚というより出会ってから1年も満たない。そんな中子どもなんて背負うにはリスクが高すぎる。一生央治と向き合わざるを得ない。だけど彼女は央治の精液を子宮で受け止めることを最近始めた。彼女は計画性が欠乏していて刹那の悦楽が大好物である。何より、所謂〝中出し〟をする際に央治の、快楽の大波の中覚悟を決めた表情が灰音にとっては堪らなく好ましかった。

しかし我に返るとすぐに通販で大量に買い溜めしたピルを飲んで妊娠を阻止した。そんな日々を送っていたらピルの副作用で相当参り、ついにはぼうっとして公園の道端で羽を休めている蝶々をぐりぐりと踏みつぶしていた。

私はこんな女だ。
もし妊娠に国家試験があるとすれば、間違いなく不合格であろう。
そもそも家庭環境がよくない。あの親ありてこの私あり、だ。あんなにいい家庭に嫁いでしまったなら、それはもう素晴らしい子どもを育てなければならないだろう。素晴らしい子ってなんだ。品行方正な子だろうか。品行の大事さがよくわからない。でもこの家では大事なんだろう。

灰音は真昼間の公園の中一人で泣きそうになっていた。
央治のことを本当に好きなのかもわからない。子どもを産む資格も備わっていない。なのに央治は妊娠を望んでいる。そういえば3人は欲しいとか言っていた。3人も。3人も生んでしまったら、せっかくの淡いピンクの小さな乳首が伸びきってしまう。腹には妊娠線ができてしまう。だけど中出しは気持ちがいいし、向こうは止める気がないし……。頭がどんどんくらくらする……。

そんな時、黄色いボールが灰音の頭を直撃した。

「うっ」
「あっ、すみませーん」

見れば、申し訳なさそうな顔をしている女と、ぼけっとしているちいさな男の子がいた。

「すみません、お怪我なかったですか」

女は男の子の親らしく男の子の代わりに謝っていると思われる。灰音の顔を見るなり吃驚している。それもそうだ大きい女の子がえんえんと泣いているのだ。

「もしよかったら、うちで話を聞きましょうか」

謝る女は良い人だった。ちなみに名前は小夏さんと言った。マンションに入ったらカフェダックワーズとミルクティーを振る舞ってくれた。相変わらず男の子はぼんやりとしていた。灰音はその子の名前を教えてもらったがしばらくしたら忘れてしまった。

灰音は赤裸々に中出しが気持ちいいからやめられない、みたいな下世話な話をする勇気はなかった。だけどここまでしてくれたのだから何か話をしないわけにはいかず、「妊娠に悩んでいる」とだけ漏らした。そうすると小夏は

「もしかして、妊活されているんですか?」

と訊いた。馬鹿正直に灰音は

「え……いやとくには」

と答えてしまった。
そうすると小夏は不思議そうな顔をして、また尋ねた。

「妊娠に悩んでいるって、もしかして産みたくない感じですか」
「まぁ……そうですね」
「お仕事とかされているんですか?」
「いえ。専業主婦のようなもので」
「毎日退屈じゃないですか?」
「やることがいっぱいあるので……」
「そっか。なるほど。城野さん家、豪邸ですもんね」

現在まで、灰音は小夏に自己紹介をしていなかった。しかし小夏は灰音のことを知っていたことにちょっと灰音は戦慄した。灰音は近所付き合いを浅―く行ってきた。その感触として、この豪邸は目立つということを知っていたし、自分が白い目で見られていることもうすうす気づいていた。小夏もその一人なのだろうか。

「好きな人の子どもだったら、産みたくないですか?」

漠然としていたけど一番質問されたくない疑問が今明確になって聞こえてしまった。好きな人じゃないかもしれないなんて口が裂けても言えない。さっさとうまく切り上げてお茶だけ飲んで帰ろう、と灰音は思った。そうですねー、と言ってみた。明らかに心無い声だった。

「子どもなんて、産んでしまえばどうにでもなりますよ」
「本当にそうですか?」
「産みたくなった時に産めばいいんです」
「……わかりました」

それから小夏の身の上話を延々と聞かされた灰音は小夏のことがいつの間にか好きになっていた。来週の今頃また会う約束をして家に帰ると、央治が先にいた。心配していたようだ。

「灰音、実はピル飲んでるだろ?」
「えっな、なんで」
「ごめん、部屋の中見た。それに、最近体調悪いし」

部屋を見られたことに対して相当灰音は動揺した。掃除機をしばらくかけていない地面にはものが落ちていなかっただろうかだとか、片付けを忘れていただとかを思い出すと頭から湯気が出そうだったが、今はそんなことを考えている暇ではない。子どもが欲しくないことがバレてしまった。なんでピルを飲んでいたかなんて、子どもが欲しくない理由なんて、墓場まで持っていくつもりだった。喧嘩するのだろうか。そんなことは避けて通りたかったが。灰音は意を決した。その瞬間だった。

「無理させてごめん」

央治は灰音を抱き締めた。

「もうちょっと、ふたりでいような」
「……はい」

灰音が返事をすると、央治は優しい方のキスをした。灰音は央治のことが今だけは好きだと確信した。すると

「どうりで。元気がないと思った。最近料理の味もおかしかったし部屋の隅には埃たまってるし。明日からちゃんとしてね」

結局は叱るのね。心の中灰音は前言撤回をした。
翌日。ゴミを捨てに収集所の付近に行った灰音はいきなり近所のおばさんに話しかけられた。

「ねぇ。城野さんって、いわゆるセックスレスなの?」
「へっ?なんでですか」
「あの家の奥さんが話してくれたわよ」

おばさんの指す方には、あのマンションがあった。ダックワーズの家だった。

手紙を書く宇宙元旦の一日

今日は宇宙元旦(春分の日)らしいが、そんな日に、いろんな人にファンレターを書いた。書いていくうちに、私は書くことが好きなんだな……と思った。どんなにいつもつまらないと思っている今日であっても、人に手紙を書くだけでいい日だなと思えるのなら、それはすごい才能なんじゃないのか、と純粋に思った。この人に!と目指した文章が、この人めがけて一生懸命走り、やがてゴールに辿り着く。普通走ることにゴールはなく、むやみに空を切るような誤魔化し誤魔化しの返事しかできないのに、私は、空にピントを合わせる才能があり、それがあればどの人の心も描写できる、ってのは言い過ぎだけど、その人に「ああ自分のことを描いてくれているんだな」とわからせるような技術は持てているのが、書いてて思う。明日は誰に手紙を書こうか、なんていう、魂胆を目的にするようなことは私はやらないけど、手紙は書けるうちに書いておこうと思った。不二家で言うペコちゃんのほっぺである。大したものと思ってないけど、買えばよろこばれる商品。

インターネットがつまらないのは、誰に向けてでもない文章を垂れ流すことにある。この人に届けたいという気持ちは、あるんだろうけど、検閲とか推敲で対象を拡大することにダサさがある。かといって、一人悪口を言いたい人にむかって、特定できるような悪口を言うと、その人の正当性があらわになった時、しっぺ返しを食らう。まあそういうの覚悟で悪口は言うべきだが、っていうか私はインターネットで悪口しか言いたいことがないのだろうか。

一生懸命言葉にしている時に、予測変換の向こう側から、その言葉を全部自分にあてはめたい思惑があるのを感じる。大体無視している。なぜなら、本気で取り組んでいる時にそのレーザービームはやってこない。本当に真剣に手紙を書いている時、その版権は俺によこせという視線はない。今日は大森靖子のMV公募の動画を見たが、かわいい女の子を撮っただけの映画なんて、テン年代の向こう側に通用するわけないのを別垢で説いていた時に「俺は?俺は?」みたいな視線があったけど、浜崎容子は別にかわいくもなんともないので、ああいった障害者を社会登用しているだけすごいなと思います。それだけです。大森靖子のMV公募は、こうでもしないとアマチュアの撮った動画を検索して観る術がないので、ありがたいはありがたいけど、アーバンギャルドのアー番のパクりだよな……っていうか大森靖子は大体誰かのパクりしかしてないな……と思いましたが、まあそれを言うならアーバンギャルドが一番誰かのパクりでしかないでしょう。

インターネットは本当につまらない。誰かへでも誰でもない宛へ書く手紙のつまらなさったらない。それをすり抜ける術は悪口しかない。私は好きな人がたくさんいて、その人ひとりひとりに手紙を書いてきたので、技術が上がったと思います。インターネットにおける手紙の技術とは、まあタロットをする際に鑑定相手が世界に据えて読むという技術だと思うんですけど、ここまで次元を上げると占える人はなかなかいなくなる。まあタロットならそうですけど、ツイッターではどうでしょう。自分の亀頭の向きに従って、放物線描くように小便を垂らすツイートが山積しています。それで自分は収益化して、なにものかになっているかのような錯覚を味わっています。そういう人が、タロットへ市場を変更した場合、いかに自分が無力かを知ることでしょう。タロットは、全力で目の前の人にすべてのチャクラを開きます。すべてを読み、そして読み外すこともやります。ツイッターでいい人ぶってる人は、本当のことしか言いません。それが浅はかってものなのです。読み外す、これがいかに重要なことか。

人を占いたいな、と思いつつも実現できず、今日も占い師に占ってもらったな、と思いながら日々過ぎていくもんなんですが、人を占うというのは、きっとその人の少ない情報下でいかに手紙を書くか、に過ぎないと思います。手紙を書くというのは、オリジナリティをいかに味方につけるかなので、オンリーワンの出来になると思います。そういった読みをしていきたいし、出会っていきたいとまでは思わず、今ある人の縁を大事にしたいと思ってますけど、そういうスタンスが私を占い師にしないのかもしれません。占い師というのは人を選べないですから。

今日は本当に素晴らしかったなと思います。でも明日はそうじゃなくていいです。明日がそうじゃないから今日は素晴らしかったのだと思うし、今日の素晴らしさをさらに報うような明後日が来たほうがなんか怖いです。

双極性障害の人にだけ因果応報が活用されるわけでもないと思いますが、それなりに手ごたえがあった日だけ空振りの日もあるってわけです。その繰り返しで生きていくことを心得たなら、双極性障害という診断を手放す日も来るはずでしょう。今日はやたら味の濃い一日だったな、という日が続いても、凪が止むと、味の濃さが恋しくなる日が来るんでしょう。双極性障害はその敏感な感覚に対する欲求が報われにくい人種だと思いますが、そういう差異もどうでもよくなる日が来ます。何が食べたい、でもそれは食べれない、憤怒、みたいな日々が続くでしょうけど、それすらどうでもよくなり、ものを食えているだけましか、みたいな、さらに一つ上の絶望が待っています。人は絶望を味わうことがないと、今までいかに恵まれていたのかを自覚できないわけですね。自分がどのような位置に立っているのか、絶望の淵で自覚するのか、白昼夢のまどろみの中で心得るのか、人それぞれです。私は白昼夢で森羅万象を心得ました。

好きな詩について語る

思えば、私は持っている詩集が少ない。付き合いで買う詩集はあるけれど、それを除いたら数人の詩人しか買ってない。今日はその詩人のいい詩を語る。

高村光太郎「五月のアトリエ」

今読み返して何がいいのかわからないけど、確か「芸術に対する眼差し」に光るものがあるな、と思いお気に入りだった。読めばタイムスリップして、私が学生の光太郎になる。

茨木のり子「りゅうりぇんれんの物語」

長い。読めば必ず涙する。漫画タッチの登場人物。岩橋良昌みたいなりゅうりぇんれん。

北原白秋「あかんぼ」

短い。短いのにオチがある。好きなものしかこの詩の中に出てこない。

④松下育男「初心者のための詩の書き方」

長い。しかもどこも力が入っている。見逃せない。でもこれを一度経験するとしないのとでは大きな差がある。

⑤柴田聡子「しんけんなひとり」

これ詩集って言うのか?と思うけど詩集をちゃんと出してるので。しんけんなひとりっていう言葉がもう好き。ひとりをやるときしんけんなんだよね。

寺山修司「墜ちた天使」

寺山修司好きなので読めばおのずとインプットされてると思ったらとんでもなかった。全然覚えてない。高村光太郎はわりと覚えてたのに。

⑦平出奔「了解」

短歌じゃないか!詩集じゃないじゃないか!と言いますか?好きな一首載せるので勘弁を(平出サイドからしたら商売あがったりだが)

〈このまま世界は終るんだよ、とか言われたら信じちゃうなあすごい寒いし〉

⑧モリマサ公「やっぱチョッパーすね」

本当は付き合いで買ったようなもんだけど、クオリティが高すぎて、さすがに組み込みます。この詩の令和っぽさのようなテン年代っぽさのようなもしかしたらえいえんの天然日本色だったりするのがたまらなく好きです。

黒田三郎「僕はまるでちがって」

私の心の中の師匠は黒田三郎と据えていて、ハードボイルド的な、ロッカー的な詩をやりたいと思っている。この詩は私のルーツである。高校三年生の秋、統合失調症になって人生絶望していた時に、家の周りをあてどもなくさまよっていると、紋白蝶がわたしのくちびるにキスをしたのである。それ以来、紋白蝶が私のシンボルになっていて、この詩は紋白蝶の詩である。だから黒田三郎が好きだし、黒田三郎のようなことを目指している。

昔から言ってるようなことしか今日の記事には書いてないが、まあ楔にはなるだろう。

最近 2024/03/17

今日は占いに行ったら最終結果にWORLDが出た。全知全能を手に入れるらしい。占いを勉強しているけど、そう読むんだ…と思ってばっかりだ。ブロックカードを「そうなるといいような予定」的に読むのが、ここに来ないとわからなかった話だなと思い、私の問題があるとすれば「心に浮かぶ衝動を宥めきれない」ことにある、らしい。私の向こうの繋がってるあなた、を宥めることであるような、シンプルに先祖脈々と続いてきたわたし、を宥めるべきなような、でも結局は意を測ることに人生を置くことになるので、私の友達にも言えるけど、自分の気持ちを尊重しましょう、そしてそれはまごうことなく、黒も白もみんなを認め合いましょう、ということになるらしい。ゆっきゅんもタロットカードやってもらったら太陽が出るらしいので、4・5月はみんな幸せになるんだと思う。

最近インターネットがつまんないなと思う。2月まで松本人志とか他何があったっけ、いろいろあったけど、松本人志がなぜ失脚されたかと言うと今年の春を優美にするためだと思うので、松本人志を生贄にしただけのクオリティが発動されるはずだが、3月も17日になると、頭がぼんやりとして何にも思いつかない。なんていうか、面白いことが思いつかなくなった。柴田聡子が令和になった流れで「面白い人と思われるような面白いことをしなくてもいいんだと思うようになった」といろんな媒体でしゃべっているのだが、私はあまりコンテンツ感はなくても、面白いことを言ったときには少なからず手ごたえを感じているので、最近それが全然ない。辞め時なのかなと思う。アドビプレミア辞めたい。

今日になって読書ができるようになった。昨日までは何を読んでも腹が立っていた。コクトーの詩集(堀口大学訳)読んでたら、いかにも古典的で、いかにも女を口説く言葉の文法でしかポエムやってなくて、とてつもなくつまらないなと思った。コクトーの詩集は読めないが、ドグラ・マグラの上巻をさっき読み終えた。ドグラ・マグラは、輪廻思想を強化するというか、輪廻思想を裏付ける話に終始していたが、これから下巻でやっと呉一郎の問題に着手する。

呉モヨコは、カブちゃんを連想する。漫画版のドグラ・マグラの絵の呉モヨコがカブちゃんに似ていて、「お兄様!」と連呼するあたりモヨコじゃん……と思うけど、最近ばったりカブちゃんに会った。カブちゃんは相変わらず私に興味がないし、むしろ私を嫌がりはしないが忌避してるコンテンツと思ってるみたいで、この人も統合失調症なので、統合失調症がアンチスピリチュアルを語ったら破滅じゃん……とか思っているけど、カブちゃんは私のこと鼻をつまむ相手とは思ってないし、思ってないけど、それとは別に自分は上級国民になるべき人材だと思っているところを目撃して、たとえどんなに美人でも、そういう、自分は報われるんだ!!!と思って人生やってると、こっから先を何も言えなくなるな……と思って、あんなに、5年くらい続いていたカブへの執着が終わった。

最近ツイッターでフォローしてるだけの人に私のツイートヲチしてくれてんだ、みたいな気づきはあるけど、私が「こんだけ頑張ってるのに報われないのおかしい」と結構前から言ってる(2021年とか顕著)けど、一周回って「わたしもこんだけ頑張ってるのに報われないのおかしい」と言ってる人がいて、「お前は報われるなよ」と思った。報われるっていうのは、自発的に気づきを重ねていくから気が付いたら「わかる」のであって、どんな努力をしているのか存じ上げはしないが、そうねえ……結局瓶の中の油をバターにするしかないのであって、それを自覚したうえで「わたしはこんだけ頑張ってるのに報われてない」って言うのは、私を意識しているのはもちろんだけど、私を意識しているなら、「瓶の中の油をバターにしていく」以外の語彙で「報われ」をやらないといけないのはわかってるはずなのに、私をないがしろにして、インターネットミームとして消費するのは、さすがに下品ですねぱやちのさん……と思う

報われるためには、人の語彙を借りてばかりだと駄目だと思う。ネットミームで生きるのならば、自分の幸せも誰かの二番煎じであることを自覚しないといけない。簡単に報われる方法もあるにはある。スピ的用法で語るか、あるいは一番好きな他者に語ってもらうという方法もあるけど。

昨日久しぶりにオナニーを二回した。なんで二回したのかと言うと、昨日はそういうムードのある日だった。翌日の今日、街を歩いていると何人もの人が酒焼けの匂いがした。私は金がないので酒をやれないけど、金のある時に電マを買ったので、オナニーし放題かと言うと、やっぱりオナニーは一回じゃないと実存を失うな……と思った。

そもそも何にムラムラしてオナニーしたのかというと、まあ話を早くしてしまうのであればつい最近まで生理が来ていて、多分1年ぶりの生理だった。血を流すと、その分だけときめきにときめくようになり、本当に、誰でもいいから膣に咲いた花束を毟ってくれと思っていた。

しかし、よく考えると、誰でもいいという訳ではない。お前に蹂躙されて人生に失望したぜチキショウ~みたいなこともある。昨日、ツイッターで「知的障害者になって訳の分からないおじさんに拉致監禁されて堕胎してなんの感性も持たない人生を歩みたかった」みたいなことを言っていた。訳の分からないおじさんの、訳の分からなさが重要である。

そう考えると松永天馬は訳の分からなさが足りない。もう少し、なんて言うかなあ、ノワールを取り入れるというか。なんやかんや松永天馬は整合性あるからつまんないと思う。かといって、精神病棟で出会ったそれっぽい人はマジで怖かった。鼻くそを上履きに毎回つけたり、私の生理ナプキンの血を啜ったりしてた。そうじゃなくて、なんか、この人と付き合っていいことないなって思うような頭のおかしさが欲しい。薬物をやれって暗に言ってるかもな。なんか合法的に自分の骨密度を下げるような媒体ないですか?飛ぶ薬というか。

オナニーは二回すると松永天馬に「お前のロマンスの解像度そんだけかよ」とわかられて、今日の夢はなんとなく編集されなかった。